三浦俊彦による書評

★ マーク・C.ベイカー『言語のレシピ』(岩波書店,2003年)

* 出典:『読売新聞』003年5月4日掲載


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 太平洋戦争の話から一頁が始まる。米軍が、先住民ナヴァホ族を通信兵に起用することで日本軍の暗号解読の裏をかいたという、映画『ウインドトーカーズ』でも描かれたエピソードだ。英語、日本語、ナヴァホ語という三つの言語の間に成り立つ不思議な関係の正体は?
 日本語はただの枕ではない。本書全編にわたり、英語と並ぶ最重要サンプルとして日本語例文が次々と挙げられる。世界言語の中で日本語がどう位置づけられるのか見たい一心で、興味津々あっというまに読み終えてしまった。
 言語は文化の一部門だとするのが、人文科学の常識だった。言葉の恣意性を説くソシュールやサピア、ウォーフ、文化人類学やポストモダニズムなど。環境や社会とともに言語は柔軟かつ連続的に変化するものと考えられたのだ。
 チョムスキー派の本書はこれを否定する。言語の多様性は単語レベルのことにすぎない。より根本的な文法の差異は、環境や文化とは関係ないごく少数の「パラメータ」から派生する。日本語と構造の酷似した言語が、歴史的に無縁のアフリカや北米に存在したりするのだ。
 パラメータを手掛りにすると、未発見の言語を予測できるのみならず、文法特性の可能な組み合わせのうち決して実現しないパターンも言い当てられるという。驚くべきことだ。元素の周期表や遺伝学のノリではないか。
 ただし、原子や遺伝子はただのツールではなく本物の物理的実体であることが後に確かめられた。それに比べ、言語のパラメータはあくまで抽象概念、便利な虚構にすぎないのでは? こうした疑問を本書は忘れていない。最後の章は、パラメータという分析装置への反省込みで、言語の科学的研究の希望と限界、消えゆく少数言語を保護するメリットとデメリット、言語多元主義と差別意識の関係、などにしみじみといった調子で触れている。いやあ、まことに勉強になった。
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