[牧野力「今は昔」(『エプシロン(Epsilon)』(早稲田大学政経学部一Eクラス文集)v.1(1961年4月刊))より抜書]
・・・。 私の卒業当時(昭和8年)もそうだった。(もっとも、当時は1960年代とちがって不景気だった。「大学は出たけれど」という言葉が巷にころがっていた。履歴書の5,60通書くのは当たり前と思われていた。1ケ月三食で下宿代30円。授業料は年間120円だった。英文科60名の中、その年に就職した者約2,3割。NHKの集金係も羨ましがられ、手弁当で働く劇場の助監督になった」男も。・・・。
サテ、私も、7、8人と(一緒に)東京朝日新聞社を受けることにした。・・・。学校当局が、大先輩で、同社の大幹部某氏を招き、彼はわれわれ後輩にこんな話をしてくれた。新聞記者になるには、・・・(身体強健たること、工夫力かウィットのある素質、学者並みの研究心と不抜の持続力の3ケ条)。(私は一次の筆記は通り、二次面接で落ちた。)・・・。
こう言われてみると、この3ケ条は、敢えてジャーナリスト志望者に限らないような気がする。・・・。大学生活は、片や就職準備、レッテル獲得、専門技術習得、・・・にありと、その狙いを指摘する人もいる。しかし、私は、生涯取り組めそうな、真剣になれる問題を見つけることこそ、(その方面と問題とかは何であってもいいい)入試準備の苦労と高い月謝と4年間の生活とに意義を与えるものと思う。何でもいい、生涯取り組む問題を自分の内側からの呼び声に応えて、掴んでほしい。
諸君、元気で楽しい想い出と青春を・・・。