江上照彦「バートランド・ラッセルにおける戦争と平和」 - ラッセル協会・第2回研究発表会・講演要旨
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第6号(1966年12月刊)p.4
* 江上照彦は当時、相模女子大学教授、ラッセル協会理事
題から連想されるのが、トルストイの小説 '戦争と平和' である。トルストイがこの中で示唆している哲学は、戦争を中心にした人間の自由と必然の関係であり、それらがつくりあげた歴史というものの見方である。彼は人間の行為である戦争を必然の所産とだけは見ていないが、かなりその傾向が強い。'人間の歴史は戦争の歴史である' という式の史観は、彼はじめ一般に多く採られている。
ラッセルは戦争をどう見るか? 彼はまず人間性を好戦的だとする。続いて、戦争が部族間の争闘式の小さなものから今日の国民的原水爆戦にまで拡大されたこと、もし原水爆戦になれば人類の大半が死滅するだろうことを説く。だから今や理性的には不可能なはずの戦争なのに、それの触発しそうな要因がいくらもある。軍備競争のあるところ必ず戦争が起ったことは否み難い歴史的事実だが、現に米ソその他が核兵器の開発競争をやっている。まさか恐しい核兵器を使って戦争ができるものか、という式の楽観論に対してはダイナマイトが発明されたさい同じようなことが言われたことを考えるがよい。
平和を保つには、しょせん核兵器を廃止するほかはないが、それでもなお安心はできない。いったん戦争が起ればまたそれを製造できるし、また、他の種類の恐ろしい兵器がいくらも開発されているからだ。結局はこの文明段階に達した以上、戦争そのものの息の根をとめるしか人類の生きのびる途はない。その方法は? 従来の国際条約や機関は弱体で戦争を防止できなかった。そこで地球上至上の権威、世界政府をつくるにしても、それに重要兵器すべてを独占させるなどして、よほど強力なものにしなくてはならない。
第二次大戦後もたえず戦争が続いている。いつ大爆発をひき起すかもわからない。それを防ぐには人間の好戦的衝動に適当なハケ口を与えるかたわら、戦争否定の教育を徹底すべきだ。平和に生きる実例としてスウェーデンがあるではないか。結局、トルストイ的必然論を克服して、人間の歴史にかつてなかった戦争のない時代をもたらすことが、現代人当面の死活の課題である。