ロックフェラーにおける「欠乏への恐怖(心)」- 極貧経験

 所有欲物あるいは所有権(物に対する権利)をできるだけ多く持ちたい(所有したい)という願望は,必需品に対する欲求と(不足への)恐怖とが結びついたところにその根源がありそうな動機です。私は,かつて,飢饉のために死ぬことをやっとのことで免れたエストニアから来た二人の少女と友達になったことがありました。彼女たちは私の家族と一緒に住み,当然のこと,食べるものは十分ありました。しかし,二人は,暇さえあれば,近所の畑に行って,じゃがいもを盗み,それを貯えました。ロックフェラーも幼年時代に極貧を経験しましたが,大人になっても,同様な(エストニアの少女と似たような)生活ぶりをしました。同様に,絹のビザンチン風の(高級な)ソファーに座っているアラブの首領たち(chieftains)も砂漠(の苦しい生活)が忘れられず,いかなる物質的な必要性もはるかに越えた財宝を貯えました。しかし,所有欲についての精神分析がどのようなものであれ,所有欲が大きな動機の一つであるということは誰にも否定できません。特に,有力な動機のなかに属しています。なぜなら,所有欲は,すでに申し上げたとおり,際限のない動機の一つだからです。どれだけ多く物を手に入れても,人は常にもっと欲しがるものであり,飽満(満足しきること)というのは常につかむことができない夢なのです。

Acquisitiveness – the wish to possess as much as possible of goods, or the title to goods – is a motive which, I suppose, has its origin in a combination of fear with the desire for necessaries. I once befriended two little girls from Estonia, who had narrowly escaped death from starvation in a famine. They lived in my family, and of course had plenty to eat. But they spent all their leisure visiting neighbouring farms and stealing potatoes, which they hoarded. Rockefeller, who in his infancy had experienced great poverty, spent his adult life in a similar manner. Similarly the Arab chieftains on their silken Byzantine divans could not forget the desert, and hoarded riches far beyond any possible physical need. But whatever may be the psychoanalysis of acquisitiveness, no one can deny that it is one of the great motives – especially among the more powerful, for, as I said before, it is one of the infinite motives. However much you may acquire, you will always wish to acquire more; satiety is a dream which will always elude you.
出典:Bertrand Russell: What Desires Are Politically Important? 1950
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0944WDPI-040.HTM

<寸言>
『ラッセル著作集3『自由と組織II』(みすず書房,大淵和夫・鶴見良行・田中幸穂・共訳)より

「彼(ロックフェラー)の発言,思想,感情は,その母から来ている。しかしながら,彼の行為はその父から来ているのだ。そして父から受けついだところに加えて,幼年時代の不快な生活につちかわれた大へんな用心深さがあったのである」

生活必需品に対する欲求,所有欲,競争心,虚栄心,権勢欲

 政治的に重要な欲求は,(重要性)第一のグループと(重要性)第二のグループとに分けてもよいでしょう。第一のグループ生活必需品 -食糧,住居,衣服(いわゆる,衣食住) - が含まれます(入ります)。これらのものが不足すると,それらを確保しようと望んで、人間がなす努力にはまったく限りがなく,あるいは,彼らが見せる暴力にも限りがありません。古代史の研究者によれば,アラビアにおいて隔てた時期に起きた4回の干ばつは,アラビアの住民を近隣の地域に流失させ,それは,政治的,文化的,宗教的に,甚大な影響を与えました。4回の干ばつの最後のもの(4回目の干ばつ)の時に,イスラムの興隆がありました。ロシア南部に起こったゲルマン民族が次第に広がって英国にいたり,そこからサン・フランシスコにまで達したのにも同様な(いくつかの)動機がありました(注:言うまでもなく,英国からサン・フランシスコに直接達したというのではなく、英国から米大陸の東海岸のプリマスに上陸し、西部開拓によってサン・フランシスコまで達した、ということ)。疑いもなく,食糧に対する欲求は過去においても,また現在においても,大きな政治的出来事の主な原因の一つです。
 しかし,人間は一つの非常に重大な点において他の動物たちと異なっていますが,それは人間には,言わば,無限の欲求があり,それらの欲求は決して十分には満足させることができず,天国でさえも人間をそわそわさせておく,ということです。王蛇(注: boa constrictor 王蛇,大蛇)は十分食事をしたら眠り,次の食事が必要になるまでは目を醒ましません。(しかし)人間は,大部分の場合,そうではありません。少しばかりのなつめやしの実(注:’dates‘ この場合は ‘date’ は「日付」ではなく「ナツメヤシの実」であることに注意)を食べてつつましく日々暮らしていたアラビア人が東口ーマ帝国の富を獲得し,ほとんど信じられないくらい贅沢な宮殿に住んでいた時,それだからといって(もう満足したということで)不活発にはなることはありませんでした。(そこでは)空腹はもはや動機にはなりえませんでした。なぜなら,(彼らアラビア人が)ちょっとうなずいて合図するだけ、,(アラビア人が征服した)ギリシア人の奴隷がおいしい食物を運んできたからです。しかし,他の欲求が彼ら(征服者であるアラビア人)を活発にさせました。その欲求には,特に四種類があり,我々はそれらを,所有欲,競争心,虚栄心,権勢欲と名づけることができます。

The desires that are politically important may be divided into a primary and a secondary group. In the primary group come the necessities of life: food and shelter and clothing. When these things become very scarce, there is no limit to the efforts that men will make, or to the violence that they will display, in the hope of securing them. It is said by students of the earliest history that, on four separate occasions, drought in Arabia caused the population of that country to overflow into surrounding regions, with immense effects, political, cultural, and religious. The last of these four occasions was the rise of Islam. The gradual spread of Germanic tribes from southern Russia to England, and thence to San Francisco, had similar motives. Undoubtedly the desire for food has been, and still is, one of the main causes of great political events.
But man differs from other animals in one very important respect, and that is that he has some desires which are, so to speak, infinite, which can never be fully gratified, and which would keep him restless even in Paradise. The boa constrictor, when he has had an adequate meal, goes to sleep, and does not wake until he needs another meal. Human beings, for the most part, are not like this. When the Arabs, who had been used to living sparingly on a few dates, acquired the riches of the Eastern Roman Empire, and dwelt in palaces of almost unbelievable luxury, they did not, on that account, become inactive. Hunger could no longer be a motive, for Greek slaves supplied them with exquisite viands at the slightest nod. But other desires kept them active: four in particular, which we can label acquisitiveness, rivalry, vanity, and love of power.
出典:Bertrand Russell: What Desires Are Politically Important? 1950
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0944WDPI-030.HTM

<寸言>
世界史(歴史)は,単に権力闘争として見るのではなく,人間の諸欲求(生活必需品に対する欲求,所有欲,競争心,虚栄心,権勢欲)との関係で見ると、いろいろなことが解釈でき、味わい深くなる。

「義務に忠実であること」を欲求する?

 人間の活動は全て欲求(desire 欲望)あるいは衝動によって促進されます。(注:実際の受賞演説の時は desire だけであり, Human Society in Ethics and Politics, 1954 に収録される時点で desire or impulse と or impulse が追記されたようです。)  熱心な道徳家のなかには義務や道徳原理のために(は)欲求を抑制することは可能であるという趣旨の学説を提唱する者がいますが,まったく誤っています。私がこれは誤っていると言うのは,誰も義務感から行動しないということではなくて,義務に忠実であることを欲求する(望む)からという以外には義務は彼を拘束する力(義務を守らせる力)を持たないからです。人がやろうとしていることを知りたければ,ただ単にあるいは主として,彼らの物的な状況を知らなければならないだけでなく,むしろ,彼らのいろいろな欲求の全体をそれぞれの欲求の強弱の程度とともに(相対的な強さとともに),知らなければなりません。
欲求のなかには,非常に強力ではあるけれども,一般に,たいしたがあります。大部分の男性は,人生のある時期に結婚したいと望みますが,一般に,いかなる政治的行動を起こすことなしにこの欲求を満足させることができます。もちろん例外はあります。ローマ人によるサビニ人の女性たちに対する強奪(注:the rape of the Sabine women 古代イタリアにおいて,ロムルスが中部イタリアに住んでいたサビニ人の女性たちを略奪/強奪したという伝説/rape はここでは「強姦」ではなく「略奪」)がそのよい例です。また,オーストラリア北部の開発は,その仕事をなすべきたくましい男たちが女性とのつきあいをまったく奪われていることを嫌ったことによってはなはだしく妨げられました。しかしそのような例はまれであり,一般に,男女がお互いに持つ関心は政治にはほとんど影響を及ぼしません(注:大部分は政治には直接関係がない,私的な世界のお話だということ)。

All human activity is prompted by desire or impulse. There is a wholly fallacious theory advanced by some earnest moralists to the effect that it is possible to resist desire in the interests of duty and moral principle. I say this is fallacious, not because no man ever acts from a sense of duty, but because duty has no hold on him unless he desires to be dutiful. If you wish to know what men will do, you must know not only, or principally, their material circumstances, but rather the whole system of their desires with their relative strengths.
There are some desires which, though very powerful, have not, as a rule, any great political importance. Most men at some period of their lives desire to marry, but as a rule they can satisfy this desire without having to take any political action. There are, of course, exceptions; the rape of the Sabine women is a case in point. And the development of northern Australia is seriously impeded by the fact that the vigorous young men who ought to do the work dislike being wholly deprived of female society. But such cases are unusual, and in general the interest that men and women take in each other has little influence upon politics.
出典:Bertrand Russell: What Desires Are Politically Important? 1950
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0944WDPI-020.HTM

<寸言>
このスピーチの趣旨は「政治的に重要な人間な欲求」について論ずること。従って、「政治的」でも「重要」でもない欲求を区別してわきにおいやっていっている。

政治的に重要な欲求 Politically important desires

http://www.nobelprize.org/mediaplayer/index.php?id=634
(The 1950 Nobel Prize Award Ceremony (10 minutes))
今晩の私の講演(注:1950年度ノーベル文学賞受賞講演)にこの主題(注:「政治的に重要な欲求」)を選んだのは,政治と政治理論についての大部分の最近の(最近行なわれている)議論が心理学に十分な考慮を払っていないと考えているからです。経済上の事実,人口統計,立憲組織(憲法に規定された組織?)などについては,詳細に(こと細かに)論じられています。朝鮮戦争が始まった時に,南朝鮮(韓国)の人口や北朝鮮(大韓民国)の人口がどれくらいであったかを見つけ出すことにはまったく困難はありません。もし,適切な本を調べてみるならば,(両国の)一人あたり平均収入がどれくらいであったか,また,(両国の)それぞれの軍隊の規模はどれくらいであったか,ということは確かめることができるでしょう。しかし,朝鮮人(a Korean)はどういった種類の人間か,また,北朝鮮人(大韓民国の国民)と南朝鮮人(韓国人)との間には特に目立つ相違があるか,を知りたいと思う場合,また両者が人生に(out of life 人生から)何を望んでいるか,何が不満なのか,何を希望し、何を恐ろしいと思うのか知りたいと思う場合,要するに,世間で言うように,何が「彼らを動かすのか (注:makes them tick 時計を動かす)」は,いくら参考書を調べても,(知ることができず)無駄に終わるでしょう(見つけ出せないでしょう)。また,そういうわけで,南朝鮮(注:韓国)は国際連合(UNO:United Nations Organization)について熱心か,それともむしろ北朝鮮の従兄弟たちとの統一(注:朝鮮半島統一)を望んでいるのか,あなたは言い当てることはできません。また彼ら(韓国人)が聞いたこともない某政治家に対する投票権のために土地改革を放棄してもよいと思っているのかどうか想像もつきません(注:韓国は民主主義陣営に入っているが,土地を持っていない無産階級が多い。社会主義国のように土地の私有制を廃してほしいと思っているかどうかわからない、と言った意味か?)。しばしば失望をもたらしているのは,(各国の,朝鮮から離れた)遠い首都(注:複数形)に坐っている偉い人たちがそのような問題を無視していること(怠慢)ですもし,政治が科学的であるべきであり,また出来事がいつも驚くべきものになるべきでないとしたら,我々の政治的思考は人間活動の源泉をもっと深く見通すものでなければならないということが是非とも必要です。空腹がスローガン(標語)にどのような影響を及ぼすか?(注:たとえば,戦時中のように「贅沢は敵だ!」と言っても,お腹がすきすぎると・・・,といったニュアンスか?) そのようなスローガン(標語)の効果が食事のカロリー数値とともにどのように変動するか? 一方の人間が民主主義を与え,別の人間が一袋の穀物を提供する場合,飢饉のどの段階で,投票権よりも穀物を選ぶのか? そのような問題はあまりにも考慮されていません。けれども,当面は朝鮮の人たちのことはしばらく忘れて,人類のことを考えてみましょう。

I have chosen this subject for my lecture tonight because I think that most current discussions of politics and political theory take insufficient account of psychology. Economic facts, population statistics, constitutional organization, and so on, are set forth minutely. There is no difficulty in finding out how many South Koreans and how many North Koreans there were when the Korean War began. If you will look into the right books you will be able to ascertain what was their average income per head, and what were the sizes of their respective armies. But if you want to know what sort of person a Korean is, and whether there is any appreciable difference between a North Korean and a South Korean; if you wish to know what they respectively want out of life, what are their discontents, what their hopes and what their fears; in a word, what it is that, as they say, “makes them tick”, you will look through the reference books in vain. And so you cannot tell whether the South Koreans are enthusiastic about UNO, or would prefer union with their cousins in the North. Nor can you guess whether they are willing to forgo land reform for the privilege of voting for some politician they have never heard of. It is neglect of such questions by the eminent men who sit in remote capitals, that so frequently causes disappointment. If politics is to become scientific, and if the event is not to be constantly surprising, it is imperative that our political thinking should penetrate more deeply into the springs of human action. What is the influence of hunger upon slogans? How does their effectiveness fluctuate with the number of calories in your diet? If one man offers you democracy and another offers you a bag of grain, at what stage of starvation will you prefer the grain to the vote? Such questions are far too little considered. However, let us, for the present, forget the Koreans, and consider the human race.
出典:Bertrand Russell: What Desires Are Politically Important? 1950
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0944WDPI-010.HTM

<寸言>
1950年度ノーベル文学賞受賞講演「政治的に重要な欲求 Politically important desires」の一節から。

現代人の知的欠陥と道徳的欠陥

 現代の世界は,二種類のことを必要としている(注:stands in need 必要な状態にある)。一方では,組織が必要であり,戦争をなくすための政治的組織,特に戦争によって荒廃させられた国々において,人々を生産的に働かせるような経済的組織健全な国際主義を産み出すための教育的組織が必要である。他方で,現代世界は,ある種の道徳的特性(注: moral qualities 倫理的素質/倫理的優良性) -長年の間,モラリストたちによって唱道されてきたけれどもこれまでほとんど身につかなかったような諸特性(素質)- を必要としている。もっとも必要な(倫理的)特性は,慈愛と寛容とであり,種々の激しい主義が提供するような,何らかの形態の狂信的な信念ではない。
私はこれら二つの目的,すなわち組織の目的と倫理的な目的とは,相互に密接に織り合わされていると考える。いずれか一方が与えられれば,他方は間もなく生じてくるであろう。しかし,実際には,もしも世界が正しい方向に動くべきであるとするならば,両面が同時に動かねばならないであろう。戦争の自然な余波である悪しき情熱が,徐々に減少してゆかねばならないであろうし,また人類が相互に助けあえるような組織を,徐々に増やしてゆかねばならないであろう。我々の全てが一つの家族であり,この家族のどの部分の幸福も,他の部分の荒廃の上にしっかりと築くことはできないという, 知的であると同時に道徳的な認識がなければならないであろう。現代においては,道徳的欠陥が明噺な思考を妨げており(注:stand in the way of clear thinking),混乱した思考(明晰な思考ができないこと)が道徳的欠陥に拍車をかけている。

The world at the present day stands in need of two kinds of things. On the one hand, organization – political organization for the elimination of wars, economic organization to enable men to work productively, especially in the countries that have been devastated by war, educational organization to generate a sane internationalism. On the other hand it needs certain moral qualities – the qualities which have been advocated by moralists for many ages, but hitherto with little success. The qualities most needed are charity and tolerance, not some form of fanatical faith such as is offered to us by the various rampant isms. I think these two aims, the organizational and the ethical, are closely interwoven; given either the other would soon follow. But, in effect, if the world is to move in the right direction it will have to move simultaneously in both respects. There will have to be a gradual lessening of the evil passions which are the natural aftermath of war, and a gradual increase of the organizations by means of which mankind can bring each other mutual help. There will have to be a realization at once intellectual and moral that we are all one family, and that the happiness of no one branch of this family can be built securely upon the ruin of another. At the present time, moral defects stand in the way of clear thinking, and muddled thinking encourages moral defects.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-220.HTM

<寸言>
人類はもっと知的に賢くなると同時に,もっと慈愛と寛容の心を持たないといけない,ということ。

手続きの上だけの民主主義-多数決原理の形骸化

 しかもそのこと(多数決原理)を民主主義者が信じるのは,普通の人の知恵に関するいかなる神秘的概念からではなく,専制的暴力の支配のかわりに法の支配を代置するための,最良の実際的方策としてである。また民主主義者は,民主主義がいかなる時にもいかなる場所においても最良の体制であると必ずしも信じているわけではない。議会制度が成功するために必要な自制心と政治的経験とを欠いている国民は多くあり,そのようなところにおいては,民主主義者は,自分が必要な政治教育を手に入れることを望む一方,挫折することがほとんど確実であるような(民主主義)体制を,時機尚早に,その国民に無理に押し付けることは無益である,と認識するであろう。他の事においてもそうだが,政治においては,決めつけでものごとを扱うのはよくない(it does not do to deal in absolutes)。
ある時期やある場所において良いものも,時と所を変えれば悪いものとなるかもしれないし,ある国民の政治的本能を満足させるものが他の国民にほまったく無益なものに思われるかも知れない。民主主義者の一般的意図は,力による政治を一般の同意による政治で置き換えることであるが,これには,ある種の一定の訓練を経験した民衆が必要となる。ある国民が,相互に憎みあっているようなほぼ同数の二つの部分にわかれていて,互いに相手ののど笛にとびかかりたがっているような状態があるとすれば,半数より少し少ない方の側は,他の側の支配におとなしく従わないであろうし,また半数より少し多い方の側は,勝利のあかつきには,両者の不和を癒やすような穏健な態度を示さないであろう

And this (= majority rule) he believes not from any mystic conception of the wisdom of the plain man, but as the best practical device for putting the reign of law in place of the reign of arbitrary force. Nor does the democrat necessarily believe that democracy is the best system always and everywhere. There are many nations which lack the self-restraint and political experience that are required for the success of parliamentary institutions, where the democrat, while he would wish them to acquire the necessary political education, will recognize that it is useless to thrust upon them prematurely a system which is almost certain to break down. In politics, as elsewhere, it does not do to deal in absolutes; what is good in one time and place may be bad in another, and what satisfies the political instincts of one nation may to another seem wholly futile. The general aim of the democrat is to substitute government by general assent for government by force, but this requires a population that has undergone a certain kind of training. Given a nation divided into two nearly equal portions which hate each other and long to fly at each other’s throats, that portion which is just less than half will not submit tamely to the domination of the other portion, nor will the portion which is just more than half show, in the moment of victory, the kind of moderation which might heal the breach.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-210.HTM

<寸言>
 チャーチルは,「民主主義はひどいものである。ただし,歴史上存在したいかなる政治体制よりもましである。」といったそうであるが,ラッセルの発言も似通った趣旨であろう。
しかし,そうだとしても,手続きの上だけの民主主義(多数決原理の形骸化)でよいとして安住する政治家が多い場合は,最悪の結果を招く可能性がある。よく知られているように,ヒトラーも民主主義手続きで,ナチス党を第一党にし,多数決によって全権委任を勝ち得て,戦争(他国侵略)へと突き進んでいった。麻生総理は「ナチスの手口を学ぶとよい」と言ったが,半分冗談だとしても,こういった驕り高ぶった政治家を選挙で選び続ける選挙民も同様に愚かとしか言いようがない。

民主主義者であっても「過半数が常に賢明な決定を行う」と信じる必要なし

 道徳的な観点から純粋に知的な観点へ移ることにして,我々は,政治家が政治的決断をする際に助けとなるような因果法則を確立する方向(途上)において社会科学は何をなしうるかと,自問自答しなければならない。
現実的な重要性を持つ若干のこと -たとえば前の戦争(注:第二次世界大戦)の後に世界を苦しめたような不況や大規模な失業はどうすれば回避できるか- はすでに認識され始めている。また,問題を(真摯に)研究する労をとった人々の間では,国際的な政府(を創ること)のみが戦争を妨止できるのであり,もし戦争が起これば,さらなる世界大戦が複数回起こった後には,文明が存続することはほとんどありそうもない(注:人類は絶滅しなくても,文明は再生しそうもない,といったニュアンス: more than one more great war :more than one 1回より多く=2回以上→複数回,従って1回以上(再び)と訳してはいけない/ more than one more great war : さらなる大戦が複数回),ということは一般に理解されている。
しかし,これらは知られてはいるが,その知識は有効な効果を及ぼしていない。その知識は巨大な大衆には惨透しておらず,また(J. ベンサムの言う)邪悪な利益(注:sinister interests 支配する少数者の既得権益)をコントロールするほどの力をもっていない。 実際のところ,政治家たちが進んで適用しようとするあるいは適用できる以上に,多量の社会科学が存在している。このような欠陥を,民主主義のせいにする人々もいるが,私には,独裁主義国(専制主義国)における方が他のどの国よりも,その欠陥が顕著であると思われる。けれども,他のいかなる信念とも同様に,民主主義を支持する信念も,それが狂信的であり従って有害であるような地点にまで,運ばれていってしまうかも知れない(しまうことがありうる)のである。過半数が常に賢明な決定をおこなう,などと民主主義者は信じる必要はない。彼が信じなければならないのは,過半数の決定をそれが賢明であると否とにかかわらず,過半数が異なった決定をする時がくるまで,受け容れなければならない,ということである

Passing from the moral to the purely intellectual point of view, we have to ask ourselves what social science can do in the way of establishing such causal laws as should be a help to statesmen in making political decisions. Some things of real importance have begun to be known, for example how to avoid slumps and largescale unemployment such as afflicted the world after the last war. It is also now generally known by those who have taken the trouble to look into the matter that only an international government can prevent war, and that civilization is hardly likely to survive more than one more great war, if that. But although these things are known, the knowledge is not effective; it has not penetrated to the great masses of men, and it is not strong enough to control sinister interests. There is, in fact, a great deal more social science than politicians are willing or able to apply. Some people attribute this failure to democracy, but – it seems to me to be more marked in autocracy than anywhere else. Belief in democracy, however, like any other belief, may be carried to the point where it becomes fanatical, and therefore harmful. A democrat need not believe that the majority will always decide wisely; what he must believe is that the decision of the majority, whether wise or unwise, must be accepted until such time as the majority decides otherwise.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-200.HTM

<寸言>
選挙民は自分たちにふさわしい政治家を選ぶということ。政治家の多くが愚かであるのは、国民の多くが愚かであることの証明となる。

成功体験による「過信」が悲劇を生むことが少なくない

・・・。お互いの生命を脅やかすような競争が,競争者の間に良い仲間意識(連帯感)という感情を産まないだろう,と仮定することは安全である。もしも,近代的な武装を有する2つの国家が前線で対峙していて,両国の指導者が互いに他を侮辱しあうことに専念するとしたら,両方の国民がそのうちに神経質になり,一方の側が他方の側からの攻撃を恐れて攻撃を始めるということも,とてもありそうなことである。(それから)現代における大規模な戦争は戦勝国側においてさえ繁栄の水準を上げないであろう,と仮定することも安全である。
 こういった一般化を理解することは,難しいことではない。難しいのは,具体的な政策が長期的にどのような結果をもたらすか,といったことを詳細に予見することである。ビスマルク(注:ドイツの鉄血宰相)は異常な機敏さによって,三度の戦争に勝利してドイツを統一した。(しかし)彼の政策の長期的結果は,ドイツが二度のとてつもなく大きな敗北(注:第一次世界大戦と第二次世界大戦での敗戦)を被った,ということであった。そのような結果が生じたのは,ビスマルクがドイツ人たちに,自国以外のすべての国々の利害(国益)に無関心であれと教え,侵略的精神を生み出し,そのことが世界中を結束させ,ビスマルクの後継者たちに敵対させるにいたったからである。
限度を越えた利己心は,それが個人の場合であれ国家の場合であれ,賢明とはいえない。その利己心が運よく成功をもたらすこともありうるが,それが失敗した場合には,その失敗は恐るべきものとなる。理論によって支えられない限り,このような危険を冒す人々はごく少ないであろう。というのは,人々を完全に慎重でなくさせるものは,理論だけだからである。

… It is safe to assume that cutthroat competition will not produce a feeling of good fellowship between the competitors. It is highly probable that if two States equipped with modern armament face each other across a frontier, and if their leading statesmen devote themselves to mutual insults, the population of each side will in time become nervous, and one side will attack for fear of the other doing so. It is safe to assume that a great modern war will not raise the level of prosperity even among the victors. Such generalizations are not difficult to know. What is difficult is to foresee in detail the long-run consequences of a concrete policy. Bismarck with extreme astuteness won three wars and unified Germany. The long run result of his policy has been that Germany has suffered two colossal defeats. These resulted because he taught Germans to be indifferent to the interests of all countries except Germany, and generated an aggressive spirit which in the end united the world against his successors. Selfishness beyond a point, whether individual or national, is not wise. It may with luck succeed, but if it fails failure is terrible. …
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-190.HTM

<寸言>
連続した「短期的成功」によって自分(たち)の政策が正しいと「過信」することによって、長期的にみれば、未曾有の悲劇や敗北をもたらすことがあることは歴史を見れば明らかである。短期的視野しかもっていない者は、トランプが得意とする deal (取引を繰り返し)、成功(利益)が積み重なると気を良くして大胆になり、結局はそれまでの成功(利益)を帳消しにするどころか、大きな被害を受けるようなことをしてしまう。それが、自分だけが被害を受けるのであれば自業自得であろうが、政治家が自国の国民に災害をもたらすようであれば、政治家まかせにしておくことはできないはずである。

「確信過剰」(cocksure)な人間が流す害毒

 神に与えられた使命だと信じることは,これまで人類を苦しめてきた確信の多くの形態の一つである。恐らく,今までに言われた言葉のうちで,もっとも賢明なものの一つは,ダンバーの戦いの前に,クロムウェルがスコットランド人に言った次のような言葉だと思う。「キリストの慈悲において,あなた(方)に懇願します。自分(たち)が間違っていることもありうる,と考えてください。
しかし,スコットランド人は,そうは考えなかったので,クロムウェルは戦いで彼等を打ち破らねばならなかった。★しかし,クロムウェルが,同じ言葉(物言い)を一度も自分自身に対して言わなかったのは,残念なことである。★  人間が(同じ)人間に対して行ってきた最大の悪の大部分は,実際は誤まっている何事かについて,まったく確実だと感じた人々によって(を通して)行なわれてきたことである。真理を知ることは,大部分の人々が考えるよりももっと難しいことであり,真理を独占するのは自分たちの党派だ,と信じて無慈悲な決意を持って行動することは,大きな災害を招くことである。現在におけるある種の悪は,将来におけるいくらか疑わしい利益のためにあえて行う価値がある,という長期的な推定(計算)は,常に疑いを持って眺めなければならない。なぜなら,シェイクスピアが言っているように,「将来というものは,いまだ確実ではない」からである。最も洞察力のある人でさえ,十年もの将来を予言するような場合には,ひどく外れがちである。このような説を不道徳だと考える人がいるかも知れないが,結局のところ,「明日を思い煩うことなかれ」と述べているのは聖書なのである。

Belief in a Divine mission is one of the many forms of certainty that have afflicted the human race. I think perhaps one of the wisest things ever said was when Cromwell said to the Scots before the battle of Dunbar: ‘I beseech you in the bowels of Christ, think it possible that you may be mistaken.’ But the Scots did not, and so he had to defeat them in battle. It is a pity that Cromwell never addressed the same remark to himself. Most of the greatest evils that man has inflicted upon man have come through people feeling quite certain about something which, in fact, was false. To know the truth is more difficult than most men suppose, and to act with ruthless determination in the belief that truth is the monopoly of their party is to invite disaster. Long calculations that certain evil in the present is worth inflicting for the sake of some doubtful benefit in the future are always to be viewed with suspicion, for, as Shakespeare says: ‘What’s to come is still unsure.’ Even the shrewdest men are apt to be wildly astray if they prophesy so much as ten years ahead. Some people will consider this doctrine immoral, but after all it is the Gospel which says ‘take no thought for the morrow’.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-180.HTM

<寸言>
他人に対して明確な言葉で説明できないけれども自分は正しいと強く信じることから「確信過剰」(cocksure)が生まれる。相手が納得できるように説明できるのであれば「信じる」という現象は起こらない。論理や理屈で説明できないからこそ「信じる」ことになる
 他人がどう思おうと思想・信条の自由があり勝手なことであるが、権力を持った人間(政治家など)がそのような「確信過剰」を抱くと危ないことになる。権力者は他人に対して実際的な影響を及ぼしうるからである。
最悪なのは戦争を始めることであろうが,戦争に導くような政策(武器輸出,防衛目的という口実での核兵器の許容、「基本的な価値観」が異なる仮想敵国に対する敵対的行為、その他)をとることも同様に非難されるべきであろう。

「神話」を必要とする弱い人間(性)

 ・・・。我々は人間だ,従って,人間が天地創造の目的である。また,我々はアメリカ人だ,従って,アメリカは神の国であるとか,我々は白人だ,従って,神は黒人であるハム族やその子孫を呪ったのだとか,我々はプロテスタント(あるいはカトリックだ,従って,カトリック(あるいはプロテスタン)は嫌悪すべき対象であるとか,我々は男性だ,従って,女性は理性的でない,あるいは私は女性だ,従って,男性は獣だとか,我々は東洋人だ,従って,西洋人は乱暴であり,毛むくじやであるとか,我々は西洋人だ,従って,東洋は衰退している,などという。
(また)我々は頭脳で労働している,従って,重要なのは教育を受けた階級であるとか,あるいは、我々は手を使って労働している,従って,手を使った労働(筋肉労働/肉体労働)のみが尊厳である,とかいう。最後に,とりわけ,我々の各々が,我々は「自己」(ユニークな自己を持つ存在)であるという,まったく独自の長所を一つもっている。

以上のような心慰める内省(熟考)をいだいて,我々は,外に出て世間(世界)と闘かうのであり,そのような内省がなければ,吾々の勇気は挫けるかもしれないのである。現状のままでは,そのような内省がなければ,我々は,平等という感情を学んでいないので,劣等感を感じることだろう。

もしも我々が,自分は隣人と平等であり,彼等に優越するものでも劣るものでもない,ということを真に感じることができるならば,恐らく,人生はより闘争的でなくなるだろうし,また空元気(Dutch courage 酒に酔った勢いで出る勇気)を出すために自分たちを酔わせるような神話を必要とする度合はより少なくなるであろう。

We are human beings, therefore human beings are the purpose of creation. We are Americans, therefore America is God’s own country. We are white, and therefore God cursed Ham and his descendants who were black. We are Protestant or Catholic, as the case may be, therefore Catholics or Protestants, as the case may be, are an abomination. We are male, and therefore women are unreasonable; or female, and therefore men are brutes. We are Easterners, and therefore the West is wild and woolly; or Westerners, and therefore the East is effete. We work with our brains, and therefore it is the educated classes that are important; or we work with our hands, and therefore manual labor alone gives dignity. Finally, and above all, we each have one merit which is entirely unique, we are Ourself. With these comforting reflections we go out to do battle with the world; without them our courage might fail. Without them, as things are, we should feel inferior because we have not learnt the sentiment of equality. If we could feel genuinely that we are the equals of our neighbors, neither their betters nor their inferiors, perhaps life would become less of a battle, and we should need less in the way of intoxicating myth to give us Dutch courage.
出典:Bertrand Russell: Ideas That Have Harmed Mankind,1946.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0861HARM-160.HTM

<寸言>
 あるがままの(あるがままに)自分や自国をみることは難しい。あるがままに見るように努力して始めて大きな間違いをしなくてすむ。しかし、普通の個人も国家・国民も自分を「盛りたがり」,周囲や周辺国に迷惑をお互いにかけたがる。
あるがままに自分を見つめたら、政治家などやってられない。あるがままに自分を見たら、安倍総理など・・・