三浦俊彦による書評

★伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会)

* 出典:『読売新聞』2003年1月19日掲載


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 哲学の諸分野の中でいま最も活況を呈しているのは、科学を対象とした「科学哲学」だろう。その中でも根本的なのが本書のテーマ「線引き問題」。科学と科学でないものとの間にどうやって一線を引くのか、という大難問だ。
 その手掛かりとして本書は、あえて「疑似科学」を考察対象に据える。この戦略は見事というほかない。「トンデモ科学」の愛称で流布する諸々の言説が、いかなる点で科学になりそこねているかを分析することで、自ずと「科学」の本質を浮かび上がらせる仕掛けである。
 進化論と対立するキリスト教創造科学。天文学の母体となり今も生きつづける占星術。超能力の存在を証明しようとする超心理学。鍼治療やホメオパシーなどの代替医療。それらはなぜ正統科学と認められないのか。発表以来長らく認められなかったウェゲナーの大陸移動説は、なぜ科学に昇格できたのか。現在の哲学業界に林立する20以上の学説を総動員して科学-擬似科学の線引き基準を探ってゆく論述は壮観にして明晰、スリルに満ちている。
 科学と疑似科学の相違は、方法や制度が複雑に絡みあった「程度問題」だというのが本書の結論だ。科学の側にも、メンデルのデータ捏造疑惑のような要素が内在していた。科学と疑似科学の境界線上に「病的科学」があり、超心理学はそこに属する、との診断も納得がゆく。
 社会と科学の関係に目を転じた第4、5章は、政策決定者にぜひ読んでほしい教訓的な考察が満載。たとえば、ソ連の農業を遅らせる原因となったルイセンコ事件と、水俣病事件への日本政府の対応との比較から、科学的合理性と意志決定は必ずしも一致すべきでないことがわかるという。そのズレに対しても、期待効用にもとづいた統一的見通しが与えられている。
 オーソドックスな啓蒙性、適度にくだけた文体、鮮やかな実例、豊富な文献表。「良書」とはまさにこのような本のことを言うのだろう。
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