ラッセル関係電子書籍一覧 |
A-1 高度成長の波に乗って,国民の間に中流階級的意識が普及したこと。(真に中流階級になることとは別である。自家用車で銭湯へ行ったり,6畳(の部屋)でステレオに酔ったり,日曜目に帝国ホテルで夕食したりする気分といったアンバランスな中流階級意識は虚偽意識である。*1)細分すれば,もっと広くかつ細かく指摘できよう。以上は読者の印象でもあろう。
A-2 マルクスの予測した'窮乏化論'通りに必ずしも資本主義社会が行っていないと感じ,社会福祉,普通選挙,労働組合運動の社会的影響力増大などが不充分ながら実施見聞されていることから,'マルクス離れ'が見られること。
A-3 低成長に落ちこんで,失業とインフレとに苦しみ,資本の論理と権力との癒着による環境汚染や公害が顕著になるにつれ,社会主義への回帰が目立ってきたこと。
A-4 ソ連の国内事情と対外政策とに一般国民が関心を抱き,旅行やマスコミにより,体験的裏付けをもち,戦前のような親ソ容共か,ソ連恐怖か,敵視か,という極端な受け取り方やヒステリー的反応から,落着いた心情で自主的に再検討する余裕ができたこと。
A-5 共産主義指向(→志向)の嘗ての兄弟国であったソ連と中国とが根深い対立論争を始め,また,「プラハの春」その他で,大国主義的なソ連外交の現実への批判が,社会主義を改めて問うという風潮を盛んにしたこと。
A-6 前述の4と5と関連して市民社会の伝統をもつ西欧に西欧型共産主義が前面に大写しになり,ソ連型共産主義の'プロレタリア独裁'の看板をおろしたことや'労働者自主管理論'が1960年以降から内外の注目を集め,論議されていること。
科学的社会主義:社会主義であることの不可欠の基本理念として,次の表現は引用に値いすると思われる。
マルクス・エンゲルスによって代表される社会主義で,唯物史観に基き,剰余価値理論をもつ。資本制的な矛盾の必然的展開の行きつく到達点に社会主義的秩序があらわれると考えるから,労働階級がこれにより自信をもち,また,足下の資本主義社会の矛盾を理論的に解剖してみせる武器が剰余価値思想として練り上げられている。労働階級の斗争意欲はこれによっていよいよ盛んになってゆく。かくして,『資本論』を古典とするマルクス主義は近世社会主義の主流をなし,社会主義思想であると共に社会主義建設のための労働者の政治斗争でもある。第一次大戦後,社会民主主義と共産主義とに分裂する*3
ギルド社会主義:
先進資本主義国である英国では,マルクス主義は根をおろさず,中央集権主義や政治斗争中心主義に反対する。むしろ,`産業自治'の理論による'国民ギルド連合'による社会主義社会を目指す。労働組合の自主的地位の尊重と資本に対するその直接的斗争を強調する。*4
サンジカリズム:
組合(サンジカ)を資本主義社会における斗争の主体とし,プロレタリア革命後の未来杜会における基礎組織としようとする理論と運動である。ラテン系諸国に盛んである。サンジカリズムはマルクス主義に対し,(ベルンシュタインの右翼的修正に対する)左翼的修正と呼ばれた。サンジカリズムの特徴は、(イ)斗争手段として,経済行動・直接行動,つまり,ボイコット,サボタージュ,ゼネストを行い,終局的に資本主義打倒に向う、(ロ)代議士への不信から,政党・議会・政治運動を排撃する、(ハ)民主主義政府形態が労働者をだますという讐戒心が強い、(ニ)反軍国主義・友愛主義が強い*5
社会主義の本質は,労働力商品化の廃止,あるいは,労働階級が主体的に再生産を運営することである。*6一見簡単にまとめられたこの字句の中の概念規定,概念構成における比重のかけ方のちがいで,定義の差も生れるが,それらを実現する方式の差が一層諸派に分化する原因になろう。そしてこの字句の諸概念の関連する事項が,実践・移行の領域に及ぶと,多様化せざるを得なくなる。そして,その背景として,民族的・文化的な背景・民度や国民性が厳存するのではないかと思われる。
(イ)創意を発揮することが,ソ連では絶対いけないんだ。スローガンの一字一句からすべて事前検閲を徹底的にやられる。一番楽をしようと思えば,上の言うがままにやりさえすればいいわけだ。たとえば,ソ連側が官製でつくってきたプラカードを持って歩けばいい。(p.36)
(ロ)われわれの大学の中には,学生の思想動向の調査機関が大別して3種ある。秘密警察;ソ連共産党中央委員会系統の機関;ソ連外務省系列所属機関である。(p.37)
(ハ)青年の考え方は,なるべくいい学校をでて,いいところへ就職して,いい賃金をもらって,いい奥さんをもらって,楽な生活をしたい,ということになる。これは,大学生や比較的家庭的に恵まれた青年に非常に強い。生徒も(先生も一番まじめで標準的な人でも),いい大学を出て,その間に入党して党員になる。そして,卒業して出世コースを歩み,高級アパートをもらう。エリート・コース以外の考え方をしない。(p.136)
(ニ)ソ連の技師は海外援助で後進国に赴任すると,現地で貴族的生活が送れる。自家用車も高級住宅にも住める。実質は往年の白人のだんな方と同じだ。だからソ連に帰りたがらない。現地の人民は援助の実態を実感している。(p・17)
(ホ)ソ連で,党員は非常に「有能な人間」であって,指導性もあり,ずいぶん努力もし勉強もしている。そういう人物が入党資格をうる。日本でいえば,高級官僚になるために国家試験を一生懸命に受ける人と本質は何ら変らない。個人として,思想を抜きにすれば,まさに非の打ちどころのない非常な努力家で,まじめで,指導性もある。しかし,その人はどこまでも,自分自身のために党員になるのだ。自分の出世,栄達,よい生活のためにやる。その心情は,昔の日本で高級官僚になる努力家と同じである。党員になって,人民大衆に奉仕するとか,そういった観点はほとんどない。(P.98)
(ヘ)ソ連の党は誰も知るように伝統ある党で,優秀な人々がたしかに結集している。それでも,党員体質の変質の現象が起こる。この点が一番重要な問題だと思う。これは,じつはなかなか見抜けない。(p.50)〔下線筆者〕
(ト)どんな強大な党の場合でも,人民に奉仕する観点を失ない,人民大衆の批判を受けいれて,自己批判をつねにやっていくという態度を失えば,一体,何が起るか。これは,まさにソ連の現実が具体的に物語っていると思う。このことは,特に権力を取った後の党の問題,プロレタリア独裁下で階級斗争を推進する問題につながることで,非常に深刻な問題だと思う。(p.51)〔下線筆者〕
(チ)ロシア人が革命的な創意性とかいったものをやることはきわめてむづかしい。それには生活がかかってくるわけですから。だから,一般大衆に政治的無関心,逃避,それから,情熱も誇りも失なっていくということが,制度的にも出てくるんじゃないかと思います。(p.53)
(リ)党と人民との関係で,人民は党の指導を受けるべきものであって,一方交通なんです。党は指導,人民は服従'という公式になっている。エリートがおくれた広範な大衆を指導する形だけが残ると,結局,ファシズムヘ行きついてしまう。現行の経済制度の改革で,有能な人間はますます多くの賃金をとれるようにしている。これは,人民大衆の上にあぐらをかいている党員,ならびに,指導層が自分たちに都合のいい政策を打ち出していることを意味している。(p.44)〔下線竈者〕
(ヌ)人民に奉仕するという観点がソ連共産党の場合,いつか知らないけれども,決定的に忘れ去られてしまって,今の様な絶対主義的な支配体制というものを形づくることになり,そのなかで,次々と指導者たちが自分たちの私利私欲を計って,自分たちも腐敗していく。その結果,ソ連社会全般が変質してゆくわけですね。(p.44)
(ル)コメコンは,国際分業の理論に基いて,それぞれの国々に専門分野を割り当てた。その結果,東欧の各国の産業構造は片寄り,ソ連への経済的従属度を強めることになる。特に農業部門を担当する国にとっては歩が悪いです。農業生産は工業生産にくらべると,常に立ち遅れていくわけですから。そして,ソ連から粗悪で高価な工業製品を買い,安く農産物を売り渡すことになる。(p・294)
(ヲ)スターリン時代には,ソ連の基本的には正しい政治路線も,その具体的なやり方,民族政策などでは粗暴な押しつけが随分あった。フルシチョフ時代になると,路線の面でも完全に誤り修正主義におちいり,資本主義の復活を推進し始めた。そうなると,ブルジョア大国主義的な強引な押しつけが全面的に強まり,ここから先,東欧諸国はソ連の植民地的従属国に急速に転化して行ったと思います。(p.293)
(ワ)いわゆる中・ソ論争に対する各国の党の態度のちがいは,われわれには,モスクワにいて非常に教訓的だったわけです。一つ典型的なのは,ソ連のやり方だ。ソ連人民に中国の言い分は一切知らない。北京放送も文献も許さない。中国の見解を知ろうとする人間に対しては,おどかすわけだ。ソ連の論調,党の論調だけ知らせる。それで,ソ連国内の世論形成は非常に早い。朝,党なり政府なりの見解を流せば,夕方には,全ソ連国民がその意見で一致している。それをウノミにする。こういう問題に対処する際に,ソ連共産党指導部は,まるで街のヤクザのような態度をとる。ソ連は,国家権力という物理力にすがって,中ソ論争問題に対処した。その結果はどうなったかといえば,国内だけは一応一時的に抑えることができた。しかし,外国の共産主義者の口を閉ざすことはできない。ここの分野では,どうしても論争しないわけにはいかない。所が,国内では長い間思想斗争が軽視され,理論斗争がまともに行われていなかったために,ソ連共産党の理論水準は今日では極めて低く・実にお粗末なものだ。だから,初めから,国際舞台では論争にならない。ソ連側は理論には理論で対決することができないで,物理的に阻止しようとするわけである。(P.139)
(カ)思想斗争というものは,異った意見,異った思想というものを対比して、その間の思想的な斗いが行われて,その結果真理が勝ってゆく。そういう斗争で鍛えられないマルクス・レーニン主義はそれこそ保育器に入れたような官製のマルクス・レーニン主義で,これがいかにマルクス・レーニン主義でないものになって,腐ってしまうかという好例がソ連の場合だと思う。(p.140)
今のソ連には,社会主義建設を進め,共産主義社会をつくる場合に,思想斗争が根底になければいかんという観点かひとかけらもない。これが決定的問題だと思う。(p.141)〔下線筆者〕
(ヨ)そもそも,ソ連の唱える「物質的関心の法則」とか「利潤追求」で共産主義が建設できるのであれば,日本やアメリカはとっくの昔に,共産主義国になっている筈だ。(P,142)
(タ)革命の後継者をどう育てるかということは,われわれがモスクワで学んだ最も深刻な教訓の一つだった。これは全人民の運命にかかわることであり,従って,人民大衆に百パーセント信頼をおき,徹底的にプロレタリア思想で教育し,改造していく以外にはないと思います。スターリンにはこれができなかったし,そうした観点がなかったのではないかと思います。スターリンには大衆路線が欠けていたことが出たが,この問題はほんとうに深く考える必要がある。ソ連の変質の原因はスターリンの指導していた時代に存在していた。実はスターリン時代に,既にブルジョア実権派が存在していたんだと思う。内因を明かにすることができず,単なるスパイとして行政的に処理してしまう。スターリンは個人としては,なるほど偉大な人物だったが,後継者を育てることができなかったことは彼のやった大きな失敗の一つだった。自分の眼に怪しい者を秘密警察を使って,行政的措置をとったり殺したりした。人民大衆は真相を如らされず,政治に対する恐怖心ばかり養われることになった。それで唯ひたすら,盲貝的,無批判的態度でスターリンについて行った。(p.239)〔下線筆者〕
レ)何世代も,世代が交代しても永久に変色変質しない社会主義社会をつくろうと思えば,何億という人民大衆の力にたよる以外方法はない。こういう観点はソ連には全くない。(p.240)〔下線筆者〕
チトーは1943年国民解放委員会による臨時政府首斑となり,1945年連邦人民共和国首相になったが,いわゆるチトー主義が1947年コミンフオルムから,その民族主義的政策や農業政策を批判され,以後急速に対外的に西欧陣営に接近したので,ソ連系列の社会主義者からは異端視されてきた。しかし,ナチスからの解放,独立を求める人民戦線を基礎とする人民民主主義の政権である。チトーの理論はソ連型でない社会主義への道,つまりプロレタリア独裁を経ないで,社会主義建設をするという理論を骨格としている。農業国ゆえ,農民こそ国家の土台であるとしている。第2次大戦中の抵抗運動を行った地方農民、ことに富農層に論功行賞が行われ土地改革の免除があったし,人民組織の終身的ボスとなってるところから,ユーゴを官僚の軍事的フアシズムの国家体制とみる人も多い<*9。ユーゴの関係資料で気づいたことは,日本における1950年以前の出版によるものは,概してソ連型共産主義観による判断のものが多い。ユーゴ社会主義が現実に抱える問題意識に注目した具体的研究でないと,それら解説内容は1948年6月のコミンフォルムのユーゴ批判と同曲であり,突込みも足りない。しかし,ユーゴの現実が内包する問題点に研究課題を絞った1960年以降の資料から具体的な問題点を如ることができる。
ユーゴの社会主義体制:中国:
政治的には,一党独裁を前提とした上で,可能な限り政治的自由を保障し,経済的には,生産手段の社会有を前提とした上で,経済運営の根本原則に、労働者自主管理制を採用する。伝統的なソ連型の官僚的国家社会主義主体制とは異った独自の社会主義路線を歩むことになる。この意味で1953年のスターリンの死によって動きはじめた1960年代後半の東欧諾国における経済改革の先鞭をつけたと言えるであろう*10。
1948年6月,ユーゴがコミンフォルムに除名されて,ソ連ブロックと対立し,ソ連型の官僚的集権化計画を解体,国家権力と経済体制の地方分権化,直接生産者いわゆる労働者の自主管理制度の導入を決定した。
ユーゴ共産党自体も1952年の第6回党大会で名称をユーゴ共産主義同盟と改め,政治・行政・経済の直接の支配から遠ざかり,政治上イデオロギーの先導者へと変りつつある。1958年4月の第7回党大会で採択した新綱領には,共産党による政治権力の絶対的独占が普遍的かつ永遠の原則であるという声明を,`我慢のならぬドグマ'と断じ,人間を政治目的の下に従属させることに反対し,社会主義の最高の目標は正に個人的幸福であると強調している。 綱領に,また,ユーゴ社会主義の核心とも称すべき労働者自主管理制度を改めて織り込んでいる。生産手段たる企業は,労働者に譲渡され,その運営を委任されている。一般労働者から選出される「労働評議会」が中心となり,同評議会は「経営委員会」を選ぶ。労働評議会代表,労働組合代表,(日本の市町村に当たる)コンミューン代表で構成する「特別委員会」か企業長を決定する。
労働者自主管理制度では,製品の種類,生産高,価格を自ら決定し,利潤を自ら分配するという利潤方式を採用する。企業間競争により,生産拡大・品質向上を促そうとしたわけである。社会主義競争原理の導入であり,東欧,ソ連より10年前に既に利潤方式の実施に決断した。直接民主主義を標傍するユーゴは,市場制社会主義という独自の路線を歩んだが,経済的効率性,社会主義的生産力向上という視点から,国内は勿論,対外的な企業間競争を促進を目指す分権派と経済分権化政策に反対する集権派との間に抗争,論戦があった。
チトー大統領は,しかし,自主管理制度強化のため,過去の市場メカニズムの導入採否に当っても,何度か,イデオロギー的哲学論争をふくめた党内論争を認めた。これが,結果的には自主管理体制に対する国民の支持を強固にし,かつ,経済改革に協力する国民的合意を生ませた。ユーゴのような経済成長の成熟段階に達していない国はブルガリア式に計画化即国有化を行い,統制色を濃厚にすべし,という批判がある。これに対して,社会主義的混合経済のメリットを最大限に追求し,市場制社会主義へ到る試行錯誤の連続は,結果的には,経済発展と並行し,自主管理体制の強固となり,社会主義社会に前進する最高の経済的革命手段となるという確信をもっている。
新憲法は,ユーゴ社会主義が幾多の試行錯誤を経て,改正条項の積み重ね集約的大幅改正を行った。これは81才のチトーの死後への布石的意義をもつが,注目すべき点も多い。
国家元首(大統領)の一年交代輪番制,幹部会員の交代就任
連合労働基礎組織(Basic Organization of Assoiatiated Labour 略称BOAL)と呼ぶ,企業,施設などの生産活動;研究活動;文化活動などの職場毎に,存在する新しい概念の勤労者グループの基礎単位が生れた。この存在,即ちBOALの承認がなければ,働く者の賃金の額は決定できないこと。
代議制の欠陥を補い,末端労働者の発言権強化のために,政治(選挙)の基礎単位の考え方を,将来の居住的観点(地理的選挙区制)から生産的観点(職場的選挙区制)に移し,労働者に,職場細胞組織と居住地区組織との2組織を通じ,1人で2人の委任代表を送り込める1人2票投票制度を採択したこと。
BOALの構成員数を,人数の増大で,“直接民主主義''の実践が困難となることを避けて,上限を百人程度に置くことを理想としている。BOALの真の狙いは,自主管理と国家統制の併立という二重構造を解消するにある。労働者,末端労働者の思想教育や経営訓練の強化によって,テクノクラートの優位性や労働者の集団エゴイズムの抑制を果し,企業聞の協調性を保証するために,労働者の質的向上を目的とした教育訓練に全力をBOALは傾けることにある。
新憲法の骨子は,社会主義の権力を中央から地方へ,上部から下部へ移そうとしている。*11。〔下線筆者〕.
文化大革命を契機として,中国の社会主義はソ連の社会主義と全く異った建設の路線を歩み始めたことは明らかであったと言わざるを得ない12。社会主義社会建設路線でソ連と中国とはどこがどうちがうか,を知ることは,現実理解への前提となる。日本におけるマス・コミが提供した資料の理解にも役立つのではあるまいか。
ロシア革命におけるソヴィエト(評議会)は生産の労働者管理のためのプロレタリアートの統一的機構としては現実には存在しなかった。それは何よりも革命的危機の瞬間における政治的権力奪取の機関(蜂起の機関)として実在したにすぎない。権力奪取後(1918年1月)のレーニンにとって,労働階級の自主的組織たる工場委員会による「下からの改造」のみが革命ロシアの経済建設の基礎を構築する「ただひとつの道」であった。しかし,この「下からの改造」の道は,その後僅か3ケ月もたたずして完全に転倒してしまう。レーニンの労働者管理についての右翼的後退は,国内戦と経済における集権化,軍事組織化の強行とによって,拍車をかけられた。そこでは,レーニン主義の理想「すべての人々がある期間官僚になり,従って,誰も官僚になれない状態への移行」というテーゼは現実問題のためにしりぞけられた。労働者権力の後退と党による代行としての独裁へと変らざるを得なかった。そして,レーニン主義は,スターリンを経て,今日ソ連邦に引継がれて益々拡大再生産され,社会主義が単なる生産手段の国有化と党・技術官僚による代行という「プロ独裁」へと歪少化されてしまった。ブルジョア国家の政府を打倒したからと言って,必ずしもプロレタリア革命であるわけではない,という発想には革命を国家権カの打倒だけに集中思考するのではなく,革命を全人民・全民衆の意識の変革の次元にまでも拡大しているからであろう。そこから,レーニンとイタリア共産党員グラムシとの対比が生まれ,それは'`前衛'が'プロ独裁'を'代行'することの限界とも関連してゆく。
しかし,ブルジョア社会から引継ぐべきものは機能であって,そこに内在するブルジョア的特質は果して,「プロレタリア的ソヴィエトに従属させること」でどこかに消え去るものだろうか。たとえ生産管理の主体がブルジョア的専門家から労働者出身の専門家によってになわれれば解決する,と考えるのは楽観主義者か現実への無知でしかない。レーニンは承知していても,革命を持ちこたえること,生産性向上を一切に優先させること,中央集権化を専心志向したこと,からロシア革命直後のプロレタリア国家の細胞=生産の社会的管理と攻治的民主主義の続一的機構としての評議会-工場委員会の展望は姿を消した。コミンテルン第7回大会の反ファッショ人民戦線戦術によって,最終的にSOVIETは死んでいった。*13
グラムシにあっては,プロレタリア革命は政治権力のレベルにおいて指導的階級たることを目指すと共に,社会的文化的領域においても,ブルジョア社会の伝統的人間関係,価値観,イデオロギーの変革をそこにおけるプロレタリアートのヘゲモニー(知的道徳的ヘゲモニー)を打ちたてることが不可欠の要素として把えられている。以上には,主体である労働階級の適性的な在り方の問題と前衛の代行という問題とが出ている。それを権力奪敢時機の前後とのかかわり合い方も関連する。そして労働階級自身の姿勢が不可欠のきめ手となってくる。これは論争点の第1である。
プロレタリアートは,政治権力の奪取以前においても,ブルジョア文化とイデオロギーとのヘゲモニー斗争において自らを鍛えあげ勝利しなければならない。このことを抜きにしては権力奪取もまた不可能であると共に権力奪取後の社会主義建設においてたちどころに困難な状況に直面することを,グラムシは強調している。民衆的分子は'感ずる'けれども,いつでも理解し,あるいは知るというわけでない。知的分子は'知る'けれども,いつでも理解するとは限らない。とりわけ'感ずる'とは限らない。
知識人の誤診は,理解することなしに,とりわけ感ずることも情熱的であることもなしに(知ること自体についてばかりでなく,知る対象についても)知ることができると信ずる点にある。知識人は知識人でありうると信じている点に誤診がある。知識人と民衆(国民)との間の感情的結合がなければ,政治-歴史は行われない。
この「知識人」を党に置きかえ,レーニンの『何をなすべきか』における意識性と自然発生性との関係の対比でみるならば,グラムシは,より大衆の自然発生との内在的結合を追求したと言えよう。レーニンの比較的政治的指導主義に対して,グラムシは比較的知的道徳的指導主義である。*18〔下線筆者〕
「'革命'が絶対に不必要だと言い張るつもりはないが,革命が黄金時代への近道にならないことを判ってもらいたい,と思う。個人的にせよ,社会的にせよ,'善い生活'への近道はない。'善い生活'を築きあげるには,知性と自制心と同情心を身につけねばならないからである。これは量的な問題であり,漸進的改革と幼年期の訓練と教育上の実験との問題である。唯,性急な心情から,突然の改革の可能性を信仰するように一部の人々が早まるのである。」*17ここに,彼が組合社会主義者となる背景の一つがある。彼が労働組合運動の拡充を平均点の高い,変革への道として考える理由がある。実力行使や暴力革命をできるだけ避けるのは,それにより生起する連鎖反応を断絶しにくいこと,無駄な消耗の原因を増し,社会建設を遅らせることを考えるからである。暴力革命による生産財の破壊は革命の後退因とみる。
方式別→ | 集権主義 | 分権主義 | ||||
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国別↓ | ||||||
ソ連 | プロ独裁 [前衛党の執権代行] | 国有・計画 統制方式 [生産性向上の為利潤導入制を実施] | 思想統制・ 検閲徹底 | |||
中国 | プロ独裁 | 計画経済 | 思想指導 | 党指導と官僚主義批判の大衆路線との並行 | 利潤導入制でなく,社会有による人民公社方式で生産性向上を計る | 大衆奉仕精神・社会意識の深化・拡充を目指す 〔文革・永続革命論〕 |
ユーゴ | プロ独裁〔前衛党官僚〕批判,直接民主主義の拡充を目指す。 | 社会有と利潤方式導入による労働者自主管理の実践 〔企業エゴによるインフレの危険あり〕 | 全労働者連合体は自主管理と国家統制との二重構造の解消の為,労働者の政治・経済・文化面の質的向上の教育訓練を試みる。 |
「ユーロ・コミュニズムは,市民的・政治的自由の擁護・多数政党主義よりも高く,より包括的な野心である。それは,今日共産主義の大きな裂け目と思われるもの,即ち社会主義の計画の出発点に自由を組み入れる能力の欠如を克服するということである。」〔p.31〕(下線筆者)プロ独裁を'放棄'したと言われ,ユーロ・コミュニズムの一員である仏共産党は,自主管理を公約する仏社会党との連合政権を目指す協約を締結した後で,国有化問題で社会党と分裂した。'放棄'が分権指向を示すものか,'権力掌握への世界的戦路'の姿勢なのか,部外者には,真意不明である。唯次の点は内輪にみて事実かとも思われる。
「今日では'独裁'という言葉は,われわれが望んでいるものに対応していない。それは,われわれの希望やテーゼに反する容認しがたい意味合いを含んでいる。」(ジョルジュ・マルシェ)〔p.52〕
「'革命'が絶対に不必要だと言い張るつもりはないが,'革命'が黄金時代への近道にならないことを判ってもらいたい,と思う。」また,社会改革の内面構造を'トータル'につかむと,次の表現になる。
「個人的にせよ,社会的にせよ,'善い生活'への近道はない。」社会主義は人間の協同社会,分権,人間解放を離れては無意味とするならば,個人と制度との相関性を,権力衝動への教育実践の体系がもつ相補性を生かすプログラムがない限り,「知性と良心の唯のデッサン」となりかねない。この所は次の言葉になってくる。
「'善い生活'を築きあげるには,知性と自制心と同情心を身につけねばならないからである。これは量的な問題であり,漸進的改革と幼年期の訓練と教育上の実験との問題である。唯,性急な心情から,突然の改革の可能性を信仰するように一部の人々が早まるのである。」要するに,強権による集権主義は部分的には有形的・物質的生活水準の底辺向上に役立ち易いが,無形的精神生活の向上には限界を生み易い。それは人間の権力衝動の方向づけを怠り,抑制の体制の故,人間の協同性,自発性,創造性の育成を制度的に抑圧する反民主的実体を作り易い。また分権主義や自主自治方式の成否は,個の実状によってその鍵を握られる。集団を包む制度と集団が包む個人の実体との分権的調整が社会主義の目標達成への条件である。だから,1920年訪ソから帰ったロシア革命論の中で,「社会主義への道の成功は,労働者の自主管理と労働者の自覚的向上の実践にかかる」と確言していた。1952年(スターリンの死亡の前年),BBC放送で,英・仏の勤労者が自主管理と連合制とを復活させる必要を強調している*25。
「マルクスは資本主義の分析の結栗,こうなるであろうと,慎重に禁欲的に予想を示唆した。この執筆態度は解釈の多様化と混乱の原因ともなった。この点に深く反省する必要を感づる。」*27大内力教授のこの良心的発言に敬意を表したい。