石本新「欧米論理学紀行-バートランド・ラッセルをめぐって」
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)pp.12-13.
* 石本新(故人)は当時、東京工業大学教授
おおぜいの人たちが、ヨーロッパやアメリカに出かけている昨今、小生のささやかな欧米体験など、いまさらご報告する価値もないと思うが、昨年末、約2か月にわたってヨーロッパとアメリカを巡歴したので、近代論理学を中心的話題として、いささかの感想をまとめてみたい。近代論理学の発展に際して、ラッセルの役割りは、いまさらいうまでもないことであるが、ラッセル自身の業績が直接言及されることは、しだいに少なくなった。しかし、論理学の最近における華々しい展開の背後にはラッセルが必ず見出されるというわけで、今回の旅行もある意味でラッセル哲学のあとをたどるということになった。
さて、(1975年)10月23日に羽田を発ち、最初の訪問地ヘルシンキに着いたのは、その日の夜であったが、あまりにもあっという間に着いてしまったので、北欧の果てまで来たという実感はなかった。フィンランドでは主としてヒンティッカ教授のお世話になったが、同教授を中心としてフィンランドには、強力な論理学者の集団が活発に研究を続けている。人口の少ないフィンランドのような国で、どうしてこのような水準の高い研究が行われているのか筆者にとって、かねがね疑問であったが、その理由の一半は、カイラ、フォン・ライト教授等、すぐれた論理学者によって培われた伝統によるものであると思われた。そして、フィンランド学派はカイラを通じて論理実証主義に、またステニァス教授を通じてウィットゲンシュタインに、さらに論理実証主義にウィットゲンシュタインを媒介として、最後にラッセルと結びつくことになる。そして、ラッセル哲学の単なる紹介や繰り返しではなく、その創造的発展として、論理分析の哲学が活発に研究されているのは、まさに偉観であった。きわめて少数の専門家によってこのように高度の研究が行われているということは、われわれにとっても参考になることであろう。わが国のラッセル研究が、とかくその紹介におわり、新しい分野へのその発展が企てられていないように思われるのは残念である。
フィンランドから汽車で国境を越えてレニングラードに入り、さらにモスクワに赴いたのであるが、はじめて訪問するソ連はいろいろの意味において筆者に興味ぶかいものがあった、とくに、ドストイェーフスキーと十月革命の町レニングラードの情景は、いまでも心に焼きついて離れない。しかし、ここでは論理学や哲学に限って話をすすめたい。
まず、感じたことは、ソ連におけるフレーゲとラッセルに発する論理分析の哲学の研究が、意外なほど活発で水準が高いということである。わが国に比べて研究者の数が多く、また西ヨーロッパやアメリカにおける最近の成果がたいへんよく知られているということは、筆者にとって大きな驚きであった。また、論理実証主義関係の文献がいろいろと翻訳されていることも、わが国ではあまり知られていないことであろう。さらに、論理学の分野で数学出身の論理学者と哲学出身の論理学者との間に活発な交流があり、レニングラード大学のミンツ教授、モスクワ大学のラガーリンド教授などのすぐれた数理論理学が哲学者の側における論理分析の仕事を押し上げているという印象をうけた。たとえば、昨年5月、モスクワで開催された証明論に関するシンポジウムにおいては、哲学者と数学者の交流が盛んに行われたのであった。
このように、ある意味でたいへん恵まれた環境におかれたソ連における論理分析の哲学は、近い将来において、必ず大きな成果をあげるに違いないが、その一端は、すでに刊行されているボストン科学哲学叢書に含まれている何冊かの論文集によっても窺い知ることができる。そして、フレーゲとラッセルの伝統に忠実であると同時に、独自の色彩をもつロシア式分析哲学の将来は期して待つべきであるというのが、筆者のいつわらざる印象であった。
次に訪れたのは、スウェーデンのウプサラであったが、ここでも近代論理学が、哲学の立場から活発に研究されているのを目撃することができた。ウプサラ大学に限らず、スウェーデン全体を通じて、フィンランドの場合と同じように、論理実証主義を媒介として、フレーゲとラッセルの伝統と結びつこうとする哲学が発展している。そして、国際的ではあるが、同時に何となくスカンジナビア的な哲学が、その機関誌テオリアを通じて世界に紹介されている。
ロンドンを経てボストンに着いたのは11月の半ばであったが、そこでは、ボストン大学のコーエン教授のお世話でいろいろな学者に会うことができた。
アメリカの学術事情については、わが国ではよく知られているので、いまさら報告する必要もないが、とくに感じたことをいくつか記して、ご参考に供したい。
まず、違った分野間の交流がさかんであるということが挙げられる。ラッセル哲学の発展形態である論理実証主義や科学哲学が、アメリカの哲学界において一大勢力であるということは、いまさらいうまでもないことであるが、このような境界領域的な哲学において大切なことは、国際的な研究であろう。こういった研究が、わが国でその必要性が叫ばれていながら、あまり実現しない理由については別の機会に譲りたいが、アメリカ、とくにボストンにおいて、異なった分野の学者が、相手の論点をよく理解しながら協力しあっている様子は、まことにうらやましい限りであった。そして、欧米学問の実力を目のあたりに見ることができたというのが、筆者の今回の旅行の主な収穫であった。