バートランド・ラッセルのポータルサイト
シェアする

ミヤザキ・ヒロシ「わたしの読んだバートランド・ラッセル」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第4号(1966年5月)pp.6-7.


ラッセル協会会報_第4号

 いまにしておもえば、わたくしはラッセルによって思想家というものを知り、思想というものをまなんだようにおもう。
 1931年ではなかったかとおもうが、ラッセルの「結婚と道徳」(Marriage and Morals, 1929)が、わがくにに紹介されて、その書評が、新聞などに、いくつか、出た。そのなかに、ときの東京府立第一高等学校(正しくは、東京府立第一高等女学校=現・東京都立白鴎高校の前身)(注)の校長、市川源三という人が、「これからの女性は、これぐらいのものは読んでおく必要がある。」ということを、言った。なにさま、その本の書き出しが、「男に守れない貞操を女にだけ守らせようといったって、むりである、男が姦通をするのならば、女も姦通をするようになるであろう、これから先きの世のなかでは、妻の貞節というのは、法律上、夫でない男のこどもを生まないことであるだろう。」といった趣旨のものだけに、市議会(府議会だったかも知れない)の問題になり、市川さんは、よび出されて、あぶらをしぼられ、おわびの釈明をさせられた事件があった。
 新聞で、このことを知ってから、丸善でこの本をもとめて、読んだのがわたくしのラッセルを読んだはじめである。それだけに、その第一ページの印象は、いまも、あざやかである。

『教育と社会体制』の表紙画像  そのつぎに出た「幸福の獲得」(The Conquest of Happiness, 1930)、「教育と社会秩序」(Education and the Social Order, 1932)、「怠惰礼讃」(In Praise of Idleness, 1935)など、いずれも、つづけて、熱心に読んだ。なかでも、「教育と社会秩序」などは、ある年の夏休みに、いなかで寺の一室を借りて、ノートをとりながら読んでいるうちに、いつとはなしに、そのノートが全訳になってしまったことがあった。
 ラッセルの文章に、それだけの魅力があったことも、たしかである。
 一方、「心の分析」(The Analysis of Mind, 1921)など、読まねばならぬと読みだしたものの、いいかげんに投げだしてしまった。

 昭和10年代にわたくしは、逓信官吏練習所というところで英語を教えていた。入学試験のはげしいところで、なん十倍もの志願者があり、わたくしは英文和訳の試験を受けもたされたが、毎年、1週間ぐらいのあいだに3000枚ぐらいの答案を採点しなければならなかった。それにもまして、出題には苦労した。大げさに、言えば、1年中、適当な問題をこころがけていた。そして、これと思うのがあれば、書きうつして封筒におさめて、机のひき出しのおくにしまっておき、春になると、とり出したものである。そのころ、毎年、2題出した英文和訳の問題のひとつは、かならずと心にきめたようにして、ラッセルの文章を使った。
 「劇場で火事がおこったときに、災害を大きくするような行為と、災害をすくなくとどめるような行動とがある。そのときに、災害をすくなくとどめるような行動をするのが人間の知性である。」とか。
 「このつぎに戦争がおこったら、それは、もはや、最前線における戦闘員のたたかいではない。航空機によって戦線の背後を壊滅させることをねらった相互のセンメツ戦となる。」とか。
 ある受験雑誌が、当時の高等学校や専門学校の英文和訳入学試験問題の出典を、ことごとく書いていて、わたくしのところだけは、出所がわからない、と書いてあったのをおぼえている。
もりや・つとむ(著)『ラッセル予想問題集』の表紙画像  それにしても、ラッセルの文章は高等学校などの英語の教科書で、よく読まれたものである。あちこちの教科書出版屋が、あらそって出していた。どこかで出した、うすっぺらな教科書の一章に、ラッセルの自叙伝がのっていて、ラッセルが、こどものころに、おじいさんのまえで文章を暗唱する習慣のあったことを書いており、そして、ちかごろ、暗唱の習慣がなくなったのは、ざんねんである、と述べていた。これは、かれの文章のうまい理由のひとつの説明であろうと、いまも、おぼえているが、このことを書いたものは、その後、見たことがない。とにかく、このように学校の教材に使われたことで、ラッセルの思想が、当時の若い知性のあいだに普及したであろうことは、まちがいない。当時の高等学校の英語の教科書で、ラッセルの幸福論を読んだのが、いまだに、その人の幸福論を支配しているような人も、現代の指導的な立ち場に、すくなからず、おるとおもう。
 戦後、当然のこととはいえ、著作権の問題がやかましくなって、現代思想家の文章をえらんだり、編集したりして、これを教科書に使うことが、あまり、なくなった。これは、高等教育における一般教育の立ち場から言って、ざんねんなことである。原書を読んでも読みきれず、ほんやくで読んでもなじめない、いまの学生たちのために、教室で、論語や孟子の章句解説とならんで、ラッセルなどの諸章が解釈購読されることを望みたい。技術導入のために、毎年、1,500億もの金を外国へ支払うことをおもえば、こうした教科書をつくるために、版権料のなん万、なん十万ぐらいの金はわずかなものである。教科書出版関係のかたは、考えていただきたい。

 これからは、わたくしのようにラッセルによって思想の目をひらかされたものが、ラッセルを読んだり、研究したりすることもたいせつであるが、それよりも、もっと、だいじなのは、ラッセルによって目のひらけた、わたくしどもが、めいめいの思想や行動をもつことだとおもう。
 たとえば、大学の騒動で、違法行為に出たストライキの主謀者が、処罰のないことを要求したり、また、学校側が、そうしたもののために、試験をのばして便宜をはかってやるようなことをやらないことである。(終)
注)吉野明氏から教えていただいた。(2002.09.14)