三浦俊彦による書評

★ アルブレヒト・ボイテルスパッヒャー『数学はいつも苦手だった』(日本評論社)

* 出典:『読売新聞』2004年11月21日掲載

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 数学の優れた啓蒙書は多いが、これは異色中の異色ではなかろうか。数学の中身の解説はもとより、数学への世間のイメージ、学会の様子、論理パズル、数学者が好むジョークなど、一見とりとめのない演目が次々と繰り出される。くつろいで楽しむうちに数学への偏見がすっかり拭い去られています、という趣向だ。
 数学と論理学の比較、美しい定理ベストテンなど、マニアックな話題も含みつつ、対話に警句集に散文詩に、手を変え品を変えたスタイルでぐんぐん引っ張り込む。
 中盤のジョークから二つ紹介しよう。
 空の教室に学生が一人入り、二人出てきた。それを見ていた数学者が言う。「もう一人入っていったら、教室は空になる」
 エンジニアと数学者が、9次元空間に関する物理学者の講演を聞いた。理解に苦しんだエンジニアは、楽しそうに聞いていた数学者に訊ねた。「君は理解できたのか」「具体的に想像すればいいんだ」「9次元をどうやって想像するんだ」「簡単だよ。まずn次元空間を想像して、それからn=9と置くんだ」
 いかがでしょう? とくに後者の、エンジニア、物理学者、数学者を比べたジョークは、数学者のステレオタイプを分類する「数学者図鑑」へ発展し、大いに笑わせてくれる。英米系の啓蒙書に接する機会の多い私たちには、ドイツ流のソフトなユーモアが新鮮だ。
 最終章は非数学者が一番知りたいこと、「数学の応用」について。暗号理論や情報交換モデルが紹介されるが、「人生を良くする役に立つか」については結局あいまい。「厳密に考える力がつく」という穏当な答えも示されるが、多くの人はこれでは不満だろう。現代文明の中核に数学ありと誰もが承知していながら、生活感覚とのズレがどうしても残る。本書ほどの芸をもってしても。そこに数学の悲哀があり、驚異も魅力もあると改めて感じた。石井志保子訳。

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