バートランド・ラッセルのポータルサイト
シェアする

日高一輝「バートランド・ラッセルとトインビー」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.18.
* 日高一輝(1912~?)氏は当時、ラッセル協会常任理事、世界連邦建設同盟常任理事。
* 右下衛星写真(Hasker Street)出典: Google Satelite, c2007
Hasker Street, London - バートランド・ラッセルが一時期住んでいたフラットがあるロンドンのハスカー・ストリート
 バートランド・ラッセル卿とアーノルド・トインビー博士といえば、ともに英国が輩出した偉大な知識人であり、現代の英知と仰がれる二大巨星である。
 わたくしが最初にラッセル卿にお会いしたのは1959年、ロンドンのハスカー・ストリート(注:Hasker Street 43)にあった卿の自邸で、それ以来、卿がこの世を去られるまで長年にわたって、卿の知遇を得た。とくに1959年から1962年までの3年間は、ロンドンで卿のおともをして平和運動の実践に挺身し、数々の深い思い出を残した。トインビー博士とは、去年(1974)の1月と2月、ロンドンのオークウッド・コートにある博士のフラットでお会いし、博士の歴史観や人類に対する警告を直接お聞きすることができた。
 人間ラッセルとトインビー。この両者からうけた印象を比較することはきわめて興味深いものがある。(右写真出典:日高一輝『世界はひとつ、道ひとすじに』(八幡書店,1986年)p.265より)

A-J-Toynbee and Ikki Hidaka - トインビー博士と日高一輝  まず、両者の間の相異点をピックアッブしてみる。2人は同じ英国の学識高い紳士ではあるけれども、ラッセルは英国一流の名門、ベッドフォード公爵家の流れをくむ貴族であり、トインビーは平凡な一庶民の家庭の出である。ラッセルは、日常生活の規律が厳格であり、家庭内にあってもきちんとネクタイをしめ、上衣を着し、いつもピカピカに磨かれた靴をはいていた。トインビーは、ゆったりとした着流しで、軽いズック製のソックスのようなものをはいたままだった。ラッセルは、いつも峻厳な面持ちで、背を垂直にし、挙措動作が毅然としていた。トインビーは、つねににこやかに微笑をうかべ、背をまるめかげんにして人に接し、やさしくいたわってくれる慈父の姿であった。ラッセルは逞しい反骨精神と、不屈の信念を貫きとおす強さと、自分の主張したことはどこまでも実践しないでやまない行動力を示した。非戦論を唱えては、大学の教壇を追われることも、投獄されることをも辞さなかったし、また、核兵器の撤廃を叫んでは、トラファルガー広場で政府に対する不服従運動の市民集会を開いたり、国防省玄関前で坐り込みデモを敢行したりした。90歳を越した老哲学者の身をもって、学生や青年たちと手を携えて街頭平和行進の先頭に立った。トインビーは、胸奥は平和の祈念に燃えていながらも、アピールやデモのために街頭に出て大衆運動をするということはしないで、講堂や書斎でじゅんじゅんと人類の危機について語ったり、人類の意識革命や歴史観の転換について警告するといったふうであった。トインビーはわたくしにこう語った-
「わたしとラッセル卿とは性格が異なるのです。ラッセル卿のあの勇気と実践力はとてもわたしの遠くおよぶところではありません。わたしに無いものをもち、わたしの出来ないことをなさったラッセル先生をわたしは心から尊敬しています。しょせん、わたしはティーチャーというところでしょう。そしていつも歴史家という立場でものを考え、発言するのです。これからはロンドンを離れて、ヨークシャーの閑静な田園にひっこみます」

ラッセル協会会報_第23号
 しかし、2人の間には多分に共通しているもののあることを知る。それはその理想と見識である。2人は、西洋中心の歴史観をあらためて、東洋の思想と文化を全人類のそれの始祖として再認識し、その文化的遺産を全人類の共通の宝として尊重すべきことを説いた。2人は、エゴイズムとナショナリズムヘの偏向から、幸福を他と共にわかつ精神と世界市民意識へと転換すべきことを説いた。国家主権絶対から全人類主権、そして世界連邦システムヘと移行しなければならないことを説いた。2人は、白人本位の人種差別感を払拭しなければならないこと、さらには平等感と同胞意識を単に人間の間だけでなく地上の生物いっさいに及ぼさなければならないと説いた。2人は、愛と創造的知性こそが人間の基本的価値であり、教育の本質であると説いた。そして2人は、絶対平和に徹し、軍備と戦争を否定する理念において一致していた。わたくし自身が、ラッセルとトインビーの2人の口から直接聞いたのが次ぎの言葉であった-
日本国憲法の平和条章は、各国がまねなければならない模範である。そしてやがて世界連邦へ進むための一里塚である。自分は、この平和憲法をもっている日本に敬意を表するとともに、日本人が世界平和の先駆者としてどこまでもこれを護持していかれることを切望してやまない」