(随想) 小野修「バートランド・ラッセルの環境論」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.6
一九六〇年代の知識人の合言葉が「ベトナム」であれば、七〇年代の合言葉は「環境」である。しかし、七〇年春に亡くなったラッセルが生前に念願したベトナムでの即時停戦と米軍撤退が曲りなりに実現したあとも、戦争の脅威は去らず、舞台が中東に移されたに過ぎない。核兵器の拡散と絶対保有量の増大により核戦争の偶発性は増したが、武力均衡の綱渡り的政策によって避けられているに過ぎない。従って、六〇年代にラッセルが警告しつづけた戦争の脅威が七〇年代に入って後退したわけではない。七〇年代の特徴は、六〇年代の課題に、更に新たな環境問題が上積みされたことである。
環境問題は現代文明の進展と共にあらわれる。一九世紀において、すでに徴候は見られたが、人類全般の生存の可否にかかわるような規模にひろがったのは第二次大戦後であり、それも特にここ十年において誰の目にも明らかな課題となってきた。ラッセルは特に環境論として体系的著作をまとめることはしなかったが、多くの著作の中で今日問題になっている環境上の様々な課題をとりあげている。それはときには文明批評としてであり、科学論としてであり、また平和論としてであった。
もし、最も集中的に環境問題が論じられている著作をあげるとすれば、一九五一年刊の『変貌する世界への新しい希望』(New Hopes for a Changing World)がある。これは人間の三種の闘い--対自然、対社会、対自己--を三部にわけて論じた積極的提案に充ちた文明批判の著作である。この著作では公害は表立って論じられてはいないが、生態学的な解説は第一部で多く見られ、自然の征服が資源や食糧の枯渇を生むと警告し、人口爆発を喰い止める必要を力説している。ここには、国連が七〇年代の環境保護の啓蒙用語として宣言した「かけがえのない地球」の論理の先駆的な表明がみられる。第二部は政治上の矛盾として武力と信条的イデオロギーの強制を背景とした新しい専制政治の可能性を警告し、第三部では人格の健全な成長をもたらす教育の課題が論じられている。つまり、この著作は最も広義の意味における人間環境の保全の壮大なプランが語られている点において、プラトンの『国家』に似ている。その内容は教育的であるが、倫理原則の押しつけではなく、因果法則の経験的解明であり、生態学的な方法による目的論の導入であり、要するに科学的精神と価値観との高い水準での結合である。まさに、環境問題は思想的課題なのである。
紙幅の都合で紹介できない他の著作として『科学的展望』(Scientific Outlook, 1931)、『科学の社会的影響』(The Impact of Science on Society, 1952)があり、ともに環境問題を扱ったものとして重要である。ラッセルは初期の悲観論を振り捨てたあとは、科学に全般的な信頼を寄せるようになり、科学が人類の叡知によって生かされれば、われわれの未来は開けるという信念を失わなかった。(京都精華短期大学教授)