牧野力「ラッセルの民主主義について」- 日本バートランド・ラッセル協会主催 講演要旨
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第8号(1967年7月刊)p.4-6
* 牧野力は当時,早稲田大学政経学部教授,ラッセル協会常任理事/右上写真は,ラッセル協会主催(朝日新聞社後援)のバートランド・ラッセル生誕95周年記念講演会で講演中の牧野力氏<
1
著書六十余冊,新聞雑誌掲載論文無数と言われているラッセルの説く民主主義を,短時間にまとめることは,ある意味で,冒険的大仕事とみられるかも知れない。彼がA書に書いている内容がK書やP書にも表現されていることはよく見かけることであるからである(しかし,この事実は都合よい半面でもある)。戦後一九五二年,英国民に,民主主義について行った(BBCラジオ)放送内容を,『民主主義とは何か』(What is Democracy?)という表題で出版したものがある。(会報六号で松永芳市理事がその著書解題を行っている。)表題の内容の理解には便利である。更に関係あるものとして,『権力』(Power)なる一書もある。(昨年の講演会で,東宮理事が「ラッセルの権力について」という演題で講演されただけでなく,本書はラッセルの社会科学に対する考え方を知る上でも必要な一書でもある) 更にまた,一九一七年の講演集を一九六二年英国で処女出版された(松下注:米国では1917年に出版されている)『政治理想』(Political Ideals, 1917)(会報七号参照,入江一郎理事の著書解題的記事あり)もまた内容的に関係が深い。主として,これら三書において表題に関連しているところをとりあげつつ,ラッセルの民主主義について述べてみたい。
2
ラッセルは,民主主義の本質的なもの(Essentials),長所(Merits),適用限界と阻害要素,代議政治,権力,教育その他についてどういう見方をしているか,それらをみていくことが与えられた時間にふさわしい話し方かと思われる。
(a)本質的なもの
ラッセルは,民主主義の根源的な観かたとして,'The first and strongest argument for democracy is human selfishness' なる発言をしている。これは民主主義の意味づけとして,人間への洞察力の深さを示すものとみては誤りであろうか。そして,'寛容は絶対的必須条件なり"とし,"遵法精神の有無が民主主義成否の鍵である'と考えている。'民主主義は,個人的独創性と多数への服従という相反的性質を結びつけるむづかしい面を必要とする'と説く。
(b)長所
第一かつ最大の民主主義の長所は,(大規模の)残虐行為の抑制・防止にある。〔ヴェトナムとアメリカとの関係は後でふれたい。〕
第二の長所は,対立解消,不満打開の一方式となりうる点である。民主主義の浸透せる社会に目立つ姿として,次の面も数えられる。
イ)反戦的でありながら,戦力増強の力をもつ。'過去二百五十年間の重な(主な?,重要な?)戦争で必ず勝った国々は,少しでも民主主義に近づいた側であった',と挙証を行っている。
民主国では主権在民で,民衆は原則的には平和主義者で,狂信家でないが,独裁国や君主国では,その指導者に駆り立てられ,あるいは煽動されるから,好戦的な姿をとり易い。民主国が必ず戦力を強化しうるという理由は,国民が納得づくで戦争に立ち上るから,長期戦にも士気はそそうせず,また,政府批判の民主的機構が戦力強化の実をあげられるからである,と説いている。第二次大戦の事例から読者諸賢も納得される点が多かろうと筆者は思う。
ロ)国家を絶対視せず,国家元首への批判も行い,二大政党政治の行われている場合,反対党の(が)大統領への批判をゆるめないのは'健全な心性'であるとしている。また'自由'はそのような場合に保証される,とみる。
ハ)紛争中の事件の真相を,国民誰でも知りうるのは,「民主国か否かの真偽の鑑別基準の一つ」であると説いている。
ニ)少数派尊重の気風,法律尊重の気風,自由保証の気風などは民主主義のもたらすものである。
(c)適用限界
民主主義は絶対的最良方式に非ず,適用に限度あり。西欧に関する限り,民主主義以外のよき方式ありと考えるのは危険である。適用の成果に疑問ある場合として,全く文化的水準低き人々の国,相互不信の集団よりなる社会,互譲精神(give and take)の経験の乏しい国民などをあげる。〔教育の実効,思考性格,経済力などがこの適用限界を作る要素として考えられるものと筆者は考えたい。〕
(d)阻害条件
イ)狂信横行 'この思想のために一命を捧げ何人殺しても仕方ない'とまで思いつめることを戒めている。
ロ)共感基盤の欠如 左右両勢力の増大は民主化を妨げる精神的地盤を作る。
ハ)警察や軍隊の在り方,専門家活用方法なども,非民主化の条件となると説き,英国の警察,軍事予算の承認,労働立法の歴史などにふれながら例証する。
(e)代議政治
代議制を民主主義の本質的部分と認めるが,権力配分問題や代議士選出方式如何などの問題を重視する。代議制を不成功に導くものとして,民主主義に新しい危険をもちこむものとして,代議政治の現状の分析を行っている。代議士が当選後は国民を忘れ,国会を絶対視する如き傾向を批判している。
地理的選挙方式に対し,職場的方式あるいは思想的方式を検討し,選挙民の無関心さに由来する条件を考えて,労働組合的方式の採用を示唆する。(『権力』参照)
(f)権力
前述の如く,ラッセルの'権力観'は注目すべき点である。社会科学は,権力がいろいろの姿を呈して人間生活を支配する関係について,その法則をつかむのを本務とすべきである,という主旨のことを述べている。
そして,その権力悪の対策として,権力の配分,民主主義にふれるのである。
人間誰も権力の座につくと,号令主義,命令主義の癖が出る。権力の配分の正しさはここにも在るといえよう。
(g)教育
ラッセルには,独立した'教育論'の著述が多い。ここでは民主主義との内面関係からみた点について考える。
民主主義の本質的なもの,長所,適用限界及び阻害要素などには,教育と相関的関係をもつものが少くない。教育に'実効'があれば,民主主義を育成することになる。(この場合の教育は,教育ママの念願するもの,レッテル教育の目指すものとは程遠いものであることは勿論である。)
階級的教育,国家主義的教育は否定され,人類的課題に主体を置く教育,世界政府に貢献する教育,個性的創造性を重視する教育こそ支持される。教育が方向を誤り,本質的意味を欠くと,衆愚に堕し,煽動のとりことなり易い。アメリカに対する批判の中には,この観方がないとは言いにくい。(『人類に未来があるか』の中で,アメリカの反動性を指摘している。)
ヴェトナムヘのアメリカの侵略は,ひと握りの資本家が資源独占支配を企図し,アメリカの国民的伝統を米国民より奪い,私益追求のために私用化しているもの,とラッセルは非難している。
最後に,ラッセルは人口増による集団規模の増大が,能率のために人間を細胞化するが,大組織が個人的独創性を育成しない限り,組織体は老化し,崩壊すると言う。その対策として集団の対内民主化の必要を強調する。間接民主主義が直接民主主義を指向する時,どこに,何に,その具現策を見出すかという問題が出る。これは,現代的課題であろう。ラッセルが,代議政治が民主主義に新しい危険をもち込んだと指摘しているのは,間接民主主義のうみ出すもののことで,議会政治への不信は西側における共通事象である。中共の文化大革命も本質的には直接民主主義への努力でもあるかもしれない。
民主主義の論理はラッセルによって示されている。しかし,大集団の直接民主主義化という問題は西と東との別なく,現代人の工夫を要請している。そのために,考え方と技術と制度化の面で革新的発想を要請しているのではあるまいか。民主主義と集団性とが互にもつ論理関係の調整は,これからの問題であるのかも知れない。