バートランド・ラッセルのポータルサイト
シェアする

松永芳市「終局のない戦争(ベトナム戦争)」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第6号(1966年12月)pp.1-2.
* 松永氏は弁護士。氏は,終戦時天皇がいなければ「終戦」はあれほどスムースにいかなかっただろうと,天皇の役割を肯定的にとらえています。しかし天皇がいなければ,(天皇を利用した)軍部はあれほどのさばることは'できず,日米が闘った太平洋戦争はかなり様相が異なっただろうと思われます。

 むかし,ある法科大学で,「戦争とは国家間の武力による闘争なり」と単純明快に定義して事終れりとしていた国際法の先生がいた。戦争は果して国家間の闘争と言い切れるであろうか?

 むかしの戦争には,王朝と王朝との間の闘争であったものが相当多く,支配者が個人的な理由-自己の栄誉のために戦争を遂行したものも少なくなかった。こうした戦争には,人民の大部分が戦争に何の関心も示さないばかりか,かえってそれに敵意すら持って傍観したことがしばしばあった,とラッセルは『民主主義とは何か』の中で述べている。
 明治時代に日本が行った日清,日露の戦争が,王朝と王朝との戦争であったと簡単には断言できないが,日清戦争では相手が清朝であり,日露戦争では(相手は)ロマノフ朝で,その王朝が大きい役割をしたことは確かであったろう。日清戦争の場合に,もし清国人の全体がいや全体とまでは行かないまでもその大部分が,日本に対して敵意を持っていたら,日本の勝利はあれほど簡単には得られなかったであろう。このことはアヘン戦争でも同じことで,斜陽に立つ清朝が,英国と長く戦争をつづけたら倒壊する危険があったので,清朝の重臣らが協議し,英国の主張が言語道断なものであったにも拘わらず,背に腹はかえられず,屈辱的な条件で講和し,戦争を終局にしたものと見ることができよう。日露戦争においても,もし戦争が長くつづいていたら,ロシヤ国内に内乱が起る恐れがないとはいえなかったし,そういう意味でロマノフ朝の安全はおびやかされていたので,ロシヤは米大統領ルーズベルトの仲裁を好機として,その重臣たちが講和したのだといっても,少なくとも一面の真実を伝えるものといえよう。これに反してもしロシヤ人の大半が日本に敵意を懐いておって,どこまでも戦争をやるという考えにまとまっていたとしたら,日本の勝利はあり得なかったかも知れない,成る程,ロシヤは,旅順や奉天ではさんざん敗けていたにはちがいないが,もし日本がシベリヤ大陸のはてしない広野にひき入れられて,戦争がさらに多年にわたったとしたら,ナポレオンのモスコーの先例を引くまでもないことで,後年尼港などでパルチザンのため日本軍が全く苦境に陥って引き揚げたのと同じ結果にならなかったとは誰れが保証し得たであろう。日本が適当の時機に戈を収めて講和したことは極めて賢明であった。
 然るにその後の日本は,この明治の故知に学ぶことを忘れ,その指導的な立場にあった軍部は次第に驕慢になって,山東出兵を手はじめに,満州事変,日華戦争,太平洋戦争と,次々に戦争をエスカレートして,ついに敗戦の憂き目を見た。しかし,それでも,終戦に当っては,天皇の終戦の詔勅に,一億国民は涙を流して感激した。以来ここに21年,現在の復興を見るに至った。そこであの場合の現実の問題として,もし日本に天皇がなかったら,終戦は,そう簡単には行かなかったにちがいない。この場合には,とにかく伝統のある王朝が事実上終戦に役立ち,民族の再生に大きな役割をした一例だと考えてよかろう。

ラッセル協会会報_第6号
 日華戦争の場合には,相手に王朝がなかった。それで日本軍は中国の各地において一つ一つの戦闘には勝ったけれども,結果は辛うじて点と線を確保しただけで,遂にどうすることもできなかった。王朝のない場合の戦争はどうも簡単には終局しない傾向がある。誤解されては困るが,私はいまごろになって王朝が必要だなどと言おうとしているのではない,相手に王朝がない場合を当面の問題としているだけである。敗戦で国内に内乱が起き,反対派が勝って政権を樹立し,それとの間に講和のできた場合もあるが,国民の中の多数が敵意を持っている戦争においては,ことはそう簡単ではない。ジンギスハンの時代なら敵をみなごろしにすることによって勝利を得られたかも知れぬが,今日においては,かようなことは世界の許さぬところである。残された途は,はてしない戦争をつづけるか,英断を以て勝国側が自ら手を引くか,その二つに一つである。これが昨今の戦争の新しい局面の一つである。ベトナム戦争は,はてしのない戦争の様相を帯びていると私は観察する。はてしのない戦争を何日までもつづけては,結局は第三次大戦の危険を冒すことになろう。道は一つしかなくなったようだ。勝国を以て自任する側が,先ず手を引くべきである。残虐な戦争がわれわれのアジヤで毎日毎日行われていることに対し,私は心から憤りを感ずる。(了)