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バートランド・ラッセルのポータルサイト

[ラッセル徒然草(Dec. 2008)

★「ラッセル徒然草」では、ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気の向くまま、日記風に綴っていきます。(最新の日付のものがいつも先頭です!)
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[n.0052:2008.12.19(日):「反戦思想、自分が主導(P.マッカートニー)」]

 17,18日は九大に出張していたため、本日(19日)、3日ぶりに職場でメールを見たところ、仕事で時々お世話になっている某教授から、『日本経済新聞』12月16日付夕刊第22面に、下記の記事が載っているとの情報をいただいた。

「反戦思想、自分が主導−ビートルズのポール・マッカートニーさん【ロンドン=共同】
 ビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーさん(66歳)は、故ジョン・レノンさんらビートルズのメンバーの反戦姿勢は「平和運動にに熱心だったレノンさんではなく、自分が主導したと英月刊誌プロスペクトのインタビューで述べた。その内容を英紙デーリー・テレグラフが十五日に報じた。
 マッカートニーさんは、一九六〇年代半ば、哲学者で平和運動家、バートランド・ラッセル(1872-1970)のロンドンの自宅を訪ねたのが、グループの政治への関心の始まりだと指摘。
「まだ新聞にも載っていなかったベトナム戦争の話を(ラッセルが)してくれた。彼にあったことをメンバー、特にジョンに伝え、この戦争がいかにひどいかを話した」といい、レノンさんにベトナム戦争に反対するように説得したという。
 ただ、今回のマッカートニーさんの主張には、ビートルズの歴史を修正しようとする試みとの批判もあるという。

 このことは私も知っており、すでに9月21日に下記のページ(R徒然草n.47)でご紹介しているが、親切にも教えていただき感謝している。
 http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/turezure-br200809.htm

 なお、P.マッカートニーが、ビートルズの歴史を自分に都合の良いように修正しようとしているかどうかはわからないが、ビートルズがベトナム反戦運動を始めた経緯については、既に、1977年に出版された Many Years From Now, by Barry Miles (Secker & Warburg, 1977 / 邦訳書:『ポール・マッカートニー、メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』(ロッキング・オン社,1998年))の中で(著者がポールから聞いた話として)明確に書かれているので、ポールの言うことを信じてもよいだろう。


[n.0051:2008.12.13(土):「ノーベル賞受賞式でのラッセル(YouTube から)」]

 今年のノ-ベル賞受賞式も終わりました。日本人が4人(南部先生は米国に帰化したので、正確にいえば3人)も一度に受賞したので注目を集めるとともに、身近に感じさせました。

 皆さんご存知のように,ラッセルも1950年12月(78歳の時)にノーベル文学賞を受賞しましたが、その受賞式の映像(動画)がYouTube のデータベースに蓄積されています。ご覧になった方もおられると思いますが、ご覧になったことのない方のためにご紹介しておきます(スエーデン語?なので、何をいっているかわかりません)。右の再生ボタンをクリックすれば視聴できるはずです。
受賞式レセプションで談笑するラッセル

 ノーベル賞の分野は、数学がない(代わりに「フィールズ大賞」があります。)など限定されていますが、ノーベル平和賞については授与の是非や'政治性'がいつも議論になります。パグウォッシュ会議の関係で(故)ロト・ブラット教授(受賞当時、ラッセル=アインシュタイン宣言署名者の最後の生存者)も受賞しましたが、もともとはパグウォッシュ会議の創始者はラッセルですから、生きていれば当然受賞したはずです。しかし、ラッセルは米国やソ連などの軍事活動を厳しく批判したために、生前に受賞することはありませんでした。
の画像
 その点、ラッセルが敬愛かつ尊敬する友人であるライナス・ポーリング博士(ビタミンCの発見で有名)は、温厚で?米国人でしたので、ノーベル化学賞だけでなく、ノーベル平和賞も受賞しました。ノーベル賞は −特に平和賞と文学賞は(経済学賞も?)− 受賞にふさわしい人でも授与されていない人が少なくないという事実は、頭の片隅においておいたほうがよいと思われます。

 なお、ラッセルはノーベル賞以外に、非常に多くの世界的あるいは国際的な賞を受賞するとともに、世界の多くの大学から名誉博士号を授与されています。最近は、日本の大学も、著名な外国人に名誉博士号を贈って自分の大学の宣伝にも役立てていますが、残念ながら,ラッセルに博士号を授与する機会(名誉)を日本の大学は持つことができませんでした。