バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )
  

 私たちは,愛する人びとの幸福を願うべきであるが,私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。事実、自己否定の教義に含まれている自己とその他の世界との対立は,私たちが外部の人びとや事物に本物の関心を寄せるようになるやいなや消滅する。そういう関心を通して,人は,自分が生命の流れの一部であり,衝突時以外には他の実体と関係を持つことができないビリヤードの球のような固い分離した実体ではない,ということを感じるようになる。

Undoubtedly we should desire the happiness of those whom we love, but not as an alternative to our own. In fact the whole antithesis between self and the rest of the world, which is implied in the doctrine of self-denial, disappears as soon as we have any genuine interest in persons or things outside ourselves. Through such interests a man comes to feel himself part of the stream of life, not a hard separate entity like a billiard-ball, which can have no relation with other such entities except that of collision.
 出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap. 17:The happy man
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA28-030.HTM

 <寸言>
 愛する人のために自己を犠牲にすることを万人がみならうべき徳目としたらどうなるであろうか。自分の幸福のために自分の愛する人が犠牲になるとしたら,愛されている人も心苦しいであろう。

「愛する人のために」という言葉を「愛する国のために(敵国と戦う)」とか「家族を守るために(敵国と戦う)」と言い換えたらどうであろうか? 自分たちの国土が侵略にあったのであれば是非そうしなければならないだろうが,よその国に赴いて「日本のため」「愛する人々のため」などと'自己犠牲'を強調してもそれは自己欺瞞ではないか?  そう思わない政治家や国民も少なくない。「日本のため」「愛する人々のため」であれば外国に赴いて外国人を殺すこと(攻撃は最大の防御)は'必要悪'とでも言うのであろうか?
「はむかってくるから自衛のために戦うだけ」と言っても,では日本に外国の軍隊が'平和を維持するため'と言って侵入してきたらどうか。彼らも同じような言い方をするであろう。
 固有の文化に対する愛着ではなく,' 国体'のような'「政治的な愛国心」を強調する人々は自己欺瞞に陥っているのか,そうでないとしたら,単に冷静かつ客観的に物事を考える能力に欠けているだけなのであろうか?