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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

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バートランド・ラッセル著書解題9 ラッセル著『西洋の智恵』(東宮隆・解題)

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第10号(1968年4月)pp.2-4

* 東宮隆氏(とうみや・たかし,1911~1985):英文学及び英国思想史専攻。東大英文科卒。東工大教授を経て武蔵大学教授。ラッセル協会理事/『懐疑論集』『権力論』『西洋の智恵』『ラッセルは語る』等の訳者。この解題執筆当時は,東工大教授

 「大きな書物は大きな禍だ」という詩人カリマコスの言葉で始まる本書はちょっとした画集くらいの書物だが,中味は西欧哲学の史的概観で,今から約十年以前に出版された「西欧哲学史」の姉妹篇とも言うべきものである。(A History of Western Philosophy は1945年に米国で,1946年に英国で出版されている。)
 一度西欧哲学史を世に問うたのに,同じ西欧哲学史をまた公刊するのはなぜかという疑問にこたえて,著者は,二つの申し開きをしている。一つは,簡潔で包括的な思想史の類書があまり見当らないからであり,第二は,現代の過度の専門化の傾向から,祖先に対する私たちの知的忘恩が甚しいので,この「忘れっぽさの逆手をとる」ことを狙ったからである。これら二つの意図は,かなり実現されているようである。「西欧の知恵」の特徴は,たしかに,「簡潔でしかも包括的」な点にあると言えそうである。第二の「知的忘恩」の「逆手をとる」試みは,あらゆる問題が一度はかならず過去に手がけられているという認識を私たちに与え,そこから逆に,思想の歴史に対する新たな見通しさえ可能にしてくれる。スピノザからユークリッド,スピノザとライプニッツからパルメニデス,ヴィコからF.ベイコン -この種の遡及は,すべての思想家について殆んど洩れなく企てられていると言っても過言ではない。たとえそれが資料に基づくものであろうと,該博な知識の連想から来るものであろうと,この魅力が本書の今一つの特徴であることは疑いない。当然なことだが,これらの遡及の根源は,ギリシャ哲学が圧倒的に多い。西欧哲学は,重大な意味で,ギリシャ哲学だというのが,著者の根本的な考えだからである。

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 それにしても,これだけでは,同一の著者の手になる二つの哲学史の相違点は,明確になったとは言えない。「緒言」を見ても,本書は,「西欧哲学史」が以前に出てなければ絶対に出なかったものだが,完全に新たな著作で,問題の範囲と扱いかたが前者と違う,と述べられているだけである。これでは,両書の具体的相違は明らかではない。ここで,私たちは,隠れた相違を探る前に,むしろ,双方の共通点を明確にしておく必要があるようにおもわれる。
 共通点の第一は,双方とも,単なる解説書でなく,著者の個性的な批評を交えた哲学史だという点であり,第二は,やはり,双方とも,西欧思想の歴史を社会的政治的背景に立たせて概観している点であり,第三は,言うまでもないことだが,ラッセルという一個の哲学者の頭脳を通して三千年に及ぶ歴史の単一性が信ぜられ組み立てられている点である。同一の主題が同一の著者によって考察される場合,共通点がいくつか出てくるのは自然である。それならば,両書の具体的差異はどこにあるか。

ラッセル著書解題
 「西欧哲学史」は,著者の初めて手がけた哲学史として,気負った姿勢が叙述をややむずかしくさせ,例証的引用を豊富にさせ,解説的論議を多様にさせているのに対して,「西欧の知恵」では,第一に,叙述が平易すぎるくらい平易であり,第二に,引用原注が一切姿を消し,第三は,叙述の焦点がしぼられて,対象が浮彫りにされている。「哲学史」が,三巻七部七十六章の内容目次を誇っているのに,「知恵」は,全体が十二章に分かれているだけで,こまかい目次はない。小分けの見出しも省かれ,「哲学」という文字さえ,気のせいか,避けられているようである。
 さらに両者の相違点を挙げれば,A5版の「哲学史」に対して,A4版の「知恵」は,外見からは「哲学史」より大量のように見えるが,後者は,思想を翻訳した隠喩的図形を掲げ,時代思潮を構図に象徴し,地図や肖像や書物の表紙の図版を各頁に飾っているため,本文の分量だけの比較では,後者は前者の二分の一にも及ばない。著者を驚ろかせた「大きな書物」は,じつは,そう大きくなかったのである。「哲学史」にくらべて二分の一にも及ばぬ「知恵」が,「問題の範囲と扱いかた」の上で「違」わなければならないのは,当然である。
 残された比較は,歴史上の哲学者の具体的記事を取ってみることだけであろう。いま,「哲学の慰め」を書いたポエティウスについてみると,「哲学史」は三頁をあて,「知恵」は一頁半余を割いている。しかし,この分量的比較は必ずしも全体にはあてはまらないかもしれない。特に「哲学史」は,一人の思想家に関する記事が方々にまたがっている点,「知恵」よりも複雑なことを考えあわせれば,なおのことである。

ラッセル協会会報_第10号
 それはともかく,ポエティウスの説明内容について両者を比較すると,「哲学史」には,ダンテとギボンヘの言及があり,「慰め」からの韻文の一部引用があるのに対して,「知恵」では,これらすべてが省略されている。その代りポエティウスが,プラトン主義者としてよりもキリスト教徒として中世人から尊崇をあつめた,「奇妙な」事情が強調され,さらに,伝統と個人の精神との関係,社会的伝統と哲学的伝統との関連等が,論ぜられている。五世紀から六世紀へかけてのこのローマの哲学者のストア主義や汎神論については,もちろん両書とも触れているけれども,一部で注目されているこの思想家のイギリス思想に及ぼした影響については,両書とも触れてない。
 「西欧の知恵」は,「西欧哲学史」の内容を消化して再表現し,その上,若干の新資料も加えて,全体を平易に,しかし著者の持前の批判精神を失わずに,再構成したもののようである。(終)