バートランド・ラッセル平和財団の苦境」
『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.2.
* 日本バートランド・ラッセル協会会報目次
ラッセル平和財団のケン・コーツ理事の書翰が各所に送られた。ノアム・チョムスキーはそれを1975年2月20日付のニューヨークの書評誌に掲載した。アメリカのラッセル協会はこれを重視し、協会のニューズ・レター第6号に転載し、会員の注目を引いている。
ラッセル(1970年死亡)の影響力を発揮する発言も聞かれなくなった今日、財団は独裁国の政治犯の救援活動その他でいろいろと有益であるが困難な活動をつづけてきた。ところが、ここで財団は、(英国)大蔵省財務関係の筋からのダブル・パンチをくった。
ラッセル卿から贈られた金とベトナム戦争犯罪法廷に使った金とに関連して、甚だ高額の税金を課してきたことである。この難局を突破するには最低2万ポンドの金が絶対必要となったのである。減額運動への名案伝授と突破資金としての寄附要請、そして広汎な情実活動などを開始している。(編集部)