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勝田守一「バートランド・ラッセルの教育論について」

* 出典:みすず書房版「バートランド・ラッセル著作集・月報」より(第9回配本付録)
*勝田守一(かつた・しゅいち:1908年-1969年7月30日)は当時、東京大学教育学部教授(1965年度に教育学部長)


 『教育論』の初版本の目次(原著)では、第一章の表題が「近代的教育的'神学'の要請」となっている。ラッセルのことだからいささかアイロニカルに問題を論じているのかという一種の期待をもって読んでみると、神学とよぶのにふさわしい主題は少しも見当らない。不思議に思って、本文の表題をよくみると「近代的教育理論の要請」という至極当然の表現である。ちょっと拍子抜け気味なのは、こちらのせいであって、誤植のいたずらにすぎなかった。それにしても、目次の目につくところで、ごていねいに、theoryがtheologyになっているのはやはり人騒がせで、偶然な誤植とは思われないほどである。
 イギリスの出版社が、どんな校正の手続きをとるのかは知らないが、どうもこの誤りには社会心理学的な要因がはたらいているような気がする。つまり、この著者なら、そういう発想があってもいいという、校正者の気の弛みみたいなものを感じさせるのである。もちろん、これは私の想像であって、それにはなんの合理的な根拠もない。思いすごしのたぐいであろう。だから、ささいな誤植をせんさくするのが別段私の意図ではない。しかし、こんなことに触れてみたくなったのは、ラッセルの教育論が、全体として大へんラディカルであるのに、その一言一句をよく味ってみると、きわめて強い説得力を具えた常識的なものだということを言いたかったためである。

 『教育論』は、いまから三〇年ほど前(1926年)に書かれている。それから数年後(1932年)には、『教育と社会秩序』、続いてまた数年後(1937年)に『民主主義のための教育』がでている(松下注:『民主主義のための教育』は、講演であり、また著書ではなく、「1939年」に雑誌に収録されたものである)。 (そのほかのエッセーの中でも、教育について章を割いているのは一、二にとどまらない。)
 かれの諸教育論は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に書かれているわけになる。そして、このことがその所論と思想をラディカルなものにしているのだと私は思う。戦後の平和主義的風潮が、ソヴエートの成長を介在させながら、次第に再強化されてくる国家主義に押される気配を示していた時期に書かれているからである。十年の間にかかれた三冊の教育論が、第二次大戦の危機の予感と無関係でないことは、たとえば、「おそらく次の大戦ののちには、生存者があるとすれば、かれらは相寄って、その複数の国旗のかわりに、国際連盟旗をかかげることを決定するかもしれない」(『教育と社会秩序』)ということばにも読みとれるだろう。
 『教育論』は、その表題からも明らかなように、「主として幼児期における」性格教育を中心にしている。知的教育にも触れているし、大学教育についても論じている。しかし、「性格は、前時代の熱心な教育者たちが考えたよりずっと大きく幼時の教育によって決定されるということを明らかにするようになっている最近の心理学的発見を、私は重視する」といっているように、幼児期の性格形成に大きな関心が払われている。
 このことだけならば、別にラッセルの卓見というほどのものではない。しかし、私の考えによれば、だいじなことが少くとも二つある。一つは、この性格形成が知育〔instruction]と切りはなされないで考えられていることである。ラッセルが知育をないがしろにするなどとは、かれを少しでも知るものなら、だれも想像することはできない。じっさいにも「多くの重要な徳を滞りなく実践していくためには、豊富な知識が必要とされる」(『教育論』まえがき)といっているように、知育が、単に知識を与えることや事物処理の有効性のためだけでなく、りっぱな個人や市民を育てることと切りはなして考えられてはいないのである。
 ところで、幼時の性格形成を重視するのは、たしかに「最近の心理学的発見」にもとづくのにはちがいなかろうし、また経験の豊かな聡明な教育者が昔から確信してきたことにも一致している。
 しかし、人類の破滅をもたらすかもしれない、社会にはびこる偏見・憎悪・恐怖・盲従から子どもたちを解放する手段を、健全な性格の形成にもとめていることに、ラッセルが教育について書かなければならなかった動機がある。これが第二の重要な点だと私は考える。
 二つの大戦の間に教育論が書かれた必然性は、いまいった動機と結びつけてみれば明らかだけれども、だから、それらはラディカルでなければならなかった。第二次世界大戦が起ってしまった今だから、結果論としてそう考えられるのではなく、本質的に、徹底的な教育の改革を志向している点でそうなのである。子どもの教育を改革することだけで戦争の危機を回避できるとラッセルが考えているのかどうか私にはわからない。しかし、教育が危機に間に合うかどうかという発想ではなく、平和を保障する「よい社会」への期待が「よい人間教育」にかけられているのである。そして、それらは親たちに向って書かれ、「もし親たちが子どものためによい教育を望むならば、私は確信するが、それを与えてくれる積極的で有能な教師にはこと欠くまい」とつけ加えている。
 現実には「よい人間教育」は、いたるところで障害に出会う。とくに権力によって支配され、因襲になじみやすい教育は、歪んだ愛国心や性への偏見や、家父長制と結びついている私有観念や女性べつ視から自由になるのは容易なことではない。だから、もし人間教育が、人類の幸福やよい社会の希望と結び合うべきなら、ラディカルな思想を支えとしないわけにはいかない。
 ところが、その説得の論理は、常識的でわかりよく明快である。デューイも『教育論』を評して、「明晰な経験をもとにした常識で書かれたもの」といっている。そこには、自身の主張を強化するためにする過度の「一般化」は、少しもない。人間の性格や知性や行動の発達についての科学的検証は、まだまだ不十分なままで、いたるところに穴があいている、教育学は臆説にみちているし、教育者は情熱のあまりに性急な一般化に陥りがちであるか、あるいは、しきたりや現状と妥協するのを「良識」と心得ているありさまである。ラッセルは、他の領域の問題をあつかうばあいと同様に、ここでも仮説的信念とでもいうべき合理的態度を踏みはずすようなことはない。
 たとえば、かれは、すぐれた才能をもった子どもたちの存在を否定しない。環境が子どもの発達に対して大きな要因であることを認めると同時に、生まれながらの才能の芽を認めることに躊躇しない。経験がそれを教えているからである。「現在の世界では、社会に必要な多くの仕事が、大ていの人間がもっている普通の才能以上のすぐれた才能を必要としている。」平等な教育という民主的理念を粗雑に適用すると、「もっともすぐれた子どもを抜擢することが非民主的なことだとするような」「よい素材の最大の浪費」を許すことになる。すぐれた才能を選択し、特別な教育をほどこすことを政治的民主主義と背馳すると考えるのは、不当な一般化を暴露するだけである。
 そうはいっても、それに問題がないわけではない。アメリカで見られるように、才能のある子どもに特別な教育をしようとする試みが「民主主義に反対するひとびとによってなされている」ことも、はっきりと一方では指摘されている。
 これは、現在解決しにくい問題の一つである。しかし、ラッセルは、ただああでもない、こうでもない、といっているのではない。イギリスの特権学校であり、イギリス人が誇りとしてきた、パブリック・スクールに対して徹底的な批判を加えた上で、才能教育の必要を説く偉大な「常識性」が私たちをとらえるのである。
 ラッセルは、有能に対する嫉妬から出る無能者の平凡主義が、「変り種(エキセプショナル)」に加える迫害を恐れて次のようにいっている。「『ぼくはきみと同じだ』というのは健全である。しかし『きみはぼくよりすぐれていない』というなら、民主主義は圧制的となり、並みはずれた才能を発展させる障害となるだろう。」
 こういう特別な才能教育の主張から、イギリスの伝統的な貴族主義を思い起すこともできる。かれ自身も「変り種の黙認はイギリスの生活の中で、もっともよいものの一つであるが、これは貴族主義と結びついている」と敢えていっている。しかし、いっそう重要なのは、ラッセルがイギリス人自慢の美風を小っぴどくやっつければやっつけるほど、私たちが「最高のイギリスの伝統」(デューイ)をそこに感じさせられることである。それはおそらく質の高い経験にもとづく合理的な常識のせいであろう。だから、その「常識」は、事なかれを願う常識とはおよそ縁がない。

 『教育論』の「むすび」の文章は、「愛」の重要さを説いている。教育を語って、「愛」を説くのは、これまたきわめて常識的である。ところが、じっさいは「愛」を語りすぎる教育理論家には、あまり信頼できないというのが、私たちの偽わりのないところであろう。「愛」がたいせつでないからではなく、そのとらえ方の通俗さとセンチメンタリズムに不信を感ずるからである。
 しかし、「愛は恐怖を克服することができる。そして、もし私たちが、子どもたちを愛するなら、私たちが自由にすることのできる偉大な贈りものを惜しみなく与えるのを妨げるなにものもない」というラッセルの最後のことばが、どういう鋭い批判を通して出てきたのかをたずねれば、「その常識」の性質がいっそう明らかになるであろう。
 「しばしば子どもに対する愛の欠如に、私はほとほと絶望しかねない状態になる-たとえば、著名な道徳的指樽者たちのほとんどすべてが、性病をもった子どもたちの誕生を阻止するように手を打たなければならないことに不賛成なのをみるとき、そうである」というのは、不幸な子どもの生存に無感覚な、頑冥な道徳主義の冷酷さに怒りを示している。また、教会が洗礼を受けない子どもたちに罪をきせる惨酷な態度をやめたのを、「たしかに私たちの自然な衝動の一つである子どもに対する愛の漸次的な解放」として肯定しながら、なお戦争が敵国の子どもたちに対する愛を盲いさせることに恐れをいだいて、国家主義が「人間性の泉を枯らす」ことを告発している。
 恐怖を克服する愛を貫徹するためには、惨酷な教説や習慣や制度に対する批判をともなわなければならない。そのかかわりの広さと深さによりて、はじめて愛を説く教育理論は偽善やセンチメンタリズムを免かれる。『教育と社会秩序』は、ちょうどこの「むすび」のことばの終ったところからはじまり、同じ主題と社会的諸条件や制度とのかかわりに照明を当て直しつつ、「私たちの時代は苦痛にみちている。しかし絶望のための合理的な基礎はなにもない。人類の幸福のための手段は存在している。人類がその手段を選びこれを使うことだけが必要なことなのである」といって、「人類が正気になるため」の正気の教育を主張して終るのである。
 ところで、ラッセルの教育に関する所論は、その後の教育の改革にどんな影響を与えただろうか。すでに一世代が経過しているのだから、部分的にその主張が実現していても不思議ではない。幼児教育の重要さは、当時より強く認識されるようになったし、世界の国々がその施設や理論を改善することに努めるようにもなった。イギリスでは、大学進学者を少年時代(11歳)に選択する制度を採用しているのは、ラッセルの意見の部分的実現といえないこともない。しかし、その実現は、そのラディカルな教育思想の文脈の中で価値を持つのだから、部分的に止まるかぎり、そこから新しい問題が次々に起ってくるのは当然である。
 全般的にみれば、世界は、社会主義の国々をも含めてラッセルの鋭く指摘した教育の問題を解決しているとはいいがたい。とくに日本では、教育が子どもたちに「恐怖症(フォビアス)」を植えつける傾向を再び強化させていくのをみるとき、ラッセルの教育論は、新鮮な衝撃を与える力を少しも失っていない。その所論は古びていない。その理由は、基本的には、戦争の危機を人類がまだほんとうに克服できないでいる点にある。しかしそれだけではない。その所論を支える科学的認識が本筋において確かであり、その上、教育理論にありがちな不当な一般化や熱情的だが通俗的な夢想の一片もないからであろう。
 ラッセルは、前にもいったように、教育学者や、教師に対してでなく、親たち、つまり、人類に向けて教育論を書いたのである。この三十年前の教育論に対する現在の私たちの期待は、ラッセル自身がいったように、「多分世論を創り出すのに役立つだろう」(『自伝的回想』p.55)ということにつきる。