人間の命に究極的な価値があるかどうかという疑問なども・・・

mothertheresa_love もし自分の子供が病気になったら,あなたは不幸になるかもしれないが,いっさいが空しいとは感じないだろう。あなたは,子供の健康を回復させることこそ注意を払うべき事柄であって,人間の命に究極的な価値があるかどうかという疑問などはどうでもよいと感じるだろう。金持ちも,しばしばそうであるが,いっさい空しいと感じるかもしれないが,もし万一財産を失うようなことでもあれぱ,次の食事は決して空しいものではないと感じることだろう。

If your child is ill, you may be unhappy, but you will not feel that all is vanity; you will feel that the restoring of the child to health is a matter to be attended to regardless of the question whether there is ultimate value in human life or not. A rich man may, and often does, feel that all is vanity, but if he should happen to lose his money, he would feel that his next meal was by no means vanity.
出典:The Conquest of Happiness, 1930.
詳細情報: http://russell-j.com/beginner/HA12-020.HTM

[寸言]
明治時代に東京帝国大学の学生である藤村操(ふじむら・みさお)が「・・・萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。・・・」なる遺書を残して,華厳ノ滝から投身自殺したことは有名な話。

しかし、この藤村操が結婚していて幼児がいたら自殺などしなかったであろう。たとえ、(人間は他の生物に比べて相対的に高等であるために繁栄しているにすぎず)人間に「客観的な」価値があるわけではないとしても、大人の助けを求める幼い我が子が面前にいれば、幼い子どもを残して自殺などする人はほとんどいないであろう。

知識人の中には、このような思い込みをする人が時々いる。優れた人が一般人を愚かだとさげすんでも、その優れた人の百倍優れた人からみればその他人をさげすんでいる人も同様に愚かに見えることであろう。
キリスト教など、一神教の信者のなかには、人間は神によって創造されたと信じこんで、それゆえ自分たちは優れていると思い込んでいる人たちが少なくない。また、特定の宗教を信じているという理由で他の宗教(邪教)や無宗教の人たちよりも優れている(より生きる価値がある)と考えている人も少なくない。
これは宗教に限らず、(宗教でないといったり、宗教であるといったりしている)新党であろうと、特定の主義主張を信じている人たちに対しても同様に(愚かだ)言えるであろう。