三浦俊彦による書評

★ 赤瀬川原平『地球に向けてアクセルを踏む』

* 出典:『論座』2001年9月号掲載


あるいは アマゾンで購入
 帯に「おじさんの理科」とある。なるほど。言われてみれば赤瀬川原平の多彩な仕事は、学校の教科に譬えれば「理科」に属するものが圧倒的に多い。
 いやもちろん赤瀬川原平は芸術家だから、初期の前衛美術活動や櫻画報、「肌ざわり」以降の小説、超芸術トマソン発見以降の路上観察、老人力の提唱、新明解国語辞典への傾斜などなど、美術や国語に分類される仕事が基本であることは言うまでもない。が、それら全てを通じて、表層の情緒や遊びやイメージといった美的要素の底に蠢く何というか、構造というかメカニズムというか、理屈で捉えうるギリギリの共約数に赤瀬川さんは関心を抱き続けてきたように思われる。
 そもそも、宇宙に興味を持つ文学者というのが意外と稀なのだ。私自身、昨年、宇宙論を論理学的に分析した学術書を出したのだが、その執筆中に参考として、知り合いの文学研究者や小説家に「地球外文明はあると思いますか?」と尋ねてみた。するとほぼ全員の答えが「悪いけど、宇宙には興味ないんですよ」というものだったのだ。
 これには正直驚いた。カメラや双眼鏡や日食に凝りステレオ立体視で脳内リゾート開発を進め『天文ガイド』誌にエッセイを連載する赤瀬川原平の知的好奇心のあり方が、まさに文学者の典型だと漠然と思っていたのだが、そうではない、赤瀬川的宇宙志向というのは、きわめて例外的な現象だったのである。
 本書は、『天文ガイド』連載のエッセイをまとめた既刊『ゴムの惑星』の続編エッセイ集だ。本書タイトルをはじめとして、「彗星観測と砂金堀りの関係」「精神の副作用が消えた」「月はバリウムなのか」「肋骨右下にあるユカタン半島」……、一見何のことかわからない標題のエッセイ五十三篇。宇宙葬とラッキョウの関係とか、地球は太陽系の中の還暦にあたるとか、日食は科学で月食は文学だとか、宇宙的現象と地上の雑事との間に補助線を引いて、意外な類似や対照を発見しときには強引に創造してゆく。
 そうした類比・対照の数々において、赤瀬川さんの心情は、地上的なものより宇宙の方に明らかに傾いている。文学・芸術の立場から、科学の広大な境地に憬れているようだ。人間的利害関心に縛られた芸術に比べ、科学がいかに自由闊達で寛容であるか。たとえば、NASAのホームページから、ハッブル宇宙望遠鏡の撮った惑星や星雲の高精度写真を自由にダウンロードできると聞いて、
「これが名画とか芸術となると高額で凄いのである。この間、泰西名画の中に描かれている猫を集めて、それにぼくの解説をつけて「ニャーンズ・コレクション」という本を出したが(小学館発行)、ミロやピカソやフジタや、あちこちから版権を取得するのが大変だった。一点につき使用料が何万円とかかるわけで、(中略)でもそうなると、文化というものはだんだん引っ込んで、埋没していくじゃないかと思った。(中略)宇宙の写真がタダで、芸術の写真が何万円とかなると、やはりタダは強い」。
 また、宇宙的視野からは、隕石の衝突など地球上に何度も環境の激変があったという認識から人類を相対化して見られるため、人類滅亡について科学者はあと百年あたりをピークと考える「シビアな認識をもっているようで、でも文学者やその他、世の中を、政治、経済、人情のみで見ている大半の人は、まるでそういう認識をもってはいないようで、その落差があまりにも大きくて、科学者としてはもはや何も言えないというのが実情みたいだ」。
 地球文明を相対化するために地球外文明について私が文学者たちに尋ねて得た無関心な応答と似た反応を、赤瀬川さんも同業者から得ていたのではなかろうか。そんな慨嘆のように思われるのだ。
 いや、べつに本書は、そういう警世的というか、教訓的なことが主に書かれているわけではない。理科的な目、科学への憬れの目で文学や芸術や日常生活を反省したところ、自ずと文化批評的なエキスがにじみ出てきた、という雰囲気である。本書の本領はやはり、軽快な赤瀬川節。「話は違うが」の一言で連想の赴くままどんどん飛ばしていって、目から鱗的小認識を言葉遊びに乗せて撒き散らしてくれる、かと思うと突如、カメラや双眼鏡の新製品についてのマニアックな細かい記述が我を忘れた嬉々たる口調で何頁も繰り広げられこちらはちんぷんかんぷん、くらくらっと心地よく目を眩まされているとふと「いまのワカモノは孤独を恐れるあまり引きこもりになっている」といった警句がポロッと……。そんな万華鏡みたいな高級与太話集である。
 宗教でも芸術でも政治でもない、科学こそが現代最大の洗練された文化であることは誰も否定できない事実だ。科学の最大のターゲットが「宇宙」であることもまた、誰もが心の奥底では知っている事実だ。それを率直に受け止め、正直な憬れを露わに日常的題材化してしまう赤瀬川原平という人は、現実の文学界の異端であるとともに、あるべき文学界の本道を歩んでいるのである。

楽天アフィリエイトの成果(ポイント)は本ホームページのメンテナンス費用にあてさせていただきます。
 ご協力よろしくお願いいたします