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いかなる政治理論も,成人男女だけでなく,子供たちにも適用できるものでなければ,適切とは言えない。理論家は子供を大抵もたないか,あっても,若気の至りである騒がしさに自分の仕事を邪魔されないように綿密に隔離して仕事をしている。理論家の中には,教育に関する書物を著わしてもいるが,それを書いている間,自分の心に現実の子供を一切想い浮べたことがない,というのが通例である。・・・子供らについて知っていた教育理論家たちも,必ずしも,常に,教育の究極的な目標を十分に自覚していたとはいえない。つまり,年齢が進んだ者たちへの〔教育上の〕指示はどうすればよいのか,といった問題をうまく扱えるほど,十分に自覚していなかったのである。
この問題に関して,他人の諸著作にありうる欠陥を何であれ,補うことができるほど,私に,子供や教育に関する知識があるわけではないが,社会改造の如何なる願望にも,一つの政治制度としての教育の問題が内在しているものだ。そしてそれらの問題(は),教育理論に関する著述家たちによって,考察されないのが普通である。私が検討したいと思うのは,この種の教育問題である。*1
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〔1〕On Education, especially in early childhood, 1926.〔邦訳;『教育論』〕前者は,彼が二児を育てた体験を,英国の一般の両親に語りかける教育資料的な体験談の性格をもつ。今日の日本の少年少女の非行や暴力などに関連する問題への示唆も含まれている。生後三ケ月以降から大学生にたるまでの教育に関する両親への提言があるからである。子をもつ両親の一読をすすめたい。後者は,教育と社会体制との関連を述べたもので,世界市民としての教育に言及するやや本格的な教育論という印象を与えるものである。
〔2〕Education and the Socia1 Order, 1932 〔邦訳;『教育と社会体制』〕
〔3〕Princip1es of Social Reconstruction, 1916〔邦訳:『社会改造の原理』〕
〔4〕Mysticism and Logic, 1918 〔邦訳:『神秘主義と論理』〕
〔5〕The Prospect of Industrial Civi1isation, 1923 〔邦訳:『産業文明の前途』〕
〔6〕The Conquest of Happiness, 1930
〔7〕In Priase of Idleness, 1935〔邦訳:『怠情讃歌』〕
〔8〕History of Western Phi1osophy, 1945〔邦訳:『西洋哲学史』〕
〔9〕Unpopu1ar Essays, 1950〔邦訳:『反俗的評論集』〕
〔10] Fact and Fiction, 1961〔邦訳:『事実と虚構』〕
〔11〕Dear Mr. Bertrand Russe11, 1969〔邦訳:『拝啓バートランド・ラッセル様』〕
1914年から1918年に至る大戦は私にとって,何も彼も,変えてしまった。学究的な仕事を止めて,新しい性格の本を書き出した。人間性についての考え方も一変した。清教徒の生き方が人間の幸福を促がすことにならないことも,初めて確信できるようになった。死の惨めな光景を目にして,私は生あるものへの新しい愛を覚えた。おおかたの人間は,破滅を招くような'憤り'にはけ口を求める底知れぬ不幸にとりつかれていると,確信するようになった。そして,本能的な喜びを拡げることだけが良い世界をもたらせる,と確信するようになった。*2ラッセルの前に立ちはだかった疑問は,人間をあのようにさせるものの正体は何か,であった。この正体究明は,やがて,97歳の生涯を閉じるまでの彼のその後の歩みに大きく影響を及ぼすことになった。
(The War of 1914-18 changed everything for me. I ceased to be academic and took to writing a new kind of books. I changed my whole conception of human nature. I became for the first time deeply convinced that Puritanism does not make for human happiness. Through the spectacle of death I acquried a new love for what is living. I became convinced that most human beings are possessed by a profound unhappiness venting itself in destructive rages, and that only through the diffusion of instinctive joy can a good world be brought into being. (The First War))
〔And so the great march towards disaster went on. I asked my se1f if there were no sane man in the seats of power. At the 1ast possib1e moment,the answer came; Yes,there was one same man. It happened that he was on the side of Russia. This was unimportant accident. His sanity saved the world; and you and I sti1l exist.](米国はソ船臨検強行策を発表し,ソ連は臨検強行には報復あるのみと対抗した。)
そして,惨事に向けて大がかりな動員が止まなかった。権力の坐にある元首の間に正気な人が誰もいないのかと私は自問した。やっと,ギリギリの瞬間に,私に回答が属いた。`そう'!一人正気な人がいた。その人はロシア側だった。それはどうでもよい。彼の正気のおかげで,人類が救われた。そして,君も僕もまだ生きている。〕
日本の初等教育は,'知性抜きの詰め込み教育'(instruction)の見地からすれば,世界で最もすばらしい能率をあげた国である。また,天皇崇拝という強力な信条と迷信の助長とに成功した国である。*24そして,ジェスイット派の教育に似たところがあると言う。'知性抜きの詰め込み教育'とは,子供の自発的思考力養成,懐疑精神の育成,真偽鑑別力の養成などよりも,知識技術の暗記を優先させることを指す。思考の柔較性を欠き,総合性に乏しい,直線的思考者の資格があると評し,中国人と対比している。*25 最後に銘記すべきものは,ラッセルの「平和にかける教育」である。
私個人にとっては,ビーコン・ヒル・スクールは'感情的に(は)'大失敗だった。それは私の幼児期の幸福という輝かしい世界を打ち砕き,それ以来私は代りのものを探すために残された人生をかけなげればならなかったからである。しかしそれは,代りに多くのものを与えてくれた。知的には,それ(ビーコン・ヒル・スクール)は傑出しており,私はそれらの歳月の中で,これまでどこで学んだよりも多くを,より大きな喜びと共に学んだ。私たちのほとんどは,そこで,私の父から,外のどんな学校でも学べなかった精神を鼓舞する価値あるものを吸収した。私がそこで不幸であったからというだけで,それを失敗だと称するのは愚かなことであろう。*29娘の不幸は,校長であるラッセルと妻ドラとの両親に,当然,幼児として,両親と手をつないで校内を散歩することが寄宿制故,他の子供への配慮から不可能であること,校長先生の娘としての子供同士の心的相剋などもその中にあった。
「貴殿は'教育における手仕事'については,ほとんど,あるいは全く触れておられないようです。私の趣味はいつでも手仕事でして,貴校の子供が星について質問するような場合,私の生徒たちなら,鋼や'ねじやま'について質問します。また,どうやら,私の方が貴殿以上に,教育の中の情緒を重要視しているようです。」ここで,ラッセルとニールとの比較論をやる気はない。ニールの功績もあった。前者は人間の生命の源,衝動を知的衝動で昇華・方向づけようとした。
彼は両校のちがいをみごとに要約している。私の父は手仕事はからきし駄目で,学習に関する唯一の適切な感情は知的満足であると信じていたのに対し,ニールは私の見るかぎり,学習を生きることほど面白くない,退屈な'教科書いじり'と考える傾向があった。私たちにとって,学習は決して退屈な'教科書いじり'などではなかった。それは生きることであった。私たちはビーコン・ヒルで,数学の場合以外,ほとんど教科書を使ったことはなかった。
数学がむずかしかったからではなく,しばしば議論の的となっていたからである。
父は自分の教育を政治に利用するつもりはなかったし,いつも私達に両側面を考えた上で,自分の決心をすることを教えていた。「両側面を考える」ということは,事実を調べるだけでなく,両方の側の人たちの意見をきくということを意味していた。」*30
本人は孤児収容施設からの頭のいい五歳児。鶏の卵を知らない。割ってみせても分らない。卵は黄色で四角だと言う。施設では,焼き卵を四角に切って卓にのせていた。洗濯とは,汚れものをまとめて,大きなドラム罐に投して,スイッチを入れるものだと思っていた。大海の小舟のような片々たる場合であるが,これらの中に,教育問題の性格は示唆されている。A,B,C,D,それぞれに,ラッセルの所説を対応記述する予定であったが,与えられた枚数を超過したので,次の記述ですましたい。『教育論』は上記引用文の示唆する問題にふれている。特に,生後三ケ月から大学生までの教育を扱う〔1〕は,A,C,Dの問題点に,Cの分析は〔2〕に扱われている。教育の社会的影響の関連性に,ラッセルは敏感で,ギルト・ソシアリストであるだけに,透徹した所見を述べている。
食事の時間になると,他家へ行き,食卓に割り込んで,食を求めたりする。施設では,どの食卓にも勝手に割り込んで,食事ができるようになっていたらしい。
躾も,一般常識も,幼い時から教えていない施設のやり方に深く考えさせられた。