バートランド・ラッセルに関するQ&A
_ラッセルはなぜクリスチャンにならなかったのか?
[質問]ラッセルとキリスト教
「今、ラッセルについて勉強してますが、「何故、ラッセルはクリスチャンにならなかったのでしょうか?」
[回答]
「何故、ラッセルはクリスチャンにならなかったのか」というご質問ですが、これは一般的な意味合い(ラッセルがキリスト教を信じない理由)でしょうか? それとも、「欧米においては通常多くの人がクリスチャンになるのに、ラッセルはどうして・・・」という意味でしょうか?
ラッセルがキリスト教の手厳しい批判者であることは、ラッセルを少しかじった方であればご存じのことと思います。キリスト教だけでなく既成の宗教が信じられない理由は、
Why I am not a Christian, 1929(邦訳書名:『宗教は必要か』)、
Religion and Science, 1935(邦訳書名:『宗教から科学へ』)、
その他多くの著書のなかで繰り返しのべています。詳細はそちらを読んでください。
多分、Aさんのご質問は、そういうことではなく、「欧米人は、家族や社会の影響で多くの人がクリスチャンになるのに・・・」という疑問からではないかと想像します。
そう言うことでいいますと、次のような事情が考えられます。
- ラッセルが小さいときに亡くなった両親は、無神論者であり、自分の子供もそのようになるように生前望んでいた。(ラッセルは後に両親の日記を読んでそれを知った。)
- 両親の死後、ラッセルを養育した祖母は長老教会派のクリスチャンではあったが、同時に自由主義者であり、合理的にものを考えるタイプであった。その祖母からもらった聖書には、「万人が反対しても自ら正しいと信じたら、たとえ一人でも我が道を行け」と書かれており、ラッセルはそれを実行した。すなわち、15,16歳のときに、キリスト教の教えの一つ一つ、神の存在証明の一つ一つを吟味したが、どれも信ずるにたるものはなかった。
- 信仰とは理屈ではなく、信じるか信じないかの問題だという人がいるが、それならばどの宗教を信じてもよいことになってしまう。さもなければ、「心の清い人は●×教を信じるが、心にくもりがある人は邪教を信じる」ということになり、宗教自体が理不尽なもの(宗教家は傲慢な人間)になってしまう。
以上のようなこと(亡くなった両親の影響、ラッセルの周辺にすぐれた科学者がかなりいたこと、ラッセルが小さなときから大変知的であったこと)など、宗教(キリスト教)を信じるようになる条件が少なかったからだと思われます。