「慈善」の可能性(及び必要性)のない世界 no possibility of ‘charity’

R-BRONZ1 今から100年前の,現在では消滅した社会における(人々の)自立よりも(貧しい人々への)慈善を優先する考え方は,今日の我々にはグロテスクに映る。しかしそれは 新しい形態では依然として現在でも残っており,いまだ政治的に有力である。失業者たちは公的権威による支援を求める法的権利を持つよりも,私的慈善によって生存を保たれた方がより良い,と多数の人たちに考えさせるのは,まさにこの種の物の見方である。(正義が行き渡った)正しい世界では,「慈善」の可能性はなくなるだろう。

A hundred years ago, in a society now extinct, the point of view which puts charity above independence now seems to us grotesque. But in newer forms it still survives and is still politically powerful. It is this very same outlook which makes large numbers of people think it better that the unemployed should be kept alive by private benevolence than that they should have the legal right to support by the public authorities. In a just world, there would be no possibility of ‘charity’.
出典:Bertrand Russell: On charity,Nov. 2, 1932.  In: Mortals and
Others, v.1 (1975)
詳細情報:http://russell-j.com/CHARITY.HTM

[寸言]
最低限度の文化的生活を営む権利(生存権)は,憲法によって保障されていることになっているが,歴代の政府はいろいろ理由をつけて守っていない。憲法は時の政府の都合のよいように解釈されるようでは,憲法に値しない。非正規労働者をどんどん生み出すのを助長した責任が政府にはあるが,まったく反省をしていない。
低賃金の非正規労働者は,正規労働者とくらべて,景気のよいときに雇用し,景気の悪い時に解雇しやすいので,企業の望むところであるが,政府は企業の利益を第一に考えているとしか言えないのではないか