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南原繁「何故バートランド・ラッセル平和財団日本協力委員会に参加したか」

* 出典:『ニュースレター』(バートランド・ラッセル平和財団日本協力委員会)v.1,n.2(1965年11月5日号)掲載
* 再録:『南原繁著作集』(岩波書店)第10巻(1973年8月刊)pp.156-159.
* 南原繁(1889-1974)氏は、政治哲学者。1945年東京帝国大学総長に就任。1949年に全面講和を唱え、吉田茂首相から「曲学阿世の徒」と罵倒されたことは有名。日本政治学会理事長、日本学士院院長を歴任。その門下からは丸山眞男、福田歓一等、戦後の政治学界を代表する学者が輩出した。

 私は大学を卒業(=1914年)して間もないころ、バートランド・ラッセル博士の『社会改造の原理』や『自由への道』を耽読したものである。それは第一次世界大戦終結の直後で、これらの書物は、どこまでも人間の自由を中核とする、博士の多元的社会理想の提唱であった。わが国の読書界に博士の名が広く知られるに至ったのはそれ以来のことであったと思う。
 博士は、もともと数理哲学者であるけれども、人も知るように、第一次世界大戦のときから、徹底した平和主義・非戦論者であった。第二次大戦後は、故アインシュタイン博士とともに、壊滅的な核戦争の防止のために起ち上り、現在の高齢をもって、世界の科学者や指導者の注意を喚起すると同時に、みずから挺身して、時に示威運動にも加わり、ために拘留されたことがあるのも、われわれの知るところである。
 私は、終戦後、日本に平和問題談話会が発足したとき、勧誘されたが、東大における職務が殊のほか多忙であったため、辞退した。そのほか、平和や文化・宗教に関する会合や組織について、しばしば勧誘されたけれども、在任中はもとより、退任の後も、引受けなかった。これは自分の非力とエネルギーの乏しいことを知っている私としては、つとめて自分を制限し、みずからに課せられた仕事に、少しでも多く専心したいためである。したがって、これまで、専攻の学問、あるいはそれに近い2,3の研究会や団体に属しているだけである。政治社会の問題が、単に理論と思想にとどまらないで、結局、実践の問題であることは、いうまでもない。なかんずく、平和の問題について、ことにそれが現在のごとき危機的状況下において、大衆の組織的運動が緊要であることも、知らぬわけではない。だが、そうした運動の渦中に身を投じないで、おなじ目標と理想のために、たえず現状の分析や方策の研究、さらに理論的基礎の開明に従事する人があっていいのではないか。いや、いつのときにも、それは必要であり、そうすること自体、その人たちにとって実践への参加でもあるであろう。

 ラッセル平和財団は、博士自身の経歴と行動が示すように、大衆運動の指導・展開から、時には国際紛争に対する仲裁的役割をも引受けるという、すこぶる広汎、且つ政治行動的な事業をもっている。ところが、『ニュース・レター』(ラッセル平和財団日本協力委員会)創刊号において吉野源三郎委員の報告にもあるように、博士は、近ごろ大衆運動とは別に、むしろこれに対して思想的根拠を提供し、平和の問題についてさらに研究を促進するとともに、政府の声明やマスコミの報道からの独立した真実の情報を蒐集し提供する任務を重要と考えるに至ったようである。ことにこのたび、わが国に「日本協力委員会」を設けるに当って、そのことを明白にし強調するところがあった。それは、われわれ学問・文化にたずさわる者のなしうることで、またなすべきことである。私が博士の要請に応じ、よろこんで参加した所以はここにあるのである。
 たまたま思い起すのは、数年前、日本において、別の方面で、ラッセル博士の名が喧伝されたことがある。それは、博士の宗教否定の立場から書かれた論文集が、日本で翻訳出版されたときのことである。原著がイギリス本国で問題となっただけに、日本でも宗教界やその他の方面において、多くの論議をよび起した。私も何かの機会に一言したことがあるが、博士のそうした立場自体はしばらく別として、平和運動につき、教会の間にありがちな反対、すくなくとも消極的態度に対する博士の激しい非難は傾聴されていい。カントの表現をもってすれば「戦争あるべからず」というのは、むしろ宗教以前、人が人である以上、すべての人間に妥当する道徳の至上命令である。
 さらに戦争は、ひとり個々の人間性と人格に対する犯罪であるばかりでなく、ヤスパースのドイツ的表現によれば、人類に対する犯罪、人類の共同存在を否定する犯罪でなければならない。いまや世界の諸国民は、好むと否とにかかわらず、戦争において互いに結びつけられていると同じように、平和をもたらす上においても、一つに固く結合しなければならない。ここに、これまでの個人の良心的反戦反抗のほかに、人類的連帯性において、さまざまの組織や運動が企てられる理由がある。
 そういうときに、ラッセル平和財団のごとき存在と活動は、大きな意義があるといえよう。このたび、日本に協力委員会が設立されたことは、その関係において、何ほどかの寄与を、わが同胞の間になしうるであろう。しかし、いつかついには、平和問題の研究や状勢の分析と情報の交換をもって済まされない秋(時?)が来るかも知れない。それは本協力委員会が現在の任務を一応終わったか、または、さらに新たな発展を遂げるときであろう。(了)