三浦俊彦「文明の終焉と非同一性問題−「世代」「種」を超える倫理へ−
『岐阜』(研究会)1985vol.1-2(通号n.2)pp.37-52 掲載
 
(p.2)しかし、 理念的共通点をさらに明瞭化することが実践的関連可能性をも明らかにし、 双方の具体的実践の方向づけに結びつくこともあるだろう。 以下、 動物実験に対する現行の反対論 ((2)) を、 未来の世代に関する一つのパズル ((1)) と比較して、 両者の理念の基礎固めを試みることとする。

1. 二種類の動物実験
 動物実験に関して大多数の人々が抱いているイメージは、 おおよそ次のようなものだろう。 医薬品の開発や病理学上の研究のために行なわれる動物実験は、 動物の犠牲によって人類の福祉に貢献している。 倫理的には、 不当な苦痛を与える動物実験は廃止されるべきかもしれないが、 功利的には、 動物実験廃止は医学技術上の不便を人間が我慢せねばならぬことを意味するので望ましくない。
 この素朴な見解は、 動物実験が医学上有益な手段であるということを前提しているが、 この前提に対しては、 医療専門家から多くの反論が提出されている。 ニューヨークに本拠を置く医学研究改革委員会 (Medical Research Modernization Committee:MRMC) は次のような点を指摘する。 動物実験は人体培養細胞による代替法よりもコストが高くしかも精度が悪い。 のみならず、 種の違いを無視したデータを人間に当てはめるため薬害の発生を防止できないばかりかむしろ看過するための制度的根拠となっている。 にもかかわらず動物実験は歴史的背景が長いために助成金を供給する政府機関から優遇されており、 資金活用の悪循環の元となっている。 しかも動物の種や与条件を変えるなどすれば論文の量産が容易にできるので、 研究者が創造性や洞察力を備えている必要もなく、 業績至上主義の風土で研究者の道を誤らせ、 医学の進歩を妨げる傾向がある、 等々 (注1)。これらのリポートを無視することはできない。 どの動物実験が医学の進歩を促すのか阻むのかは、 事実的検証の問題であり、 論理では解決できない。 論理的考察を目的とする本稿では、 動物実験全般が医学上有益であるということを前提する必要はない。 動物実験のうち、 人類の福祉増進に役立つものだけに視点を限定し (そのような実験が一つもないという可能性は、 当面留保しておく)、 では役立つ実験ならば許されるべきか、 という倫理的問題に焦点を絞ることにしよう。(次ページに続く)