三浦俊彦による書評

ジャック・ブーヴレス『アナロジーの罠』(新書館)

* 出典:『読売新聞』2003年10月12日掲載


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 ソーカル事件(九六年)を覚えておられるだろうか。ポストモダン思想の安易な相対主義がはびこり、科学が圧迫されていると感じた米国の物理学者アラン・ソーカルが、ポストモダン風の比喩をちりばめた無意味な論文をこしらえて当該分野の学術誌に投稿するという囮捜査をしたところ、審査を通って掲載されてしまったという事件だ。華麗にして難解なポストモダン哲学が実はいかにいい加減な代物だったかをこうして実証したソーカルが、引き続きラカン、ドゥルーズらの著作のイカサマを具体的に指摘した告発本『「知」の欺瞞』(岩波書店)は日本でもロングセラーとなり、フランス現代思想という裸の王様の正体を暴くのに貢献した。
 本家フランスではどうだったのか。ソーカル事件の教訓にもかかわらず、未だにポストモダン哲学が人気を博している現状を、フランス哲学界の重鎮が嘆いているのが本書である。告発が偏狭な検閲と見なされ、批判された側が英雄的犠牲者に祭り上げられているのだという。
 ポストモダン哲学が詐欺的なのは、科学的論理の降格を唱えながら、箔づけのために科学の成果を濫用するからだ。しかも生半可な聞きかじりにもとづいて。一番人気の「ゲーデルの不完全性定理」の誤用例を著者は詳細に追ってゆく。文化には絶対の価値基準はない、といった類の陳腐な主張を過剰な数学用語で飾り立て、用語の無理解を指摘されると「ただのアナロジーだ」と開き直る。その不誠実な態度は、科学を濫用した部分に限らず、ポストモダン・スタイル全般の病弊である、との指摘は鋭い。
 『「知」の欺瞞』への言及が多いので、併読すれば面白さ倍増。グチが延々続くようにみえる頁もなくはないが、第一線の哲学者がなぜこんな繰言を述べねばならないか、社会やジャーナリズムの体質をじっくり考えるタネになろう。フランス哲学界に率直な内部批判が生きていることの、心強い証しである。

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