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わたしは、連帯と尊敬のふかい感情をこめて、あなたがたヴェトナムの英雄的人民にあいさつをおくります。(中略)あなたがたは、あなたがたの勇気の実例とあなたがたが記録したおどろくべき成功とによって、三つの大陸の抑圧された人民に希望をあたえてきました。(中略)あなたがたは、正義のための世界の戦士であり、男と女とが高貴な理想に傾倒すればどういう英雄的行為をおこなうことができるかを永遠におもいださせるひとびとです、わたしはあなたがたに敬意を表します。(後略)(Message from Bertrand Russell to the Peoples of Vietnam on Radio Hanoi, 24 May, 1966, mimeographed copy, p.1 = 「ラッセル平和財団日本資料センター・資料1」所収。引用は同センター所長・岩松繁俊著『20世紀の良心』理論社、昭和43年、p.206 の改訳による。下線は、三浦)ここでの「敬意」「尊敬」といった語は、ラッセルの抱く解放戦線派との連帯感の自然な現われであろう。ラッセルはまた、第三世界の反米闘争派に遍く呼びかけて「好意をいだいています(7)と言い、「感謝せざるをえないのである」(8)と語る。あるいはもう一つ引用すると、「第三世界の人民へのメッセージ」で彼は言っている。
(前略)ヴェトナム人民の英雄的行為には根本的に重要な教訓があります。あなたがたも、かれらの実例にまけないように努力することを希望します。ヴェトナム人民が抵抗してきたように、アメリカ帝国主義に抵抗することが可能な場合にはどこででも、そうすることが必要です。これが、ヴェトナム人民を援助し、かれらが多大の犠牲をはらってたたかっている理想を実現しうる唯一の方法です。(後略) (A Message to the Peoples of the Third World from Bertrand Russell, 19 October, 1966, mimeographed copy, p.3. 前掲資料n.9所収。前掲書p.206 改訳による。下線三浦)これらは、われわれが何気なく見過ごしがちな、一見パターン化された決まり文句のようなものである。ラッセルのこれらの語句は、「ラッセル法廷」に「証人」として出廷し陳述したベトナム民主共和国代表団長および南ベトナム解放戦線代表団長の、それぞれ次のような言葉と大変美しい型通りの対応をなしているのが見てとれよう。すなわち、
……わが国の人民は、犠牲がいかなるものであろうとも、このたたかいを最後までたたかいぬくことを決意しています。なぜなら、われわれは、ただたんにわれわれの独立、われわれの自由、われわれの統一のためにたたかっているのではなく、われわれはまた、全世界の人民の自由のためにたたかっているのだからです。……(ファン・ゴクタク「北ベトナム侵略の拡大」『続ラッセル法廷』ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会編、人文書院、昭和43年、p.232)むろん、ラッセル-ベトナムの語調の対応を、単なる儀式的型式と見倣し去るわけにはいかない。かの状況を、決まり文句や空虚なレトリックを駆った決意表明の交響としてのみ見るのでなく、ラッセルとべトナムの本物の真剣さに応じてひとたび彼らの語句の意味をとことんまじめにとってみるとするならば、さて-ここで問題がおこる。「ヴェトナム人民」は、字義通りの「理想」「全世界の人民の自由」「国際的責務」のために闘っていたのだろうか? 第三世界の蜂起が実際「理想」と「正義」のためのものである、すなわち、単に「われわれの独立・自由・統一」「民族的権利」を求める根本的には利己的なナショナリズム、「アメリカ帝国主義」とは規模の差はあれ質的には同種の国家主義民族主義、のため以上のものであると判定しうるとすれば、その根拠は何か?
……われわれは充分に自覚していますが、われわれは自分たちの民族的権利のためにたたかうことによって、国際的責務を果たしているのであり、(中略)五大陸の友人たちがしめしてくれる信頼にたえず答える努力をしています。・・(グエン・バンチェン「解放民族戦線はかくたたかう」右掲書、p.258。下線三浦)
弱小民族の国家主義は、掠奪民族国家の国家主義に対する防衛である。弱小民族が搾取を行なうかわりにそれに反抗しているというその限りでは、強国の立場よりも正しい道義的立場にあると言える。しかし、独立のために戦っている弱小国家において生み出される感情とは、民族が勝利するやいなや、それまでは非難の矛先を向けていた抑圧者たちの邪悪さをすべて備えるようになってしまうという類のものである。ポーランドは、二百年近い屈従のあとようやく自由を得た。しかるに、ポーランド人たちがそれまでに耐え忍んできた責苦を、今度はウクライナ人たちにかぶせるようなことをしないだけの理性を取戻すことができなかった。国家主義というものは、原理として悪質な(vicious)ものであって、たとえ民族の自由のために戦っている人々の場合であれ、賛美されるべきではない。(Education and the Social Order, George and Allen & Unwin, 1932, pp.205-206)むろん、そのあとは次のように続く、
これは、諸民族は抑圧に反抗してはならないということではない。抑圧に反抗するには、単なる民族的視野に立ってでなく国際的視野に立ってなすべきだと言っているのである。確かにラッセルは、ベトナム戦争に「国際的視野」を賦与するためにできる限りの活動をした。われわれが問題視してきたあの「正義」「理想」「全世界の人民の自由」「国際的責務」といったコトバも、ベトナム闘争の現実を記述したものととって訝るよりは、唯に願望を力強く押し出した言質として考えるべきだったかもしれない(事実と当為との文法的混同を注意深く調整した上で)。あらゆる方向から国際的視野を追いかけるラッセルは、集会、メッセージ、報道、裁判、デモ、といった精神面での支援にとどまらず、「ベトナム支援義勇軍」(主としてイギリスの青年から成る)の結成・派遣を呼びかけ(15)、また、コスイギン首相に対しソビエト空軍の提供を要請する電報を発信して世界を驚かせもした。(16)
ラッセル著書解題 |