松永芳市「西洋道徳と東洋道徳」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第14号(1970年3月)p.9.
* (故)松永芳市氏は当時、ラッセル協会監事
バートランド・ラッセルは、「東洋と西洋との幸福の理念」という論文の中で1920年代の中国の道徳と西欧の道徳を比較して面白い観察をしている。
「われわれ西欧人は、実際のところ、二種類の道徳を並列的に持っている。その一つは説教はするけれども、実行しないものであり、そして他の一つは実行はするけれども、口に述べることは殆んどしないものである」。説教する道徳とは、キリスト教の道徳で、日曜日に教会できくところのものである。実行はするけれども口に述べることは殆んどしないものというのは、競争的な産業主義の影響下に発達したもので、闘争という方法で達成される物質面の成功に導くところのもので、略奪者の力の道徳である。
東洋の道徳にも、キリスト教の道徳と同じように、仏教の道徳と老子の道徳がある。それは「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」といったようなもので、悪に対しても善をもって報いよ、悪人を善人にするにはそうすべきだというのである。かような「汝の敵を愛せよ」ということは、日曜日に教会へ行って、なるほどと感心するが、その他の時には略奪者の道徳を行使する。西欧は自然界を略奪し支配して科学を発達させた。」そして他国民を略奪し支配して植民地を造り、強大な近代的国家となった。この略奪者の道徳は実際的で、闘争により相手を負かし、成功を収めたが、負けた方は悲惨であった。アジア人も負けてばかりではいられぬというので、日本がこの道徳を学んで西欧の東洋に対する侵略に反撃し、軍事、産業の面で成功を収めた。
しかし、東洋の道徳には、もう一つの道徳がある。それは孔子の教えで、二千年間も、中国の文明の基礎を成した。「かように生き残るという異常な力を持った教えは、偉大な長所を持っていたに違いなく、そして確かにわれわれの尊敬と考慮に値するのである」と彼はいう。孔子の教えには、超自然的なもの、または神秘的なものがなく、純然たる倫理的な教えで、キリスト教のごとく、高尚すぎて一般人には実行できぬというものではない、「本質において、それは18世紀に存在した '紳士' というものの旧式な理想に非常によく似ており」、論語の中に「ほんとうの紳士(君子)は決して争わない、競争心が避げ難いとすれば、それは弓の試合の時である。しかし、この場合でさえも、射をする位置に着く前に、相手に丁寧に礼をする、試合に負けた時も、礼をして退き、罰杯を飲む。だからして争うときでさえも、彼はほんとうの紳士(君子)たるを失わない」とある。
孔子は人間としての義務と道徳とを述べているが、彼は自然の性と、人間自然の情愛に反するようなことは何ごとであろうと、それを無理に行うようなことは全くなかった。このことが次の対議の中に示されている。
葉公が孔子に次のように言って話しかけた、「わが国にまっすぐな正しい人がいる、彼の父が羊を盗んだ、すると子である彼は,その事実を証明した。」と---孔子は答えた、「わが国で、まっすぐな正しいことというのは、それとはいささか異なっている、父は子のために子の罪をかくし、そして子は父のために父の罪をかくす。ほんとうのまっすぐな正しいものがそこにある」と。
孔子はすべてのことがらに、道徳の面においてさえも、'中庸'で穏やかであった、彼は悪に対しては善をもって報いるべきではないと考えた。彼は、あるとき人から次のようにたずねられた、「悪に報ゆるに善をもってするという教えをどうお考えてすか」と。孔子は「そうすると善に対しては何をもって報いねばならぬだろう? それよりも不正に対しては正をもってただし、善には善をもって報ゆべきである」と答えた。
世界の平和は略奪者の道徳(支配者の力の道徳)では達成し難く、寧ろ常識的な儒教の道徳のようなものによるべきであることを示唆している。