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FAQ

[質 問]

 ラッセルの『幸福論』の中で、「客観的に生きる」(live objectively)という表現がでてきますが,意味がよくわかりません。

[回 答(2018年5月5日)]


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「主観的に生きる」の反対です。「主観的に生きる」とは何事も自分に関係づけて考えたり行動したりする生活態度です。
 だから、自分に直接関係ないことにはあまり興味をしめさず、物事を自分にとって興味の対象になるか、自分にとってプラスになるか(あるいは自分の家族にとってプラスになるか)という視点で判断したり、行動したりしがちです。
 「客観的に生きる」というのはその反対ですので、いろいろ思い浮かぶのではないでしょうか?

 「客観的に行きている」人は、自分や家族、あるいは日本に関係なくても、世界にとって、また人類にとって重要なことであれば何でも、先入観や偏見をもたずに考え、対処しようとします。
 たとえば、原発の問題でも、ゴミ処理場の問題でも、その他いかなる問題についても、「客観的に生きる」人は、(もちろん自分にとってどうだとか、家族にとってどうだと、という視点で考えることはしますが、)被害を受ける人にとってはどうか、利益を受ける人にとってはどうか、その他いろいろな視点で考えた上で、総合的かつ客観的に判断しようとします。

 詳しくは、次のラッセルのポータルサイトにいろいろ情報を掲載してありますので参考にしてください。
 https://russell-j.com/

 ホームページのコンテンツ(約7,000件)を検索する場合は、google で次のように検索してください。(△は半角スペースです。キーワードは日本語でも英語でも。)

 site:russell-j.com△keyword1△keyword2

 キーワードに英単語を入れれば、その英単語を含んだ用例を知ることができます。



 補足です(受験英語界の「重鎮の」鈴木長十氏や斎藤雅久氏の訳(「客観的に生きる」とは「他人のために生きる」こと)を引用している人がいるので念の為)。

 ラッセルのように自分の「常識を疑い」、自分の頭で考え、「より高度な常識」に達するように努力すべきだと主張する哲学者の本を、速読し、自分の「常識」に合うように解釈・翻訳するような読み方はもったいないと言わざるを得ません。

 ラッセルがわざわざ「客観的に生きる」と言う言葉を使っている意味をよく考える必要があります。ラッセルは『幸福論』の別のところで,愛する人のために自分の幸福を犠牲にすることはあってはならない、また、例外的にそれは善いことだということが「ありうる」としても、あくまでも「例外」であり、「一般的な原則」にしてはならない、と言っています。(だから、国家のために殉職することは、例外的に「尊い」ということは「ありえても」、「一般的な倫理原則」にしてはならない、というのと同じです。)