バートランド・ラッセル「国家の偉大さについて」(1932年1月20日)(松下彰良・訳)* 原著:On national greatness, by Bertrand Russell*Source: Mortals and Others, v.1, 1975 |
歴史をふり返ってみると,いずれの強大な国家も遅かれ早かれ,弱小化しています。 ギリシア・ローマ → (中略) → スペイン → イギリス(200年間) → アメリカ(100年間) ときて,今後は, → 中国あるいはアジア(50年) → アフリカ?・・・ なんてこになるのでしょうか? ラッセルは個人主義者ですので,国家の重要性をのべているわけではありませんが,政府は良いにこしたことはありません。若い人たちに良い影響を与える,新しい政治のあり方が浸透することを期待したいものです。(2001.04.29, 松下) * 改訳及びHTML修正をしました。(2010.10.1) 国家の偉大さは,個人にどのように役立つだろうか? 国家の偉大さは,何らかの重要なことに役立つが,その分析は必ずしも容易ではない。私は,過去200年(注:本エッセイは1932年に発表)にわたって占有し続けてきた大国の地位を失いつつある国家(英国)の一員として,一国の政治的地位の変化によってもたらされる個人の精神(メンタリティ)の変化を強く意識している。そうして,私が1896年(注:ラッセルが始めて渡米した年)以来知っているアメリカでは,まだ始まったばかりであるが,これと正反対の変化が生じている。この2つの正反対の変化はどのようなものか考えてみよう。 国力の増加が個人的業績への刺激になることに疑問の余地はない。アテネ人がペルシア人を破ると,パルテノン神殿が建てられ,またアイスキュロス(注:ギリシアの三大悲劇詩人の一人)を生み出した。英国がスペインを打ち負かすとシュークスピアを生み出した(が登場した)。ルイ14世の数々の戦争での勝利は,フランス文学の黄金時代と結びついている。このような例をあげればきりがない。 成功した国家の努力(の結果)との関連なしにはめったに見られない個人的成果もあれば,そのような関連がまったくない個人的成果もある。バッハやモーツアルトやベートーヴェンにおいては,国家の成功(繁栄)が彼らの音楽的天分をまったく刺激しなかった。スピノザは,抑圧された人種(=ユダヤ人)に属し,また衰退に向かっている国家に属していた。それでは,個人的な偉大さと社会的要因と結びついた偉大さとの違いは何だろうか? 社会の繁栄と結びついた業績の最もはっきりした実例は,建築である。建築は費用がかかるという単純な理由のためである。今世紀の間(注:ここでは1930年までの20世紀),アメリカの建築家は他国の建築家には与えられなかった機会を持ったために,アメリカは世界の建築界をリードしてきた。しかし建築は,今度は(同様に)一般大衆(の心理)に反作用を起こした。 ニューヨーク市民は,エンパイア・ステートビルの話をする時ニューヨーク市民としての誇りを表すが,この誇りは必ずしも自分たちの市政(の良さ)に由来するものではない。建築家の成功は,ある程度までは,すべての市民の成功である。仮にニューヨーク市民が外国人と議論をするとしたら,彼らの自信のもとの一つは,外国には誇るにたる超高層ビル群(摩天楼)がないということであろう。最近ではニューヨーク市民も自慢気な態度を少しやわらげたが,今後もその態度は変わらないだろう。 国家の成功(繁栄)の影響は,若者が関係するところが最も大きい。個人においては,めざましい業績をあげるには,二つの条件が必要である。第一に能力である。これはある程度まで先天的であり,ある程度は教育の結果である。第二は,普通の人間にはできないことを自分はできるという,自分の能力に対する自信である。政治的状況の影響を受けるのはこの第二の条件である。 本当の天才は常に謙虚であるという馬鹿げたことを急に言い出した人がいたが,これは事実とは正反対である。能力のある若者でも,彼がもしも謙虚な性格なら,親や友人に嘲笑されて抑えつけられるだろう。なぜなら,才能があることを自負しても,それが実際に証明されるまでは,世間は嘲笑するからである。 若者にとって最も望ましいのは,誰もが将来偉業を果たしうると考えられるような環境のもとに,またその結果,自信を抱いてもねたみから生じる嘲笑を受けないような環境のもとに生活することである。アメリカにおいては,ビジネスや,専門職や,建築の分野(それは芸術であると同時にビジネスである。)での成功は,若者にとって自然でありかつ大望を抱くに値する分野とされている。モーツアルトやベートーヴェンは,音楽の世界で名をなすことが当然されていた家庭に生まれた。若者をとりまく大人の側のこのような期待は,若者の夢にはかり知れぬ影響を与え,他の何にもまして国家の成功(発展)の全般的方向性を決定する。 (以上から得られる)教訓は次のとおりである。即ち,若者が生み出しうる最高のものを社会が期待すれば,最高の結果が生まれるであろう。また,社会からの期待が少なければ,残念ながら,それだけの結果しか生れないだろう。 |
There can be no doubt that national success is a stimulus to individual achievement. When the Athenians had beaten the Persians they built the Parthenon and produced Aeschylus. When the English had defeated the Spaniards they produced Shakespeare. The victories of Louis XIV were associated with the great age of French literature. Instances of this sort of thing could be multiplied indefinitely. There is a kind of individual productivity which is seldom found except in connection with successful national effort. There are other kinds which have no such connection. Bach, Mozart and Beethoven had no national successes to stimulate their musical genius. Spinoza belonged to an oppressed race and to a nation in process of defeat. What is the difference between greatness which is individual and greatness dependent upon social causes ? The most obvious example of achievement depending on public prosperity is architecture, for the simple reason that architecture is expensive. During the present century America has led the world in architecture because American architects have had opportunities denied to those of other nations. But the architecture, in turn, has reacted on the average man. The New Yorker, when he talks about the Empire State Building, has a sense of civic pride not always to be derived from his municipal government. The architect's success is, in some degree, the success of every citizen. If he has an argument with a foreigner, one of the causes of his self-confidence will be the fact that the foreigner has no skyscrapers to boast of. The present times have somewhat mitigated this attitude, but that will pass. The effect of national success is greatest where the young are concerned. Remarkable achievement requires, in the individual, two conditions : first, ability, partly congenital and partly the result of education ; second, confidence in his own capacity to accomplish things not possible for the average man. It is this second condition that is influenced by political circumstances. Some silly person started the notion that true genius is always modest. This is the opposite of the truth; a youth, even if he has capacity, will, if he is modest, be kept under by the mockery of parents and companions - for the pretensions of genius are considered laughable until they are verified. The best hope for the young is that they should live in an atmosphere where everybody is thought capable of great deeds and where, consequently, their pretensions do not arouse the ridicule that springs from envy. In America, success in business, in the professions, in architecture (which is a business as well as an art) is regarded as a natural and worthy ambition in a young man. Mozart and Beethoven were born into families where success in music was regarded as natural. Such expectations on the part of surrounding adults have an immense influence on youthful ambition and do more than anything else to determine the general direction of national success. The moral is : Expect of the young the very best of which they are capable, and you will get it. Expect less, and it is only too likely that you will get no more than you expect. |
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