バートランド・ラッセルのポータルサイト
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バートランド・ラッセルに関する徒然草_2008年6月

★「ラッセル徒然草」では、ラッセルに関するちょっとした情報提供や本ホームページ上のコンテンツの紹介、ラッセルに関するメモや備忘録(これは他人に読んでもらうことを余り意識しないもの)など、短い文章を、気の向くまま、日記風に綴っていきます。 
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ラッセル徒然草_2008年6月

[n.0044:2008.06.30(月):Webの書評サイト]

 20年以上前、『バートランド・ラッセル書誌(第3版)』(私家版で1986年発表)を編集している時も、当然のことながら、ラッセルの著書や論文についての書評・解題等についても調査し、それらの書誌情報を採録した。当時は文献データベースというものも余りなかったので、冊子体の書評索引を繰ってみたり、索引化されてないものは直接関係ありそうな著書や雑誌をブラウジングして、情報を収集した。


ラッセル著書解題
 2,3日前、M社の企画担当のM氏から、Webの書評サイトのことで、話を少し聞きたいとの連絡があった。私がアドバイスできることは余りないのではないかと思いながらも、関心がないわけではないので、本日M氏と小一時間懇談(情報交換・意見交換)した。
 M社では、1年位の準備期間をおいて、書評に特化したWebサイトを開設したいとのこと。当然のことながら、書評の収録対象・範囲、収集方法、オリジナル書評者(ライター)や書評の質の確保の方法、(利用者による)個々の書評へのコメント付加あるいは評価ボタンの付与の是非、書評サイトのレイアウト、サービス機能(検索、オンライン・ブック・ショップによるコンテンツ入手等)などが気になったので、現時点での検討状況についてお聞きした。M氏によると、まだ何も決まっていないが、現時点では、収録対象分野は人文社会科学全般、サービス対象は大学の研究者(もちろん院生も含むと思われる)、有料サービスと(一般向けの)無料サービスの2本立て、学会等と話がついたものについては関連書籍や論文コピー等のオンライン販売、・・・といったことを想定しているとのことであった。ただし、聞き違いがあるかもしれない。

 私がM氏に特に提案したのは以下の点である。
  1. できるだけ多くの関係者に周知するために、最初はできるだけオープンかつ無料にしたほうがよいと思われること(あるいは短い書評は無料だが、長い書評は課金するとか)。
  2. できるだけ早く利用者限定(パスワードやIDでログイン)の試行ページを開設し、できるだけ多くの関係者から具体的意見を聴取し、改良を何度も行ったほうがよいと思われること。
  3. Google Analytics などのWebサイトアクセスログ分析ソフトを活用したほうがよいこと。
  4. 学会や著作権者の許諾を得ることが難しいかも知れないが、関係書籍や論文のコピーの入手をWeb上でできるだけ可能にしたほうがよいこと。
  5. 遡及期間は、2年では短すぎること(2,3年遡及すればよい分野もあるだろうが、哲学その他純理論的なものについては10年、あるいは少なくとも数年は遡及したほうがよいと思われること。

ラッセル関係電子書籍一覧
 後から気になったことが一つ。採録対象はあくまでも書評であり、解題や紹介は対象外であると言われていた。しかし、書評を利用するのはそれぞれの分野の専門研究者だけでなく、周辺分野の研究者も利用することを考えておいたほうがよいと思われる。後者の場合は、純粋な書評だけでなく解題や紹介的な書評もありがたいと感じると思われる(そういったものは無料にするとよい)
 ちなみに、以下のようなラッセルの著書の解題などは、ラッセルの研究者にとっても参考になると思われる。  KAIDAI-L.HTM
 また、純学術的ではなくとも、下記のような書評も貴重であると思われる。
 土田杏村「ラッセル氏の Free thought and official propagenda について
 土田杏村「ラッセル氏の『産業文明の前途』」


[n.0043:2008.06.08(日):インターネット上の(トリビアルな)ラッセル批判]

 規制がほとんどない(あるいは仕組み上規制が難しい)ことはインターネットの長所でありかつ短所です。印刷物としては出せないか出せても多数の人々に読んでもらうことができないものも、インターネットであれば、誰でもお金をかけずに容易に掲載できます。従って、フィルターがかからないので、どうしても間違った情報やつまらない・瑣末な(trivial)情報も多数散見されます。
 インターネット上にあるバートランド・ラッセルに関する情報も同様です。そのような情報は普段は無視していますが、今回だけ、「インターネット上の(trivialな)ラッセル批判」について少しだけ触れてみます。
 Googleでラッセル関係の情報を検索しても、そのような役にたたない情報は、検索結果一覧のなかのずっと後ろのほうにでてきますので、網羅的に見ていかないとなかなか発見できません。余りまともに対処する気になれない、そのようなラッセル批判には、次のようなタイプがあります。

  1. (タイプA)ラッセルが冗談(仮定の話、時としてブラック・ジョーク)として書いているところを、誤解の上で、あるいは理解をしているが読者にわざとラッセルが本気に言っているかのごとく、引用しているもの(これはかなりある)
  2. (タイプB)ある程度?(一部のグループに)名の知れたラッセル批判者(リンドン・ラルーシュジョン・コールマン博士P.ジョンソン)の発言をそのまま鵜呑みにして紹介しているもの(この場合は、孫引用している人は、ほとんどラッセルの原著や邦訳書を読んでいない。)
  3. (タイプC)事実を歪曲しているもの(意識的なものと無意識的なもの/悪意のあるものと悪意のないもの)
  4. 一般常識に欠けているかあるいは各分野の基礎的知識がないために、検討違いの意見を言っているもの(これもかなりある)。
  5. その他
 タイプ別にサーベイすると面白いかも知れないですが、ここでは、タイプAとタイプBの混合型の例を2つだけ例示しておきます。(注:いつのまにか消滅したり、URLが変更になることがありますので、時間がたてば閲覧できなくなるかもしれません。)

[冗談や仮定の話を誤解あるいは曲解(しかもラッセルの発言は大部分孫引用)]
  • https://satehate.exblog.jp/8752829/
     「・・・。だからラッセルは、民族主義・国家主義は数十億の人間ともども地球上から一掃されなければならない、と言ったのだ。」「(引用されているラッセルの文章)戦争も、これまでのところ何ら大きな効果をあげることができず、人口増加は両大戦を経てもなお続いている。しだがって(ママ)、戦争はこの観点から見れば期待外れだった。だが、細菌戦争ならば効果があるかもしれない。・・・」
    → これはもちろんラッセルが皮肉な口調でブラック・ジョークとして言っていることであり、読解力があれば(前後の記述から)容易に真意を理解できることです。引用した人が読解力がなかったのか、わざと曲解しているのかは不明です。
     このように、ラッセルの「世界政府や人口問題等に関する意見」を誤解・曲解して引用している例はけっこうあります。もう一例あげておきます。

  • https://yabai-hanasi.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_e759.html
     「・・・。数十億人を殺せという主張の第一人者はバートランド・ラッセル卿だ。 ラッセルは米国的なものは何でも嫌い、有色人種に好意を持っていながら '彼ら(有色人種)の大部分は世界から抹殺せねばならない'と言っている。・・・ 」
    → 引用されているラッセルの文章は、The Impact of Science on Society(1952刊)の最終章(注:1949年11月29日、ロンドンの Royal Society of Medicine で行われたロイド・ロバーツ記念講演)から採られたものですが、ラッセルを批判している人はほとんど典拠をあげておらず、ラッセルの著書を実際読んでいるか疑問です。多分、一部の世界において名の知れた人(たとえばジョン・コールマン)の本からの孫引用だと思われます。
    [参考]人口問題に関するラッセルの発言例
    ★「人口(圧迫)と戦争」(出典: Population pressure and war, 1957.)/ただし、実際は、牧野力(編)『ラッセル思想辞典』から)
     beginner/JINKO-S.HTM  ・・・。人口(急増)の圧迫によってひきおこされる戦争は、(歴史上)別に珍しいものではない。人口増による圧迫は、太古の時代から人間生活の重大問題であったが、現在の状勢を従前のもの違ったものにしている新しい要素がいくつかある。即ち、
     1) 科学戦の生む完全な破壊(の可能性)
     2)(人口増を吸収可能な)どこの国の領土でもない未開地が地球上にほとんど残されていないこと
     3)(医学の進歩による)死亡率の減少など
    があげられる。//