バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 1907年に私は,国会議員補欠選挙の時,女性の選挙権を擁護して,立候補さえもした。(注:ラッセルは,1907年に,Wimbledon 選挙区より,婦人参政権,自由貿易論を主張し,全国婦人参政権協会連合会の推薦を受け,下院議員補欠選挙に自由党から立候補したが落選した。対立候補は保守党の大物 H. Chaplinであった。右欄上の写真がその時の選挙用写真。)(ロンドン郊外の)ウィンブルドン地区における選挙戦は,(選挙戦)期間が短く,また困難なものであった。いまの若い人々にとって,男女平等に対する当時の反対の激しさを想像することはほとんど不可能であろう。のちに,私は第一次世界大戦反対の運動をおこなったが,その時の一般大衆の抵抗は,1907年に婦人参政権論者が受けた一般大衆の抵抗の激しさに比べれば,比較にならないほど,より穏やかなものであった。

In 1907 I even stood for Parliament at a by-election, on behalf of votes for women. The Wimbledon Campaign was short and arduous. It must be quite impossible for younger people to imagine the bitterness of the opposition to women's equality. When, in later years, I campaigned against the first world war, the popular opposition that I encountered was not comparable to that which the suffragists met in 1907.
 出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.1, chap. 6: Principia Mathematica, 1967
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB16-160.HTM

 <寸言>
(注:ラッセルは,1907年に,Wimbledon 選挙区より,婦人参政権,自由貿易論を主張し,全国婦人参政権協会連合会の推薦を受け,下院議員補欠選挙に自由党から立候補したが落選した。対立候補は保守党の大物 H. Chaplinであった。右欄上の写真がその時の選挙用写真。)