< 三浦俊彦による書評:茂木健一郎『意識とはなにか』(三浦俊彦の時空)
      

三浦俊彦による書評

★ 茂木健一郎『意識とはなにか』(ちくま新書)

* 出典:『読売新聞』2003年11月16日掲載


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 文学や芸術では、「無意識」が神秘の源として重んじられることが多い。科学や哲学では全く逆だ。「意識」というものがこの世にあることこそが、最大の謎なのである。
 意識は何の役に立っているのだろうか。私たち一人一人の内面に、主観的な「感覚」「感情」などは実際に体験されておらず、無意識のまま「うれしい」「寒い」「まぶしい」などと言葉を交わしあい行動しあっているだけでも、社会が機能するには十分ではないだろうか。
 何事も物理的関係で説明する科学にとって、「意識」は不必要なオマケにすぎない。しかし、痛みの感じ、赤い感じが存在していることは確かなのだ。科学の外にあるこの「質感」=「クオリア」を、いかにして科学的世界観に取り込めばよいか。それが本書の主題である。
 クオリアは、一般に、哲学の最難問とされている。一方、脳科学の主たる対象は、刺激-反応パターンや神経細胞の動きといった、物理的に記述できる「やさしい問題」だ。「むずかしい問題」は「やさしい問題」を乗り越えたところにあるのではなく、「やさしい問題」の前提条件に含まれている、という本書の立場は、クオリアをむやみに神秘化したり排除したりする両極端の哲学に対し再考を促すだろう。また、〈私〉はなぜここに居るのかという素朴な内省が、実はクオリアへの驚きの一形態に他ならないという示唆も、情緒的に自閉しがちな巷の自己論を広い視野のもとで見直す役に立つ。
 ただ、本書の言葉遣いは決してスマートではない。たとえばクオリアのことを「心の中で〈あるもの〉が〈あるもの〉として成立すること」と再三表現しているが、どうもしっくりこない言い回しだ。これは著者の責任というよりも、クオリアの捉えがたさゆえだろう。現在の科学と哲学が扱いあぐねている超難問がどういうものなのか、その質感(クオリア)を感じてみたい人にとっては至便の手引書である。

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