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自作解説

★『これは餡パンではない』他(作家自身による著書紹介)
 『オーパス』1994年11月号所収
 * 文学の伝統的形式を踏み出してコンセプチュアルアートを追求する異色作


 芸術の真意を問う超小説
 「芸術作品とは何か」という質問に対しては、二つの答え方があります。まず、「鑑賞者に対して美的経験という特殊な経験を与える物、それが芸術作品である」という答。芸術品以外の物にはみられない特別な色彩、デザイン、テーマ、メロディ、ハーモニー、美、技術などが備わった人工物、それが芸術作品だというわけです。
 もう一つの答えは、「社会制度が芸術だと認めたもの、それが芸術作品だ」。この考えによると、道に転がっている何の変哲もない石ころも、芸術家として名の通った人が拾ってきて正式の手続きを踏んで美術館に置けば、芸術作品となるでしょう。
 マルセル・デュシャンが便器を逆さに置いて『泉』と題して以来、芸術論の本流は第二の考えに基づいています。芸術も生活の一部だから、超越的な美だの技巧だのにこだわる必要はない、というわけです。
 『これは餡パンではない』(河出書房新社刊、1300円、第111回芥川賞候補作)に登場する男女二人の画学生は、芸術は美しくなければならぬ、上手く描かれてなければならぬという古い価値観を信じています。尊敬する教授に誘われて銀座の展覧会を見にゆくのですが、それはデュシャン風の観念芸術の展示会でした。キャンパスに自分の精液をなすりつけて芸術だと称したり、生きた猫や犬を壁に釘で磔にして芸術だと称する作品が次々に目の前に現われます。二人は吐気を催したり怒りに駆られたりしながら、「芸術とは何か」という問題について二転三転考えを変えてゆき、そして悟りというか解脱できそうになったクライマックスで、破局が訪れる……。

 一冊ごとが美術作品! 架空の概念芸術カタログ
 『これは餡パンではない』に出てくるいろいろな「作品」は、全て著者の考えた架空の作品ですが、実際に今世紀の美術家たちは似たような作品を多く発表してきました。代表的な例は登場人物の会話の中で紹介し分類もしてありますので、本書は小説の体裁を取りながら、前衛美術に興味のある人のための研究カタログとしても役立つかもしれません。
 主人公の教授の学会発表という設定で松尾芭蕉論が巻末に載っています。これは著者自身が大学院生時代に学会発表した論文を口語調に書き直したもの。俳句がいかに現代前衛芸術と同じ理念にもとづいているかを説いた議論で、前衛芸術への皮肉・批判と取られそうな前半を、この芭蕉論によって前衛芸術イコール古典芸道の図式に収め、バランスをとろうとしてみました。
 ところで『これは餡パンではない』という変なタイトルの意味はすぐおわかりでしょうか。担当編集者が考えてくれたこのタイトルにはいろいろなもじりや駄酒落が重なっているのですが、本書を途中まで読んだ時点で読者にもタイトルの含みが明らかになるはずです。他にも、本文に挿入した警句や、ページをめくってどこを見ていいのかわからない目次など、この本自体が小説というより「芸術作品なのだ」と主張したいための仕掛けが随所に工夫されているので、遊び好きパズル好きの読者には繰り返し楽しんで戴けると思います。
 『これは餡パンではない』は著者の三冊目。昨年に出した一冊目『M色のS景』(河出書房新社刊、1300円)
は、Sの女王様とMの奴隷が電話で話をするうちにSとMの立場が入れ代わっていく表題作と、始まってすらいなかった恋愛をなぜか十五年も経ってから強引に終らせようとする男と女の偏執的なセックスを言葉遊びで描いた「オクトパ・バイブレーション」、その二作から成る恋愛小説集です。
 二作目『この部屋に友だちはいますか?』(河出書房新社刊、1300円)は、友人を増やし友情を高めることに情熱を注ぐ男たちの物語。コンピューター結婚相談所に似た「友だち紹介所」を舞台に事件が広がります。現実の友情とも同性愛とも違う架空の、しかし普遍的な人間関係を創造しようと試みました。理想の友人探しというモチーフは、『M色のS景』の表紙も描いてくれた吉田戦車氏の漫画『伝染るんです。』中の一編がヒントになっていて、登場人物もそこから借りています。
 恋愛−セックス−友情−芸術と書いてきましたが、このあと論理学とか戦争とか大学とか怪獣とかいろんなテーマをためし、一巡して第二ラウンドに入れるのはいつになるか、著者自身楽しみにしています。