テレグラフ・ハウスを手放すー「私の意志ではなく,貧乏が承諾するのです!」

TELEGRAP 財政的見地(家計)から言えばこれ(注:テレグラフ・ハウスの売却成功)は喜ぶべきことであったが,テレグラフ・ハウスから離れることは苦痛であった。高原と森と四方八方に眺望のきく塔の中の自分の部屋(写真参照)を私はとても愛していた。私はテレグラフ・ハウスを40年以上も前から知っており,兄(所有)の時代に徐々に(増築されて)大きくなっていくのを見守った。テレグラフ・ハウスは,継続性というものを象徴していた。継続性は,仕事は別にすれば,自分の生涯を通して,自分が望んだよりもはるかに少なかった(注:生涯4度の結婚,転居,その他いろいろ)。財政上の見地からすれば,テレグラフ・ハウスから解放されるのは喜ぶべきことであった私はその家を失った時,(ロメオ・トジュリエットに出てくる)薬屋が(禁止されている毒薬を売る時に)言ったように,「私の意志ではなく,貧乏が承諾するのです」と言えるものであった。その後長い間私は,定まった住所(定住地)をもたなかったし,また持てそうもないと思った。(注:コーンウォールの田舎の別荘は、子供の養育に必要なため、ドーラの渡したため)テレグラフ・ハウスの件は心から残念に思った。

Although, for financial reasons, I had to be glad to be rid of Telegraph House, the parting was painful. I loved the downs and the woods and my tower room with its views in all four directions. I had known the place for forty years or more, and had watched it grow in my brother’s day. It represented continuity, of which, apart from work, my life has had far less than I could have wished. When I sold it, I could say, like the apothecary, ‘my poverty but not my will consents.’ For a long time after this I did not have a fixed abode, and thought it not likely that I should ever have one. I regretted this profoundly.
出典: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2 chap. 5: Later Years of Telegraph House, 1968]
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB25-070.HTM

[寸言]
CARNVOEL 死んだ兄が残したものであり、ラッセルが愛着を持っていたテレグラフ・ハウスをやむなく売却子供の養育に必要なために購入したコーンウォールの田舎の別荘(写真の家)も、離婚に際してドーラに譲ったために、以後、1955年(ラッセル83才の時)に(最後に結婚した)Edith Finch と暮らすために北ウェールズのプラス・ペンリンの自宅を購入して住むまで、定住場所をもたない(もてない)ことになり、ラッセルは死ぬまで波乱万丈の人生を歩むことになる。