三浦俊彦による書評

★スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える(上)(中)(下)』(NHK出版)

* 出典:『読売新聞』2004年10月10日掲載


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 「人間の本性」に関する公式教義は、長らく「空白の石版」説だった。人の心は環境によってどうにでも変わる、という人間観。この考えが好都合なのは、近代以降の社会改革、そして現代の平等思想に合っているからだ。
 しかし近年の社会生物学の発見によれば、ヒトの遺伝的本性は、自然淘汰により強固に決定されてきたらしい。この進化論的見方に対し、北米でどれほど激しい政治的反発が生じているかを活写する本書は、これ自体が強い政治メッセージを放っている。すなわち「真理を政治で歪めるな」。「空白の石版」説によってもたらされた害毒の実例を次々に槍玉に挙げるのだ。
 とりわけ熱のこもった議論は、レイプについて。ジェンダー・フェミニズムは、男女差別を糾弾する根拠として「男女に本性の違いはない」と唱える。レイプは性欲とは無関係で、社会が作り出した「支配の道具」だと。しかし、他の霊長類にも強制交尾がみられる事実からして、フェミニストの言説は虚構なのだ。雌雄の繁殖戦略の実態を無視した改革運動は、レイプ防止策にとって大きな障害になっているという。  人間本能の邪悪さから目をそらしたり、遺伝子組み換え食品を拒んだりするのは、「自然はよい」という無反省なロマン主義である。倫理的価値と自然とは別なのだと認識してこそ、無慈悲な自然淘汰からの独立を勝ち取れるのだ。
 マルクス主義やポストモダニズムの不純な偏見と延命工作を暴いてゆく著者の舌鋒に「よくぞ言ってくれた」と歓声あげっぱなしの私だったが、ただ一つ、芸術を論じた章には首をかしげた。人間本来の感性におかまいなく難解になりすぎた現代芸術が批判されるのだが、倫理と同じく芸術も、安易な本能的自然から離脱すべし、という見識も当然成り立つはずだろう。「善」と「美」に対する本書の矛盾した姿勢は、認知心理学が倫理と芸術をどう見ているかの実例として、しばし考えさせられた。山下篤子訳。

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