存命中の人のプライバシーに関わることは自由に書けないので・・・

BR-1944 帰国後の生活は,以前と同様,公的および私的のさまざまの出来事の混じったものであったが,私的な部分の方がますます重要なものとなった。そうして,私は,ずっと以前に済んでしまった私的あるいは公的な出来事と,今なお続いていてそのまっただ中に自分が生きている出来事とを,同列に語ることはできないということに気づいている。そのことがもたらす取り扱い方(語り方)の違いに,読者のなかには驚かれる方もいるかもしれない。私としては,読者が,取り扱い方(語り方)が多様になることは避けられないことを理解していただき,「文書による名誉棄損」の法律のために,やむをえず口が重くなるのも仕方がないと認めてくれることを望むことしかできないのである。(上写真:ラッセル,妻パトリシア,次男コンラッド/1944年に帰国した直後、ラッセルの母校であるケンブリッジ大学のトリニティ・コレッジにて)

My life in England, as before, was a mixture of public and private events, but the private part became increasingly important. I have found that it is not possible to relate in the same manner private and public events or happenings long since finished and those that are still continuing and in the midst of which I live. Some readers may be surprised by the changes of manner which this entails. I can only hope that the reader will realise the inevitability of diversification and appreciate the unavoidable reticences necessitated by the law of libel.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB30-PREF.HTM

[寸言]
第二次世界大戦中の1944年の前半に、妻(3人目/1935年に結婚したパトリシア)と次男(コンラッド/後にケンブリッジ大学の政治学教授になる。)は、クイーーン・メリー号に乗船して一足先に英国に帰国。ラッセルも少し遅れて、6月に、『西洋哲学史』の原稿を携えて、帰国する。

『ラッセル自伝』第3巻では、英国に帰国した年の1944年から(第3巻を執筆している)1967年までのことが書かれているが、時代が進み現代に近づくにつれて,存命中の関係者に関することが多くなっていく。そこで、プライバシーの保護の問題があるため取り扱う内容や書き方は変えざるを得なくなっている、とのラッセルの弁解。