黄色(黄色い色)は見えても「黄色」という言葉を知らなければ・・・?

agatha アガサおばさんは,ペンブローク・ロッジ(注:ラッセルが18歳まで住んでいた祖父母の屋敷)に住んでいた大人のなかで一番若かった(写真はラッセルとアガサおばさん)。事実,彼女は私より19歳年上であるにすぎず,私が1876年2月,ラッセル3歳9ケ月の時に)ペンブローク・ロッジに(来たとき,彼女は22歳であった。(訳注:それだけ年寄りに囲まれて暮らしていたという wit) 私がペンブローク・ロッジに来た最初の数年,彼女は私を教育しようとして,さまざまの試みをしたが,大きな成果はあげられなかった。
彼女は色鮮やかなボールを3つ-赤色のもの1つ,黄色のもの1つ,青色のもの1つ-持っていた。彼女は赤色のボールを持ち上げ,「何色をしていますか?」と私によく聞いたものである。私は「黄色!」といつも答えた。すると彼女は,そのボールをカナリアのすぐ近くにもっていき,「このボール(の色)はカナリアと同じ色だと思いますか?」と言った。私は「いいえ」といつも答えたが,私はカナリアの色は黄色だということを知らなかったので,おばのこの方法もたいして役立たなかった。そのうち私も色(の概念)について理解するようになったにちがいないが,私は(当時)全く色のことはわからなかったということだけしか記憶に残っていない。

sponge-balls_red-blue-yellowMy Aunt Agatha was the youngest of the grown-up people at Pembroke Lodge. She was, in fact, only nineteen years older than I was, so when I came there she was twenty-two. During my first years at Pembroke Lodge, she made various attempts to educate me, but without much success. She had three brightly coloured balls, one red, one yellow, and one blue. She would hold up the red ball and say : ‘What colour is that ?’ and I would say, ‘Yellow’. She would then hold it against her canary and say : ‘Do you think that it is the same colour as the canary ?’ I would say, ‘No’, but as I did not know the canary was yellow it did not help much. I suppose I must have learned the colours in time, but I can only remember not knowing them.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 1, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB11-100.HTM

[寸言]
大人と子供とを同一視してはいけないことはわかっているはずなのに、いつの間にかその違いを無視して、大人の常識や発想法で子供に対応してっしまいしやすい。

人間(子供)の認知能力や知識や思考の発達は,発達心理学児童心理学の知識がないと勘違いしやすい。

自分も同じような発達段階を経てきたはずなのに、そのことを反省しようともしないで子供に接することは、(大人と子供の)お互いのために、よくないだけでなく、もったいない。

島国根性?

garapagos 島(国)に住む人々は,大陸に住んでいる人々からこれまでずっと悪口を言われ続けてきた。そして大陸の住民は多数派であるため,彼等(大陸の住民)は自分たちの言い分を,少数派である島国の住民よりもずっと効果的に世の中に受け入れさせてきた。人が住むところとしては,世界最小の島の一つであるシリー諸島への船旅からもどってきたばかりの私としては,島の住民一般に味方して,彼等がそれ以外のことでどのようであれ,彼らは決して世間普通に言われている意味での「島国的」ではない,と立証したい衝動に駆られる。・・。
アメリカ大陸の中央部においても,これと同様ことが生ずる。大部分のアメリカ人は,アメリカの流儀は唯一自然なやり方であり,また,アメリカの統治形態は唯一自然な統治形態であると考え,(従って)アメリカ社会における弊害は,人間本性にとって不可避なものである,と感じている。同じようなことは,多分,中国大陸の中央部や,その他広大で均一な大陸の中央部ではどこでも見られるものであるだろう。 それゆえ,「島国根性」は,島(国)の住人の特徴ではなく,逆に,広大な内陸諸国の住民の間で最も普通に見られる特徴であると思われる。

Men who live on islands have been much maligned by those who live on continents, and as the latter are the majority they have made their case heard more effectually than has been possible for the minority. Having just returned from an excursion to the Scillies, which are among the smallest inhabited islands in the world, I feel impelled to take up the cause of islanders in general and to argue that, whatever else they may be, they are not ‘insular’ in the ordinarily accepted meaning of the term. …
In the centre of the American continent the same sort of thing happens. The bulk of the population feels that American ways are the only natural ways, American forms of government the natural forms of government, and American abuses only such as human nature makes inevitable. The same sort of thing would be found in the centre of China or of any large homogeneous continental area. It would seem, therefore, that ‘insularity’, so far from being a characteristic of islanders, is, on the contrary, most often to be found among the inhabitants of vast inland countries.
出典: On insularity (written in Sept. 21, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.)]
詳細情報:http://russell-j.com/INSULAR.HTM

[寸言]
ラッセルがこのエッセイを書いたのは1932年のことであり、現在では大陸の中部においても世界中の情報が行き渡るようになってきて、だいぶ状況が変わってきています。しかし、たとえば、米国中部に住んでいる人たちは比較的保守的であり、米国以外の各国についての知識は現在でも乏しい人が多いようです。中国(大陸)では国家(指導層)に都合が悪い情報は閲覧できないという制限があります。

photo10d 島国(の国民)には違った意味での視野の狭さがあります。世界は多様化しており、国家を構成する国民がいろいろな人種からなっている国が増えてきています。日本では、移民を規制し、原則として難民を受け入れない方針をとっていますので、人種間の争いがおこならいという有利な点があるとともに、難民に対する理解のなさはなげかわしい状況です。日本人だって、最初のころは、大陸や南の島々など、いろんなところからやってきて、長い時間をかけて混血し、今の日本人が形成されたという事実をいつの間にか(半分理解していながら)忘れてしまっています。
ヨーロッパ難民問題で悩んでおり、難民を制限する方向にいっていますが、よく考えてみれば、現在のヨーロッパの住民は、ゲルマン民族の大移動で他から移ってきた移民であり、難民であったはずです。たとえば、ゲルマン民族が大陸からやってくることによって、イギリス(England地区)に当時住んでいた人がウェールズに(難民としてい)追いやられています。従って、ウェールズでは今でも「Brits out!」(添付写真参照 1972年8月松下撮影)といった落書きが散見されます。

北朝鮮だけでなく、日本の国会でも(自民党議員総立ちで安倍総理に拍手)

abe_susitomo01 高等動物は全て,喜びを表現する方法を持っている。しかし,喜びを実際に感じない時に,喜び表わすのは,人間のみである。これは「礼儀(politeness)」と呼ばれ,徳目の一つに数えられている。乳幼児の(人を)当惑させる特性の一つは,彼等は本当に喜びを感じた時だけ笑うという事実である。乳幼児は,来客を真剣なまなざしで(目を見開いて)みつめ,相手があやそうとすると,大人の愚かな滑稽な動作(仕草)に対し怪訝な表情を表す。しかし彼らの両親は,即座に乳幼児に,彼とはまったく無関係で無関心な人々が出現しても嬉しいような表情をするように教えこむ

All the higher animals have methods of expressing pleasure, but human beings alone express pleasure when they do not feel it. This is called politeness and is reckoned among the virtues. One of the most disconcerting things about infants is that they only smile when they are pleased. They stare at visitors with round grave eyes, and when the visitors try to amuse them, they display astonishment at the foolish antics of adults. But as soon as possible, their parents teach them to seem pleased by the company of people to whom they are utterly indifferent.
出典: On smiling (written in Aug. 17, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975.)]
詳細情報:http://russell-j.com/SMILING.HTM

[寸言]
abe_20160926-yorokobigumi 一昨日(9月26火)の国会における安倍総理の所信表明演説に対し、自民党議員が総立ちで拍手をしている姿は異様でした。まるで北朝鮮の金正恩主席に対するへつらいの拍手のように感じた人は少なくないのではないでしょうか? 小泉進次郎も立ち上がって拍手しないだろうと思いましたが、ニュースによれば、周囲につられてつい立ち上がってしまったと反省の弁を述べていました。

米国での議会でも議員総立ちの拍手が時々あり、日本でもそのような場面を私の演説の時につくってみたいと夢想する。そのご主人様の気持ちを忖度して、自民党議員の20~30人くらいに、演説のよいタイミングでたちあがって大きな拍手をするように依頼する。人は近くの力をもっている者が立って大きな拍手をすれば釣られる人間がけっこういるものである。そういった人間がどんどん増えていけば、それに抵抗できる人は少ない。そうして、目立たくも(北朝鮮の)「喜び組」のような態度を多くの自民党議員がするようなことになってしまった。

abe_yarase_sodachi-hakusyu そのような拍手が起こり始めると、安倍総理は少し演説をとめ、周囲を見渡す。すると、その視線を感じた議員諸君は、立って拍手をしていないところを安倍総理がみたら、自分は委員会の議長や大臣など、自分のつきたい役職を与えてくれないかも知れないという思いが一瞬よぎり、立ち上がって拍手することになる。アベチルドレンはもちろん早い時期から立ち上がって拍手する。めでたし、めでたし?(ここは想像で書きましたが、添付写真のように「台本」がありました!!)

「価値情緒説」に立つがそれで満足しているわけではない

tp-hsep 私は,倫理(道徳原理)は情熱に由来するという原理,及び,情熱から出発して何がなされるべきかということ(当為)に到達する論理的に妥当な方法はまったく存在しないという原理を自分の基本的な考え方(基本思想)として採用した。私は,デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)の格言「理性は情熱の奴隷であり,またただそうあるべきである」を採用した。私はこれで満足しているわけではないが,採用することができるとすればこれが最善である。批評家たちは,私がまったく合理主義的であるといって私を責めたがるが,少なくともこの格言に私が同感していることをみれば,私が完全に合理主義的であるわけではないことの証拠となるだろう。様々な情熱の間の実際的な区別は,その情熱の結果(成功あるいは失敗)に関して生ずる。ある感情は欲求していることがらにおいて成功に導き,他の感情は失敗に導く。もし前者を追求すれば幸福になり,後者を追求すれば不幸になるだろう。おおざっぱに言えば,それが一般原則であろう。

「義務」,「自已否定」,「当為」(・・・すべし)などの高尚な概念の探求の結果としては,これは貧弱かつ卑俗だと思われるかもしれない。しかし私は,ある一点を除けば,それが正当な結果の全てであると確信している。その例外の一点とは,自分自身の不幸という代償において広く一般に幸福をもたらす人々は,他人に不幸をもたらして自分にだけ幸福を求める人々よりも善人である,と我々は感じるということである。(しかし)こういった見方を支持する合理的な根拠を私はまったく知らない(見つけていない)。あるいは,多分,何であれ多数の人々の求めるものは少数の人々が求めるものよりも好ましいという見解の方が幾らかより理屈にかなった見方であるが,そういった見方に対する合理的な根拠さえ,私はまったく知らない。これらはまったく倫理的な問題であるが,それらの問題が,政治や戦争以外のいかなる方法で解決し得るのか,私にはまったくわからない。この問題について私が言えることは,倫理的な意見は,ただ倫理学上の公理(注:それ以上証明できない命題)によってのみ擁護することができるということだけである。しかし,もしその公理が容認できないものとすれば,もはや合理的な結論に到達する方法はまったくない。(松下注:いわゆる emotive theory of value 価値情緒説/ラッセルは倫理の問題はあくまで知識論の対象にならず,論理的に導きださるものではないと考える。)

(ただ)ある程度根拠をもつ倫理的結論に到達するためのほぼ合理的と思われる方法がある。それは,両立可能性の説(原則)と名づけてもよいだろう。すなわち次のような原則である。人が,自分が持っていると気づいている欲望の中には種々のグループがあり,いずれも,’同時に満たされることのできる欲望’から成り立っているグループと,’互いに反発しあう欲望’でなりたっているグループがある。たとえば,あなたがたが民主党の熱心な支持者であるのにたまたまその民主党の大統領候補は嫌いだということがあり得る。そのような場合,党を愛するということと,その個人は嫌いだということとは,両立可能ではないのである。あるいはまたある人間は嫌いだがその息子は愛しているという場合もあるかもしれない。そのような場合,もし彼らがいつも一緒に旅行しているとすると,あなたがたは,彼らを親子一対の組み合わせは両立可能とは考えないであろう。政治の手腕は,できるだけ多数の両立可能な人々の集団をきわめて沢山発見しうるということに存する。幸福になりたいと望む人間は,できるだけ大きな集団の共存可能な欲望を’自分の人生の支配者’にしようと努力することであろう。けれども理論的な観点から見れば,その様な信条はすこしも’究極の解決’にはならない。幸福であるということは幸福でないということよりもいいことだと想定している。これは別に(論理的に)立証することのできない倫理上の原則(原理)である。そうした理由から私は,両立可能性を倫理学の基盤(支えとなるもの)とは考えなかったのである。

I adopted as my guiding thought the principle that ethics is derived from passions and that there is no valid method of travelling from passion to what ought to be done. I adopted David Hume’s maxim that ‘Reason is, and ought only to be, the slave of the passions’. I am not satisfied with this, but it is the best that I can do. Critics are fond of charging me with being wholly rational and this, at least, proves that I am not entirely so: The practical distinction among passions comes as regards their success: some passions lead to success in what is desired; others, to failure. If you pursue the former, you will be happy; if the latter, unhappy. Such, at least, will be the broad general rule. This may seem a poor and tawdry result of researches into such sublime concepts as ‘duty’, ‘self-denial’, ‘ought’, and so forth, but I am persuaded that it is the total of the valid outcome, except in one particular: we feel that the man who brings widespread happiness at the expense of misery to himself is a better man than the man who brings unhappiness to others and happiness to himself. I do not know any rational ground for this view, or perhaps, for the somewhat more rational view that whatever the majority desires is preferable to what the minority desires . These are truly ethical problems, but I do not know of any way in which they can be solved except by politics or war. All that I can find to say on this subject is that an ethical opinion can only be defended by an ethical axiom, but, if the axiom is not accepted, there is no way of reaching a rational conclusion. There is one approximately rational approach to ethical conclusions which has a certain validity. It may be called the doctrine of compossibility. This doctlrne is as follows: among the desires that a man finds himself to possess, there are various groups, each consisting of desires which may be gratified together and others which conflict. You may, for example, be a passionate adherent of the Democratic Party, but it may happen that you hate the presidential candidate. In that case, your love of the Party and your dislike of the individual are not compossible. Or you may hate a man and love his son. In that case, if they always travel about together, you will find them, as a pair, not compossible. The art of politics consists very largely in finding as numerous a group of compossible people as you can. The man who wishes to be happy will endeavour to make as large groups as he can of compossible desires the rulers of his life. Viewed theoretically, such a doctrine affords no ultimate solution. It assumes that happiness is better than unhappiness. This is an ethical principle incapable of proof. For that reason. I did not consider compossibility a basis for ethics.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-260.HTM

[寸言]
「倫理学」は客観的な科学としてはたして成立するかどうか? 数学や論理学や物理学などは,科学的かつ合理的な説明によって大部分の人が納得する結論を得ることができる。しかし,倫理学はそのような学問にはなりえない。人間がこの地球上で繁栄したほうがよいかどうかなど、自然科学的な、人間以外の(どこかの天体にいる/いるかも知れない)高等生命も同意するような厳密な学問になりえないであろう。

ラッセルは,価値情緒説に立つ。即ち,「(倫理(道徳原理)は情熱に由来するという原理,及び,情熱から出発して何がなされるべきかということ(当為)に到達する論理的に妥当な方法はまったく存在しないという原理」を出発点にしている。科学的に証明はできないとしても,人間の一員である以上、「人間の生命は尊い」とか「人類の繁栄は善である」とかいった基本原理を設定しなければ、倫理学は先に進むことはできないからである。しかし、ラッセルは、(他に納得できる原理がないので)その基本原理を不承不承受け入れているのであり、満足しているわけではない。

これに対し、価値情緒説にたてば、「一人ひとりの人権を重視する理論」は「国家や公共のためには国民の命は二の次にしてもよいというような理論」よりもすぐれていることを、理論的に説明できなってしまうと、ラッセルは非難される。
そこで、ラッセルは価値情緒説にたった上で、倫理の諸問題について、いかにして多くの人が納得できる説明ができるか、本書(『倫理と政治における人間社会』)において、自分(ラッセ)ルの考え方を体系的に紹介していく。

「倫理学は知識の一部門ではない」

倫理学について著述をしようと私を導いたものは,頻繁に私に対してなされた非難 -即ち,私が知識の他の諸分野については多かれ少なかれ懐疑的な探求を行っているのに,倫理(学)の問題については,(自分の)初期の論文の中でムアの『倫理学原理(プリンキピア・エティカ)』について詳しく述べている以外は,避けている- という非難にあった。それに対する私の答えは,倫理(学)は知識の一部門ではないということである。

tpj-hsep そこで私は今や,この倫理問題の探求を別のやり方で着手した。私はこの本(Human Society in Ethics and Politics, 1954)の前半の第一部(注:2部構成)で,倫理学の基本概念(根本概念)をとり扱った。第二部で,これらの概念を政治の実際に適用する問題をとり扱った。第一部では,善悪,罪,迷信的な倫理,倫理的制裁といった概念を倫理規則(道徳律)として分析している。即ち,これらすべてのなかで,伝統的に倫理的として分類づけされている主題における倫理的要素を探求している。私が現在到達している結論は,倫理(学)は独立(自立)している要素ではなく,どこまでも分析していくと最後には政治(政治学の問題)に還元できるというものである。

たとえば,(両)当事者(注:国,地域,民族,宗教など)が互角に対抗している戦争(の問題)について,われわれは何を言うべきであろうか。そのような情況では,どちらの側も,自分たちの側が正しい(正義であること)は明らかであり,自分たちの側(注:国,地域,民族,宗教など)が敗れるのは’人類の不幸’である,と主張するだろう。この主張を証明する方法としては,他の倫理的概念,たとえば’残酷(な行為)に対する憎悪‘,あるいは’知識あるいは芸術に対する愛‘といったような概念に訴える以外に方法はないであろう。セント・ピータース寺院を建立したことでルネッサンス時代を皆讃美するかも知れない。しかし中には,自分は セント・ポール寺院のほうがよいと思うといって皆をまごつかせる者がいるかもしれない。あるいはまた一方の側がついた嘘から戦争が勃発してしまったかもしれず,その嘘もついには他方の側にも同じような虚偽があったことが明らかになるまでは戦いのための賞賛されるべき根拠であるように思われるかもしれない。

gca_jolly この様な性質の議論に対しては純粋に合理的な結論というものはまったく存在しない。もしある人が地球は丸いと信じ,他の人が地球は平らだと信じているのであれば,彼らは一緒に航海に出てこの問題を合理的に決めることができる。しかしもし,ある者がプロテスタントを信じ,他の者がカトリックを信じる場合は,合理的(理性的)な結論に達する方法というものは何一つ知られていない。

そのような理由から,私は,倫理的な「知識」というものはまったく存在しないと主張するサンタヤーナと意見に同意するようになったのである。しかしそれにもかかわらず,倫理的概念は歴史的にみて非常に重要性をもってきたのであり,倫理をぬきにして人間の問題を概観することは不適切であり,かつ部分的なものになってしまうと感じないわけにはいかないのである。

What led me to write about ethics was the accusation frequently brought against me that, while I had made a more or less sceptical inquiry into other branches of knowledge, I had avoided the subject of ethics except in an early essay expounding Moore’s Principia Ethica. My reply is that ethics is not a branch of knowledge. I now, therefore, set about the task in a different way. In the first half of the book, I dealt with the fundamental concepts of ethics ; in the second part, I dealt with the application of these concepts in practical politics. The first part analyses such concepts as moral codes; good and bad, sin, superstitious ethics, and ethical sanctions. In all these I seek for an ethical element in subjects which are traditionally labelled ethical. The conclusion that I reach is that ethics is never an independent constituent, but is reducible to politics in the last analysis. What are we to say, for example, about a war in which the parties are evenly matched ? In such a context each side may claim that it is obviously in the right and that its defeat would be a disaster to mankind. There would be no way of proving this assertion except by appealing to other ethical concepts such as hatred of cruelty or love of knowledge or art. You may admire the Renaissance because they built St Peter’s, but somebody may perplex you by saying that he prefers St Paul’s. Or, again, the war may have sprung from lies told by one party which may seem an admirable foundation to the contest until it appears that there was equal mendacity on the other side. To arguments of this sort there is no purely rational conclusion. If one man believes that the earth is round and another believes that it is flat, they can set off on a joint voyage and decide the matter reasonably. But if one believes in Protestantism and the other in Catholicism, there is no known method of reaching a rational conclusion. For such reasons, I had come to agree with Santayana that there is no such thing as ethical knowledge. Nevertheless, ethical concepts have been of enormous importance in history, and I could not but feel that a survey of human affairs which omits ethics is inadequate and partial.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-250.HTM

[寸言]
倫理学は知識論の一分野ではないという主張
この世に人間が一人しかいなければ倫理学の出る幕はない。また、人間がかなりいても、交流できない距離を保っていても倫理学の出る幕はない。人間が集団で住み、社会を形成して初めて倫理及び倫理学の必要性が出てくる。従って、倫理及び倫理学の問題は、社会学や政治学と密接に関わってくることになる。
aikoku-onna_seijikatachi そのことをよく理解しないで、人間の倫理を「真空の中で」「絶対的なもの」として考える者は暴走する。そういう者は、人間や国家が対立する場合には、どちらか(の国家)が絶対的に正しいと考えがちであるが、それは間違っているということを歴史が証明している。しかし、歴史を軽視する者(あるいは歴史を知らない者)は、自らの無知に気づかずに、同じ過ちを繰り返すことになる。

同じことを言っても,時代により、非難されたり賞賛されたり・・・

私の講演(や講義)が聴衆の受けがよかったということで驚いたことは,間違っていたと思う。大学の若い聴衆の大部分は自由主義的(リベラル)であり,自由主義的かつ一見革命的にさえ思われる意見が誰か権威ある人間によって述べられるのを聴くことを好むものである。彼らは,また,正統主義的であろうとなかろうと,一般の通念として受け入れられているいかなる見解も嘲笑することを好む
logicomix_br-lecture たとえば,私は,(講演のなかで)アリストテレスをからかうことでしばらく時間を費やし,「馬がトガリネズミに噛みつかれるのは危険なことだ、特に,トガリネズミが妊娠しているときはなおさらそうである」と言った。聴衆は不遜な連中であり,私自身もまたそうであった。そのことが,彼らが私の講義を好んだ主な基礎をなしていたと思う。
私が一般の通説(正統主義)に従わないのは政治問題に限ったことではなかった。1940年に私の身に起こったニューヨークでの性道徳の問題に関する揉め事(ゴタゴタ)は忘れ去られていたが,(1951年のコロンビア大学での講演においては)どの聴衆の心の中にも,年寄りや一般の通説を重んずる人たち(正統主義者たち)がショックを受けそうな事を私が話すの聞けるだろうという期待があった。人間の科学的繁殖(品種改良)に関する議論のなかにはそのような要素がたくさんあった。だいたいにおいて私は,以前(1940年のニューヨークにおける事件の時)には非難排斥される結果となった話とまったく同じことを言って拍手喝采を受けるという愉快な経験をしたのである。

tpj-wic ロンビア大学での最後の講義の末尾で私の言った一節(くだり)でトラブルに巻き込まれてしまった。私はその一節のなかで,「世界が必要としているのは,愛(love),キリストの愛(Christian love),即ち,思いやり(compassion)です」と言った。私がこの「キリストの」という言葉を使ったことで,自由思想家たちからは一般通説の考え方(正統主義)に従ったといって嘆く手紙が,また,キリスト教徒の側からは彼らの教会に歓迎するという手紙が,殺到した。それから10年後に,(反核デモ行進のために収監された)ブリクストン刑務所でそこの教戒師から「あなたが光明を見いだされたことをうれしく思います。」といって歓迎された時,私は彼に,それはまったくの誤解であること,私の考えはまったく変っていないこと,また私なら’暗中模索している’と言うべきところをあなたは’光明を見いだしている’と言っているということを,説明しなければならなかった。あの時の講義で私が「キリストの愛」(Christian love)と言ったのは,その「愛」を普通の’性的な愛’から区別する意味で「キリストの」という形容詞をつけたのであるが,それはまったく自明のことと考えていた。前後の関係(文脈)からしてこれはまったくあきらかであると本当に想っていた。
(松下注:ラッセルは1929年に出版した Marriage and Morals 第9章(p.96)で次のように書いている。Love, when the word is properly used, does not denote any and every relation between the sexes, but only one involving considerable emotion, and a relation which is psychological as well as physical. つまり ‘love’ は。‘love'(男女間の愛情) は,正しく使われた場合は,男女間のどんな関係でも全て指すのではなく,肉体的であると同時に心理的である関係のみを意味する。しかし,誤解をする人もいると思われるために,コロンビア大学の講義では,男女間の愛をいうのではないことを明確にするために ‘Christian’ という形容詞をつけた,ということである。従って,Love を単に「愛情」と訳すと誤解を与えることがあり、「恋愛(感情)」と訳したほうがよい場合がかなりある。

私は続けて,次のように言っている。

「もしこの愛を感じるならば,それは生きる目的(動機),行動の指針,勇気の理由,知的誠実のための不可欠の要素をもつことになります。もしこの愛を感じるならば,それは,誰もが宗教において必要とされる一切を持つことになります。」

tp-wic2上記の発言を,キリスト教について述べていると考える者が誰かいたとしたら,私にはまったく不可解である。キリスト教徒の中には記憶している人もいるだろうが,キリスト教徒がキリストの愛を示してきたのはごく稀にしかなかったということを考えてみればなおさらのことである。私は,うかつにも疑わしい形容詞を使って不測の苦痛を非キリスト教徒たちに与えることになったので,彼らを慰めるために最善を尽くした。この問題に関する私のエッセイや講演(講義)が,ポール・エドワード教授によって,教授自身が1940年のニューヨークにおける私の事件について書いたエッセイととともに,1957年に,『なぜ私はキリスト教徒ではないか』という書名のもと,編集され,出版されている。

I think I was mistaken in being surprised that my lectures were liked by the audience. Almost any young academic audience is liberal and likes to hear liberal and even quasi-revolutionary opinions expressed by someone in authority. They like, also any jibe at any received opinion, whether orthodox or not: for instance, I spent some time making fun of Aristotle for saying that the bite of the shrewmouse is dangerous to a horse, especially if the shrewmouse is pregnant. My audience was irreverent and so was I. I think this was the main basis of their liking of my lectures. My unorthodoxy was not confined to politics. My trouble in New York in 1940 on sexual morals had blown over but had left in any audience of mine an expectation that they would hear something that the old and orthodox would consider shocking. There were plenty of such items in my discussion of scientific breeding. Generally, I had the pleasant experience of being applauded on the very same remarks which had caused me to be ostracized on the earlier occasion.
I got into trouble with a passage at the tail end of my last Columbia lecture. In this passage, I said that what the world needs is ‘love, Christian love, or compassion’. The result of my use of the word ‘Christian’ was a deluge of letters from, Free-thinkers deploring my adoption of orthodoxy, and from Christians welcoming me to the fold. When, ten years later, I was welcomed by the Chaplain to Brixton Prison with the words, ‘I am glad that you have seen the light’, I had to explain to him that this was an entire misconception, that my views were completely unchanged and that what he called seeing the light I should call groping in darkness. I had thought it obvious that, when I spoke of Christian love, I put in the adjective ‘Christian’ to distinguish it from sexual love, and I should certainly have supposed that the context made this completely clear. I go on to say that,
‘If you feel this you have a motive for existence, a guide in action, a reason for courage, and an imperative necessity for intellectual honesty. If you feel this, you have all that anybody should need in the way of religion.’
It seems to me totally inexplicable that anybody should think the above words a description of Christianity, especially in view, as some Christians will remember, of how very rarely Christians have shown Christian love. I have done my best to console those who are not Christians for the pain that I unwittingly caused them by a lax use of the suspect adjective. My essays and lectures on the subject have been edited and published in 1957 by Professor Paul Edwards along with an essay by him on my New York difficulties of 1940, under the title Why I am not a Christian.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB31-220.HTM

[寸言]
ラッセルは、あるエッセイで「面白ければそれだけで真実だと信じられてしまうきらいがある」と書いているが、このような軽信性は、若い人に対してだけあてはまるだけでなく、時代や国や地域をこえて(ただし、日本人にはより)見られる。それをマスコミが助長している。

なお,岩波文庫版の安藤訳でも Love は「愛情」と訳しており、多分誤解して読んでいる人が少なくないと思われる。ラッセル『結婚論』においては,「恋愛(感情)」あるいは「男女間の愛情」と訳さないと誤解を与えそうなところがけっこうある。

心の友 - 肝胆相照らす

conrad-time コンラッド(著名な作家  Joseph Conrad)が英国人の間にあって感じ,厳格な意志の努力でこらえていたこの人間の孤独が,コンラッドにとっていかに大きかったか(ということに気づき),私は時々,驚いたものである。

コンラッドのものの見方は,現代人の物の見方からは,はるかにかけはなれたものであった。現代世界には,2つの哲学がある。1つはルソーから由来するもので,「規律」を不必要なものとして脇に一掃してしまう。もう1つは,--その完全な表現を全体主義のうちに見ることができるが--「規律」を外部から課せられる本質的なものと考える。コンラッドは「規律」は(人間の心の)内部から来るべきものであるという古い伝統に固執した。彼は’規律のなさ’を軽蔑し,また単なる形式的な(外部からの)規律を嫌った。

すべてこうした点で,私は,自分が彼とほとんど一致していることがわかった。私たちは,まさに最初に会った時,語り合うほどに,しだいに親密度を増していった。私たちは,表面の層をしだいに通過し,2人とも,’中心部の炎’に到達したように感じた(注:地球の表面から掘り進み,マグマに達するというイメージか?)。それは,それまで自分が経験したいかなるものとも異なるものであった。私たちは,お互い,相手の目を見つめ合い,そういう場所(中心の炎の中)に一緒にいる自分たちを発見し,半ばぎょっとし,半ば陶酔した。その感動は,’情熱的な恋愛’のごとく強烈であり,同時に,すべてを包含する(包括的な)ものであった。私は,混乱(当惑)した気持ちでその場(コンラッドの家)を離れ,そうして日常的な事柄(雑事)にはほとんど手がつかなかった。

Conrad’s point of view was far from modern. In the modern world there are two philosophies: the one which stems from Rousseau, and sweeps aside discipline as unnecessary, the other, which finds its fullest expression in totalitarianism, which thinks of discipline as essentially imposed from without. Conrad adhered to the older tradition, that discipline should come from within. He despised indiscipline and hated discipline that was merely external.
In all this I found myself closely in agreement with him. At our very first meeting, we talked with continually increasing intimacy. We seemed to sink through layer after layer of what was superficial, till gradually both reached the central fire. It was an experience unlike any other that I have known. We looked into each other’s eyes, half appalled and half intoxicated to find ourselves together in such a region. The emotion was as intense as passionate love, and at the same time all-embracing. I came away bewildered, and hardly able to find my way among ordinary affairs.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 7:Cambridge Again, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB17-100.HTM

[寸言]
kaisin ラッセルは(愛人であった)オットリン夫人の勧めに従ってコンラッドに会いにく。 そうして,少し話をしただけで,自分と人生観が一致していることに驚く。
ラッセルはコンラッドと考え方(理論的側面)が一致しているというわけではない。心的態度というか、人生観や世界観が似ているのであり,人間の孤独を両者とも身にしみて実感していた。

ラッセルは3歳までに両親と死に別れ、それ以後ケンブリッジ大学にあがるまで、厳しいが愛情のある祖母に育てられたが、大学にあがって親友を得るまでは孤独であった。いや、大学で多くの友を得ても、長い間につちかった孤独感(天涯孤独感)は消え去ることはなかった。

人間の孤独 -心臓病による激痛で苦しむホワイトヘッド夫人を救えない自分

evelyn2 ホワイトヘッド夫人Evelyn Whitehead)は,当時しだいに病弱になりつつあり,心臓病のために常にはげしい痛みを感じていた。ホワイトヘッドとアリス(ラッセルの妻)と私は,3人とも,彼女のことが心配でならなかった。ホワイトヘッドは妻を深く熱愛していただけでなく非常に彼女を頼りとしていた。それゆえ,もし彼女が死ぬようなことがあれば,彼が今後も良い仕事をすることができるかどうか疑わしく思われた。

ある日,ギルバート・マーレイ(Gilbert Murray, 1866-1957)が,当時まだ出版されていなかった(エウリビデス作の)「ヒッポリュトス(Hippolytus)」(注:Euripides, B.C. 485?-406? 古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとり)の(マーレイによる)翻訳の一部を(講義で)講読するために,(ケンブリッジの)ニューナム・コレッジヘ(Newnham)やって来た。アリスと私は,彼の講義を聴講にいった。そうして私は,その詩の美しさに深く感動した。

私たち夫婦が帰宅した時(注:『プリンキピア・マテマティカ』執筆当時,
ラッセル夫妻は,ホワイトヘッド夫妻の家に同居していた。),ホワイトヘッド夫人は,これまでにない激痛の発作に苦しんでいた。彼女は,苦悶の壁によって,全ての人や全てのものから遮断されてしまっているかのように見え,突如として,人間一人一人の魂は孤独であるという感情が私を圧倒した。結婚してから,私の情緒生活は穏やか’であるとともに,浅はかな’ものであった。深遠な問題はすべて忘れており,軽薄な如才なさに満足していた。(しかし)突然,大地が私の足下で崩れ去るように思え,そうしてそれ以前と全く異なった世界に自分がいるのを発見した。

5分もたたないうちに,ほぼ次のような内省が私の頭を駆け抜けた。

人間の魂の孤独は耐えられないものであり,また,宗教的導師が説いたような種類の愛が最高度になくしては,いかなるものも人間の魂に浸透することはできない。この愛の泉からわき出でたものでなければいかなるものも有害か,よくても無用である。その当然の結果として,戦争は間違っており,(英国の)パブリック・スクール式の教育は忌まわしいものであり,暴力の行使は非難されるべきである,また,人間関係において,人は,一人一人の人間の内なる孤独の核心にふれあうべきであり,語りかけるべきである。」

evelynMrs. Whitehead was at this time becoming more and more of an invalid, and used to have intense pain owing to heart trouble. Whitehead and Alys and I were all filled with anxiety about her. He was not only deeply devoted to her but also very dependent upon her, and it seemed doubtful whether he would ever achieve any more good work if she were to die. One day, Gilbert Murray came to Newnham to read part of his translation of The Hippolytus, then unpublished. Alys and I went to hear him, and I was profoundly stirred by the beauty of the poetry. (See letter to Gilbert Murray and his reply, p.159. Also the subsequent letters relating to the Bacchae) When we came home, we found Mrs. Whitehead undergoing an unusually severe bout of pain.
She seemed cut off from everyone and everything by walls of agony,
and the sense of the solitude of each human soul suddenly  overwhelmed me. Ever since my marriage, my emotional life had been calm and superficial. I had forgotten all the deeper issues, and had been content with flippant cleverness. Suddenly the ground seemed to give way beneath me, and I found myself in quite another region. Within five minutes I went through some such reflections as the following: the loneliness of the human soul is unendurable; nothing can penetrate it except the highest intensity of the sort of love that religious teachers have preached; whatever does not spring from this motive is harmful, or at best useless; it follows that war is wrong, that a public school education is abominable, that the use of force is to  be deprecated, and that in human relations one should penetrate to the core of loneliness in each person and speak to that.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6,
Principia Mathematica, 1967]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-030.HTM

[寸言]
愛し合い,お互いを必要としているホワイトヘッド夫妻においても,夫であるホワイトヘッドも,ホワイトヘッド夫人(Evelyn)を慕うラッセルも、、彼女が心臓病による激痛で苦しむ姿を目の当たりにしても,救ってあげることも、苦しみを和らげたりすることもできない。そうして、「人間はもともと孤独な存在だ」,だから「お互い助け合うことが必要だ」と実感するラッセル。

最善の人生とは創造的衝動が最大限に発揮され所有衝動が最小限に現れる人生

possessiveness-dolls この二種類の「もの」に対応して、二種類の衝動があります。即ち、共有しえない物を入手したり、保有したりしようとする「所有衝動」と、隠したりまたは私有する必要のないものをこの世の中にもたらしたいという「創造衝動」があります。・・・。
最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。

mothertheresa_loveThere are two kinds of impulses, corresponding to the two kinds of goods. There are possessive impulses, which aim at acquiring or retaining private goods that cannot be shared; these centre in the impluse of property. And there are creative or constructive impulses, which aim at bringing into the world or making available for use the kind of good in which there is no privacy and no possession. The best life is the one in which the creative impulses play the largest part and the possessive imuplses the smallest.
出典:Political Ideals, 1917, chap.1
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/2-IMPULS.HTM

[寸言]
「最善の人生とは、創造的衝動が最大限に発揮され、所有衝動が最小限に現れる人生です。」は,ラッセルの有名な文句ですが、大正デモクラシーの時代には、与謝野晶子ほか、多くの日本の知識人が引用しています。また、同様に、次のラッセルの言葉も名言として、世界中の人が今でもさかんに引用しています。

「善い人生(良い生活)とは、愛に力づけられ、知識によって導びかれた人生(生活)のことである。」(The good life is one inspired by love and guided by knoledge.)
http://russell-j.com/beginner/GOODLIFE.HTM

今は昔 -ラッセル『結婚論』は不道徳な書物として非難される

MARIAGE 1929年に,私は『結婚と(性)道徳』を出版した。この本は,私が百日咳から回復しつつある時期に’口述’したものである。年のせいで,その病気を診断してもらわないうちに,学校のほとんどの児童に感染してしまった。(松下注:成人の場合はかかっても軽症のため,診断が見逃され易く,菌の供給源となって乳幼児への感染源となるとのことです。) 1940年にニューヨークにいた私に対する攻撃材料を提供したのは,主にこの本であった。本書において私は,完全な貞節というものはほとんどの結婚において期待できないが,婚外の恋愛が生じたとしても,夫婦は良い関係を維持できなければならない,という見解を展開した。だが私は,もしも妻がその夫が父でないところの子供を一人あるいは複数持ったしても有益な状態で長続きさせることができるとは主張しなかった。そのような場合は,離婚する方が望ましいと考えた。(松下注:ドーラは別の男性との間に子供をつくったため,ラッセルはドーラと離婚することになる。) 結婚の問題について現在どう考えているか,自分でもはっきりしない。結婚に関する一般理論は全て,克服できない反対意見があるように思える。多分,離婚を容易ならしめる方が,他のどんな制度よりも不幸を少なくしてくれるだろう。しかし,私はもはや結婚問題について独断的な意見を持つことはできない。

In 1929, I published Marriage and Morals, which I dictated while recovering from whooping-cough. (Owing to my age, my trouble was not diagnosed until I had infected most of the children in the school.) It was this book chiefly which, in 1940, supplied material for the attack on me in New York. In it, I developed the view that complete fidelity was not to be expected in most marriages, but that a husband and wife ought to be able to remain good friends in spite of affairs. I did not maintain, however, that a marriage could with advantage be prolonged if the wife had a child or children of whom the husband was not the father; in that case, I thought, divorce was desirable. I do not know what I think now about the subject of marriage. There seem to be insuperable objections to every general theory about it. Perhaps easy divorce causes less unhappiness than any other system, but I am no longer capable of being dogmatic on the subject of marriage.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 4:Second Marriage, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB24-100.HTM

[寸言]
ラッセルが1929年Marriage and Morals(結婚と性道徳、いわゆる『結婚論』)を出した時、当時としては過激な書物として、多くの非難を受けた。1940年ニューヨーク市立大学教授として教鞭をとることが内定していたが、ニューヨークに住む一キリスト教徒から,ラッセルは不道徳な人間なので公立大学の教員としてふさわしくない(採用取り消しをせよ)という訴えが出され、(同じくカトリック教徒の)裁判官により、ラッセルの任用は取り消せられることになる。
br_bronz-medal しかし、戦後世界は激変し、ラッセルの主張の半分以上は、今や一般市民の常識となっており、『結婚論』や『西洋哲学史』などの、自由を守るための執筆活動を称えられ、1950年にはノーベル文学賞を受賞している。
つまり、当時の多数意見は現在では少数意見となっているが、このように、少数意見が多数意見になることによって大きな進歩がなされているのである。従って、多数意見は間違っている場合が多いということを肝に銘ずるべきであろう。