主たる動機は,常に事柄そのものに対する興味・関心でなければならない

child-there-are-seven-million-wonders 難しいことをやり遂げて褒められることは,年少期(youth)における最もうれしい経験の一つである。この喜びを得たいという欲求は,主な動機となってはいけないが動機を強める刺激剤としてはまったく適切なものである。(行動の)主な動機は,事柄がなんであれ,常に事柄そのものに対する興味・関心でなければならない。

To be praised for a difficult achievement is one of the most delightful experiences in youth, and the desire for this pleasure is quite proper as an added incentive, though it should not be the main motive. The main motive should always be an interest in the matter itself, whatever the matter may happen to be.
出典: On Education, especially in early childhood, 1926, Pt. 2:Education of character, chap. 9: Punishmnent
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/OE09-050.HTM

[寸言]
困難なことをやって褒められれば非常にうれしいのは、年少期(youth)だけでなく大人でも同じである。しかし、年少期(youth)の場合と大人の場合とでは,賞賛と言っても、その内容や性質にけっこうな相違がある。

年少期(youth)の場合は、(早く大人のやることを自分もできるようになりたいという)子どもの成長に対する親や周囲からの褒め言葉を非常にうれしく感じる。それに対し、大人の場合は、多くの人間ができないことを成し遂げたことへの賞賛に対する満足である。

gunkoku-shonen 後者の(成人の)場合は、年少期(youth)と違って、良いものばかりとは限らない。大日本帝国が破竹の勢いで韓国・中国や米国を打ち負かしている時には、軍人は日本の全国民(と言えなくても、非常に多くの国民)から賞賛されていた。現代日本においても、戦争という形態ではないが、愛国心や国益(国民の益ではなく、国家益)に訴えて多くの悪がなされている。

即ち、子どもにとっても大人にとっても、危険なのは、また、気をつけなければいけないのは、賞賛されたいがために悪いことまでしてしまうことである。子どもも褒められたいためにやるという段階にいつまでもとどまるのではなく、好奇心の対象を広げ、自分のためだけでなく世の中のためにもよいことをできるようにしていく(できるようになる)ことが望まれる。