独断論者と懐疑論者 - どちらも社会に災難を引き起こす

logical_paradox (確実かつ有益な)知識は、他の良いものと同じく、困難ではあっても、獲得不可能なものではない。独断論者は(確実な)知識獲得の難しさを忘れ、懐疑論者は(確実な)知識獲得の可能性を否定する。両者は、ともに誤っている。そして、その誤りが世のなかに蔓延すれば、社会的な災難が引き起こされる。

Knowledge, like other good things, is difficult, but not impossible; the dogmatist forgets the difficulty, the sceptic denies the possibility. Both are mistaken, and their errors, when widespread, produce social disaster.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, chap. 2: The Aims of Education
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE02-050.HTM

[寸言]
人は自分の好みにあった情報をより求め、それらの「大量の情報」で自らの偏見をより強固に信じることになる。逆にこれまで提供されてきた「大量の情報」の多くが不十分であったり、嘘であったりしたことを強く感じるものは、全てに疑ってかかることになりやすい。
labelling_retteruhari 両者とも「知識」は正しいか間違っているか、どちらかであると思い込んでいるという点で間違っている。また両者とも、自らが独自に(論理的推論を駆使して)確からしい情報を蓄積する努力をしていない。提供される「大量の情報」について、確信を抱けない場合は、「判断停止」をしておけばよいだけのことであるが、多くの人はそれができず、色をつけてしまう。つまり、レッテル貼りが好きな人が多い自分がレッテル貼りをされるのは極度にいやがるくせに、他人にレッテル貼りをすることはなんとも思わない人が多い。