このディレンマまたはパラドックスに直面して,民主主義者の選ぶべき道は二つある,第一は,自由主義に徹するリベラル・デモクラットの立場である。しかし,この立場をつきつめると,無抵抗主義,敗北主義,アナーキーとなり,結局は独裁につらなって行くおそれがある。第二の可能性は「戦う民主主義者(ミリタント・デモクラット)」の立場であり,さきにのべた西ドイツの立場はその一例である。このふたつのオルターナティヴの対立は,いわば「ゴルディウスの結びめ」であって,最後は,なんらかの決断によって一刀両断されなければならない。この決断は危険を伴なうがこれを回避することはできず,民主主義者は誰しもいかに決断すべきかについて迷わざるをえないものである。
この点から見るとラッセルはどうであろうか。ラッセルは多作な著者でいろいろなことを書いているから,この点でも彼をどう分類するかはむずかしい問題であるが,私の見るところでは,ラッセルという人は基本的にはやはり「戦う民主主義者」の立場をえらんだ人物だったと思う。
ラッセルは懐疑家ではあるが,ペッシミストではないのであって,人類の未来に大きな希望を托するところのヒューマニストである。かれは,狂信を強く排撃し,寛容を重んずる。「独断は有害だが,単なる懐疑もまた無益である。」
ラッセルが「戦う民主主義者」であることは,彼のきわめて強い性格と関連があるようだが,こうした性格は,たとえば,宗教に関する理論においてはっきりあらわれている。宗教を心からは信じていないのに,民心に安心立命を与えるものとしての宗教の「社会的効用」を説く立場は,プラトン以来,古くから存在するが,ラッセルは既成宗教の信仰に対して,終始きわめてきびしい態度をとった。かれによれば,人生のきびしい現実に自分の力で直面することを避け,宗教に縋って安心立命を得ようとする者は卑怯である,とされる。
ラッセルの強い性格は彼の平和思想にも現われている。一九三〇年代の著書 Which Way to Peace? では,一種の「敗北主義」的な思想が説かれているが,第二次大戦が起こると,彼は自説を改めて,民主主義と平和の擁護のためにヒトラ-と断固闘うべきことを力説した。彼のこのようなミリタントな平和主義はミリタントな民主主義ともよく符合する。
Mens sana in corpore sano!
ラッセルにおいてはまさに強健な精神が強健な肉体に宿っていたといえよう。ラッセルは憎悪と恐怖の害を声を大にして叫んだ人であるが,悪や不正に対する正当な怒りはやはり必要であると考えていた。何が起ってもただニコニコしているお人よしばかりでは,世の中はよくならない。
アラン・ウッドのラッセル伝のタイトルが示すように,ラッセルはたしかに懐疑家ではあったが,決してシニカルなスケプティックではなく,「情熱の懐疑家」であった。彼は強靱なヒューマニストとして,人類の行く末を冷厳に凝視しながらも,その未来に大きな希望を托した。
平和を乱す元兇は憎悪と恐怖である,というラッセルの考えは,ユネスコ憲章の前文とよく似ている。シニカルな懐疑家は,こんな考えは「甘い」というかも知れない。しかし,ラッセルはキリスト教的な「愛」こそ人間社会にとって最も基木的な心情である,と説く。神の助けは借りないが,さりとて投げやりで無責任な懐疑におちいることなく,不屈の情熱を以て民主主義と平和とのために生涯を通じて戦ったラッセルの態度に私は深い感動を覚える。かれの生涯こそ,真理の探求者に,「情熱の懐疑家」に,そして「戦う民主主義者」にふさわしい生涯であった。