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安福一郎「ラッセルへの学問的究明-認識・実在の問題と討論・座談の要 - 日本バートランド・ラッセル協会の在り方・提言6

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)p.11 掲載
* 安福一郎氏は、哲学者で、旧東京女子経済専門学校(現・東京文化短期大学、詩人・金子みすずの母校) 教授


ラッセル協会会報_第23号
 ラッセルは97歳の長寿まで、平和への実際運動をかねた偉大な哲学者であっただけに、『プリンシピア・マセマティカ』(注:『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』)の共著で一躍有名になったとはいえ、他の著書をならべただけでも広汎な領域に知能と実際活動とがおよんでいる。それだけに、ラッセルについてもたらす結構な紹介や論文もごく一面をとりあげるに過ぎないのであって、ラッセルの思わく・思想の一部を知るに足るだけである。
 で、ラッセル全部知るということの容易でないだけか、こちらの求めている方面にはぜんぜん触れない場合も多いのである。だから興味の一部をうしなうことにもなる。といっても彼の全貌を知るというのは冒険でもあろうが、人々が常にそれぞれ求めている問題点と狙い所をつかみたい気持ちを充たしてやることは、わがラッセル協会のもつ一つの学問的義務でもある。そうしてそれを可能にするには、一方的解説や説明以外にディスカッション、つまり広めて座談会・討論を催す要がある。これなれば、座談の人々が求めている問題点をそれぞれ提供できるだけか、疑問や狙いの点を披瀝して一般に訴え、座談の場で可能なかぎりにおいて内容を知得することができうるからである。つまり居並ぶ人々の耳に訴えて、未知の問題点や求める説明内容をあきらかにすることができるはずである。
 ラッセルを知るには一応の前準備が要るのであろう。にもかかわらず、準備なしに耳を開く人々が大部分である。といっても問題が哲学であるかぎり、喩えや抽象ではダメであって、綿密な知能神経を要することはいうまでもない。それで、このディスカッション・討論座談会はそうした面々を各人の頭に容易にしてくれると思う。そうしてそれだけ、学問的にもラッセルに対し、私淑と興味を持たせるように唆るのは当然である。
 にもかかわらず、いかにも知ったか風でのラッセルの一面だけを声や文にプライドされる卑屈誇張さから、人々は逃避することができる。「学」をはなれた派生的な分野はともかく、それが哲学であるかぎり知識の根本問題が分かりやすく究明される要がある。これまでの説明や紹介が残念ながら知識の根本分野には触れかねている。あつかいが知識でないなら、実は実際活動をすれば好いことともなる。が哲学なればこそ何といってもラッセルの知識論……認識や実在論について根本的分野を明らかにする要がある。認識や実在の考え方を明らかにせず、他に及ぶのは早計、前後を失している。
 右のようなわけで(多様な協会の事業関心の中で尚)、今後、討論・座談の会を催す要があるし、それが有効に結果するものと思う。で、仮に或る問題をまえから提起して、一般の関心を集めさせ、その催しをとりおこなうというのも好い。そうしてそのラッセル思想から歴史の将来を展望し洞見するということは、われわれにめぐまれた学問的にも愉しい良心的趣向であると思う。