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(同書 p.289 の最後のパラグラフ)Google (検索エンジン)を使い,「ドーラ(あるいはドラ) + ラッセル」及び「Dora Russell + biography」 といったキーワードで検索して見てください。検索エンジンをうまく使えるかどうかで情報収集能力は随分差がつきます。
1920年代の政党キャンペーンは情熱的でドラマチックだった。同様に,毎年秋の総選挙も,時間と金と勢力を要する厳しい試練だった。バーティ(=ラッセル)はもう出馬したくないと考えていたが,幸い,地方の支持者たちが大勢で,彼のかわりに私が立候補することを望んだ。当然私は若かったが,議会の席を得るために戦う立場になることに興奮し,誇りにも思った。勝つチャンスが無いとは思ったけれど,私は社会の正義と女性の権利のための十字架を背負っていくことはできた。
それは労働党にとって苦しい選挙だった。・・・。私たちは「赤」とそしられ・・・。
しかしこのような立場は致命的な打撃を与えた。英国中の投票者数は大幅に増えたにも拘わらず,労働党は選挙に大敗した。・・・。
1925年夏,私は執筆活動からも政治活動からも離れて,コーンウオールの神秘的な魅力にとりつかれた。・・・。