バートランド・ラッセルのポータルサイト

「ある Russellian の呟き」

 「ある Russellian の呟き」という(teacup 上の)ブログは現在使用していません。いつ削除されるかわかりませんので,それらの情報のバックアップとして,下記に転載しておくことにしました(掲載順序は,「新→古」の順)。
(なお,Google Alert Service によるラッセル関係情報は大部分削除しました,2009.1.25(日
★ 追記:いつかはわかりませんが、当該ブログは削除されていました。


2008/1/4
「ラッセル徒然草スタート」

 バートランド・ラッセルのホームページ(ポータルサイト)上で,「ラッセル徒然草」を本年1月1日からスタートしました。こちらの「ある Russellian の呟き」では,ラッセルのホームページに掲載するのは不適切なもののみを,以後掲載することにします。


2007/8/8
「ラッセルのホームページ開設12年目に突入」

の画像  ラッセルのホームページを開設したのが,1996年8月8月なので,丸11年が経過し,本日より12年目に突入する。
 ★関連エッセイ

 Webのホームページが普及し始める前は,gopher(ゴ-ファー)というテキストベースのページしかもてなかったが,1994年頃からだったろうか,誰でもWebのホームページを持てるようになった(普及するのは,ブログが一般に利用できるようになってからではあるが・・・)。
 昔,ネットワーク環境が良くない時代においては,テキストベースのページしかもてず,また利用者も画像をサクサクと表示できなかったので,公的なホームページの場合はできるだけ画像のような重たいデータはのせるべきでないと言われていたし,自分でも言っていた。今では様変わりである。
 今では,弱視者やその他のハンディキャップを持っている人でも利用しやすいホームページをつくるべきだという人が少なくないが,それはそういった人向けのページを必要に応じてつくればよいのであって,弱視者が見れないからといって,新しい技術を採用してはいけない,ということにはならないだろう。


 今後とも,よりよいページ作りをしていきたいと考えていますので,ご意見やご要望がありましたら,ラッセルのホームページに掲載してあるメールアドレス宛,よろしくお願いします。(上の図は,ラッセルのホームページのアクセス状況(日本国内分)です。)


2007/5/13
「ラッセル生誕97周年記念講演会から」

 昨日,ラッセル生誕96周年記念講演会の録音テープを電子化し,ホームページに掲載したとお知らせしましたが,本日は,生誕97周年記念講演会での谷川徹三会長の講演「現代の聖職者としての大知識人(ラッセル,ジード,トインビー)」(約35分間)をアップロードしました。
 谷川徹三会長の講演「現代の聖職者としての大知識人」
 
 ソ連のチェコスロヴァキア侵入に対するラッセルの非難及びヴェトナム戦争に対する非難に共通するもの基本的な原則にたった上での是々非々主義)について,谷川先生は,明快に説明しています。


2007/5/12
「ラッセル生誕記念講演会の録音テープから」

ラッセル記念講演会で講演する谷川徹三氏  1960年代の後半に,日本バートランド・ラッセル協会主催(朝日新聞共催)で,朝日新聞社の'朝日講堂'を会場にして「ラッセル生誕記念講演会」が年1回,数年間開催されました。ラッセル協会の自然消滅により,事務局の資料を私が引き継いだ関係で,講演会の録音テープ(カセット及びオープンリール)を持っています。長い間そのままにしてきましたが,カセットテープの方を電子化し,ホームページに掲載し,オープンリールテープの方は処分することにしました。
 これまでに電子化したのは,次の2件です。
 1) 谷川徹三「ラッセルとアインシュタイン」
 2) 堀秀彦「ラッセルから教えられたこと」

 その他のものは,亡くなった方のものから電子化していく予定です。


2007/5/5
「プラス・ペンリン山荘への道順」

 ラッセル協会事務局を担当されていた(故)牧野力教授(早稲田大学政経学部)が Plas Penrhyn 山荘のラッセル未亡人を訪問した時のノート(手書きメモ)を電子化し,次のページに掲載しました。牧野先生がなくなった後,牧野先生の未亡人から,ラッセル関係の資料をいろいろいただきましたが,このノートもその中の1つです。
 MAKINO00.HTM

 なお,Plas Penrhyn 山荘の写真は,「牧野力教授アルバム」として,次のページに多数掲載してありますのでご覧ください。
 R501.HTM


2007/2/10
「バートランド・ラッセルに関するメルマガ」

 「バートランド・ラッセルに関するメールマガジン」の第8号を本日発行しました。
 今回は,ヴィトゲンシュタインとラッセルの伝記で有名な,レイ・モンクのインタビュー(「暗部-ラッセルとヴィトゲンシュタイン」)を紹介しています。このコンテンツは読書会会員及びメルマガの読者,mixi の「オンライン版ラッセルを読む会」会員向けの限定提供のため,パスワードを入れないと見られなくなっています。
 関心のある方は,ご登録ください。
 https://russell-j.sakura.ne.jp/R3HOME.HTM
 なお,メルマガの閲覧者(登録者数)は現在43名です。


の画像 2007/1/28
「不思議の国のアリスに関する対談」

 「B.ラッセル書誌」を20年以上前につくった関係で,前々から,ラッセルが「不思議の国のアリス」について,1942年に対談を行ったことは知っていたが,その対談の邦訳を,ラッセルのホームページに掲載しようとは考えたことはなかった。
 しかし,知人が「不思議の国のアリス」に関するホームページを開設していることを知り,邦訳をいろいろ掲載されているので,この対談を邦訳してもらえないか,お願いしてみた。するとすぐに翻訳してくださった。

 ということで,以下のページに掲載したしだいです。
 russell-alice.html


2007/1/20
「バートランド・ラッセルに関するメルマガ」

 昨年(平成18年)12月から,「まぐまぐ」のメルマガ発行サービスを利用して,「バートランド・ラッセルに関するメールマガジン」(もちろん無料)を発行しており,案内を
 https://russell-j.sakura.ne.jp/R3HOME.HTM
に掲載しています。
 登録手続きは,配信希望先のメールアドレスを入力し,送信ボタンを押すだけです。発行者からは誰が登録しているかわかりませんし,閲覧を中止したい場合は,上記の同じ画面で簡単にできます。閲覧したい方は,お気軽に手続きをしてください。
 以上,ご紹介まで。 
     

2006/12/30
「わかる方,教えてください」

 来年1月2日頃に,ラッセルのホームページに掲載しようと思っていますが,『ラッセル自叙伝』の中で1ケ所わからない表現があります。誰かわかる人がおられたらご教授ください。
 それは,
 https://russell-j.sakura.ne.jp/beginner/AB22-130.HTM
  の真ん中より上のあたりの,次の部分です。
・・・。彼らは,ぼろぼろの服を着,二週間もそってないという無精ひげ(注:'a fortnight's beard' というのは,単に「2週間そってない無精ひげ」ということではなく,慣用句かことわざにでてくる言葉でしょうか? ご存知の方は,メールか電子掲示板で教えてください。)
 原文は,
On one occasion in Petrograd (as it was called) four scarecrows came to see me, dressed in rags, with a fortnight's beard, filthy nails, and tangled hair.
となっています。
 'a fortnight's beard' というのは,慣用句かことわざにでてくる言葉だろうと想像されますが,なんと訳せばよいのでしょうか? 長い間ヒゲをそっていないことを表す「慣用句かことわざの中の表現」だとしても,なぜ2週間なのでしょうか?
 分かる方,よろしくお願いします。
 

2006/11/3
「Google Blogger」

 ブログについては,この AutoPage と「はてな」(ただしこちらはまだほとんど利用せず)を利用しているが,容量が問題であり,また,いつまでサービスが続くかわからないという欠点がある。
 そこで次の,グーグルのブログ(Blogger)も試しに使ってみることにした。
 https://russell-j.blogspot.com/
 
 グーグルについては誰もが使っている検索エンジンだけでなく,Google Analytics(ホームページアクセス分析サービス),Google Map, Google Earth, Google Desktop など,いろいろ利用させてもらっている。以前少し使っていた Google Adsense は,(閲覧者に,訪問時にできるだけ広告をクリックしてくださいとホームページに書いたことが契約違反となったらしく)使えなくなってしまった。
 さて,この Google Blogger は他のブログと比べ,どれだけよいことがあるか,今後いろいろやってみて,検証してみたい。


2006/9/22
「ラッセル『幸福論』原著全文の掲載」

 ラッセルの Conquest of Happiness のフルテキスト(全文)を下記にアップロードしました。ご利用ください。
 beginner/COH-TEXT.HTM

 ラッセルの著作(原著)の電子テキストはかなりインターネット上に公開されていますが,どういうわけか,The Conquest of Happiness は見当たりません。このテキスト掲載により,海外からのアクセスが増えれば幸いです。
 https://www.users.drew.edu/%7Ejlenz/brtexts.html


2006/8/12
「Googleさん,安易じゃありませんか!?」

 Googleの検索エンジンを使い,「バートランド・ラッセル」というキーワードで検索すると,(私が開設・管理運営している)「ラッセル研究者及び愛好家のためのポータル・サイト」はこれまでずっと一番最初にリストアップされていた。しかし,最近になって,2番目にリストアップされるようになってしまった(一番最初に出てくるのは,wikipedia の「バートランド・ラッセルの項目)。wikiについては,記述が不正確なものが多いが,リンクする人が多いと思われ,それが高評価につながったのだろうか。試しに,'カント','ヘーゲル','マルクス','サルトル'を検索して見ると,みんなウィキペディアがトップに来ている。
 Googleさん,それは安易じゃありませんか!?
 因みに,'ウィトゲンシュタイン'で検索すると,wikipediaは2番目になるが,'ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン'では,やはり wikipedia が一番最初に来る。(ただし,以上は,2006年8月12日現在です。)
 → 続きはこちら


2006/8/8
「『幸福論』を訳し終えて」

 ようやく本日,ラッセルの The Conquest of Happiness(1930 を訳し終えた。ラッセルの『幸福論』(原題では,『幸福の獲得』)については,安藤貞雄氏によるすぐれた訳(岩波文庫版)があるが,このホームページに親しんでもらうためには最適なコンテンツと考え,連載してきた。
 邦訳していて,自分の勉強の足りなさを実感したが,安藤氏が誤訳していると思われる箇所もいくつか発見した。
 それについては,ラッセルのホームページに掲載したので,ご一読願いたい。
 ad060809.htm


2006/2/23
「Google について(検索エンジン篇1)

 Google の検索エンジンは,みなさん日頃使っておられることと思います。
 Google の真髄は検索エンジンですが,検索技術を基本にして,様々なサービスを開発していますGoogle の使命:Google 独自の検索エンジンにより,「世界中の」情報を「体系化し」,アクセス可能なものにすること)
 グーグル提供のサービス全般にわたって詳細に解説している本がありますので,ご紹介しておきます。

  水野貴明(著)『web検索だけではない! Google まるごと使い倒しガイド』
  (ソーテック社,2005年9月15日刊,1,780円)

Google検索エンジンの上手な使い方(メモ)
A.Web検索
(1)一般検索
 1)キーワードは,最大32個まで指定可能
 ・ただし日本語の場合は「分かち書き」すべきときは要注意
  例: 「埼京線」は,「埼京線」以外に,「埼」+「京」+「線」の検索結果も
  含まれてしまう。
  → 「埼京線」に限定したい場合は,,"埼京線" というように," " で囲む。
 2)除外したいキーワードを含むページは,キーワードの前に 「-」(半角)をつける。
  入力例:「マラソン -禁煙」 (禁煙マラソンを除く)
  ・しかし, 「ラッセル -クロウ」で検索すると,「ラッセル」だけで検索する時
   よりも検索結果(数)が多くなってしまう。なぜだろうか。
 3)ファイルタイプなど(文書タイプなど)を指定した検索
 例1:pdfファイルに限定 「"バートランド・ラッセル filetype:pdf"」
 例2: ホームページのタイトル・タグ内のキーワードに限定
  入力例 「"バートランド・ラッセル" intitle:ラッセル」
 例3: 特定のURLに限定して,指定するキーワードで検索
  入力例「inurl:https://russell-j.sakura.ne.jp/ "ラッセル協会"」
 例4: 指定したドメイン内に限定して検索  site:**** "\\\"
 例5: 指定したアドレスへリンクしているページを検索
  「link:https://russell-j.sakura.ne.jp/」

(2)特殊検索
 1)経路検索
 「乗り換え 出発駅 到着駅」
  ・入力例 「乗り換え 渋谷 奥多摩」
  ・Google(英語のページ)の Localサービスに(メニューを)変えて
   「London to Swanage」 と入力して検索すると,
   ロンドンからスワネージへの道順が図示される。
 2)辞書検索
  「英和 単語」/「和英 単語」
  ・入力例 「英和 currency」 → currency の日本語の訳の表示
  ・入力例 「和英 心痛」
 3)ヤマト運輸の荷物検索 (荷物の配送状況を調べる)
  「ヤマト 伝票番号(12ケタ)」
   と入力すると,自分が配達をたのんだ荷物の状態がわかる。
 4)会社情報
  「会社情報 企業名」
  ・入力例 「会社情報 ソニー」
 5)株価
  「株価 企業名」
  ・入力例 「株価 ライブドア」
 6)電卓機能
  ・計算式 入力例 「(5*(152+158)+10)」
  ・定数  入力例 「pi」
       → 3.14159265 と表示される
 7)電卓機能で単位変換
  ・入力例 「4 miles + 3 miles in kilometers」
 8)為替レート
  ・入力例 「1 USD in JPY」
 9)言葉の定義
  「**とは」
  ・入力例  「ブログとは」 「define **」

(3)Google アカウントの利用
  Google アカウントを取得すると,その人にあった検索結果などを得られるようになる。

(4)Google サジェスト
  https://www.google.co.jp/webhp?complete=1&hl=ja
  サジェスト機能を使い,一番目の候補を決めたあと,スペースをいれた後2つめの
  キーワードの文字をいれていくと,一番目のキーワードに関連の 深いものから表示
  されます。
  例:「ラッセル」といれると,ラッセル***が表示されるが,
    「ラッセル **」というように,ラッセルといれてから一文字あけると,
    「ラッセル 幸福論(6,520件)」というように表示される。
  すなわち,あらかじめどれくらいひっかかるか検討をつけながら,判断可能
  Googleサジェストには,自分を含め,数多くの人間が検索した結果が反映されている。

B.ニュース検索
 1)intitle:USEN
  intitle:姉歯
  intitle:ライブドア ホリエモン
  ・ホリエモンは,記事全体から検索
 以下省略

2006/1/9
「投げ銭システム?-電子決済への邪な期待」

 「投げ銭システム」というのをご存じだろうか?
 
 神社やお寺の賽銭箱に,ほとんどの人が'賽銭'を投げ入れた経験があると思われる。「投げ銭システム」というのは,「賽銭投げの'電子版'」である。「投げ銭システム'もどき'」のものは,現在Web上でも見られるが,本格的なものは,寡聞にして知らない。ご存じの方がいたら教えていただきたい。
 
 ラッセルのホームページを開設し,運営管理しているので,プロバイダー料金(2社分)をまかなうことができればと思い,1年半ほど前から,ホームページの What's new! のページに,広告を掲載してきた。つまり,広告をクリックすれば,その回数に比例した謝礼が支払われるシステムであるが,残念ながら,まだ一度も報酬が支払われたことがない。そこで,半分あきらめて,What's new! の目立つ場所から,「お好みリンク集」のページに先日引越をした。

 ホームページを見て,気に入った場合,10円あるいは,100円以下の小銭(小額)であれば,お賽銭のように寄付してくれる人は少なくないだろうと思われる。しかし,このような少額の電子決済を多くの日本人が利用できるようになるまでには,まだ10年位かかるだろうか? 100円以下の電子決済が簡単にできるためには,多くの人が電子決済の口座を開設し,1回あたりの手数料が100円以下にならなければならないだろう。
 お財布ケータイ,PCへのフェリカポートの装備,その他,環境ができつつあるので,期待したい。
 
 自分のホームページをお墓代わりにしようとしている人がいたと記憶している。つまり,投げ銭システムが機能するようになれば,お墓(ホームページ)の「永代使用料」が自動的に支払われるようになり,ホームページのオーナーが死亡しても,(更新はされなくなったとしても)永久にそのホームページは維持されることになるのである。これは夢ではないように思われるが,如何でしょうか?


2006/1/7
「mixiの利用」

の画像  閉ざされたコミュニティは余り好まないので,これまでmixi(ミクシー)などのSNS(Social Networking Service)には積極的な興味をもたなかった。しかし,mixiに代表されるSNSの成長は急速であり,無視できなくなってきた。そこで,オープンなインターネットのコミュニティの欠点や限界を補うためにmixiを利用することにした。
 インターネット上のオープンなコミュニティ(従来のオープンなWebサイト,ブログなど)一定の制限を設けたコミュニティ(SNSなど)の長所短所は以下のようなものだろうか。
A1.オープンなコミュニティの長所
・誰でも参加できる。(言語上の問題はあるが,世界中に開かれている。)
・認証なしに,いつでも誰でも利用(アクセス・閲覧・書き込み等)できる。

A2.オープンなコミュニティの欠点
・オープンな電子掲示板やブログなどは,無責任な書き込みが少なくない。また,無責任とまではいえなくても,安易な書き込み(楽をしたいために,ロクに調べもせずに質問するなど)が多くなってしまう。


B1.一定の制限を設けたコミュニティ(SNS等)の長所
・誹謗中傷が少ない。
・知り合いの知り合いからなっていることからくる安心感
・誰が閲覧してくれたか,「足あと」でわかる。(欠点でもある。)

B2.制限された社会の欠点
・「知人あるいは知人の知人」からなる,ある程度閉ざされたコミュニティであるため,話題や視野が狭くなる可能性がある。(思い切ったことが書けないきらいがある。)
・内緒で閲覧したくても,mixiの場合は,「足あと」で相手にわかってしまう。

 そこで効果的なmixiの利用(+多忙防止策)について考える。
 情報を得るだけでは,即ち give & take の関係でないと,SNS を効果的に利用できないだろう。ただし余り深く関与すると(mixi 仲間の書き込みに余りにまじめに対応すると)多忙となり,無駄な時間を使うことにもなりかねない。そこで,mixi 上に,1つだけ,オンライン版(ヴァーチャルな)「ラッセルを読む会」というコミュニティを開設し,オフライン版(リアルな)「ラッセルを読む会」と,相互補完させ,相乗効果を得られるような利用の仕方をするようにつとめたいと考えている。
 (参考)オフライン版(リアルな)「ラッセルを読む会
[長短及び利用法]
・リアルな「ラッセルを読む会」も,会員は多いほうがよいが,実際に集まってやる場合は,10名以内が適切であるため,会員数のコントロールが難しい。
・リアルな読書会は,とりあげる本がある期間限定される。(現在は論理学関係に偏っている。)
・オンライン(バーチャルな)読書会であれば人数制限は必要ないし,とりあげる本も限定する必要はない。
・mixiであれば,プライバシー上,また著作権上多少問題のありそうな写真などもある程度アップロード可能。

・オンラインであっても読書会であるので,ラッセルの著作を読むことを基本にしたい。
・ただしコミュニティの主催者が常に反応しないといけないというのでは,大変なので,主催者の応答は義務化しない,ということにしたい。
 それでは,コミュニティ開設作業に進みたい。


2005/12/12
「'公園浄化?'」

 「注意力散漫」である。

の画像  今朝,いつものように通勤途上,上野の山を歩いていると,大型のパトロール・カーと遭遇した。なんだろうと思いながら,公園の階段を下り,不忍池の遊歩道を歩いていると,野宿をしていると思われる人たちが噂話をしていた。

 「この前は天皇陛下だったけど,今度は皇太子らしい

 またこの前のような'民族浄化'ならぬ,'公園浄化'(8月にこのブログに書いたようなこと)が起こるのだろうか,それにしても上野の山から不忍池に移動してきている人は多くはない。いまひとつ ? であった。

 夜帰宅途上,再び不忍池を歩いていると,普段野宿している人たちが全然見あたらない。それでようやく気づいた。そういえば,今朝上野のお山を歩いていたとき,野宿用のテントは全然見あたらなかった。目には見えていたはずだが,意識にはのぼっていなかったのだ。「注意力散漫」と言わなければならない。帰宅時,上野のお山には彼らのなかの何人かはもどっていたようだが,テントは2つ位しか見あたらなかった。

 例年12月末になると,上野のお山だけでなく,不忍池からも,野宿している人は全員強制的に退去させられる。東京都あるいは台東区が彼らをどこかに収容して,食事も与えるのだろうか?
 ★上の写真は,不忍池


2005/12/3
「ラッセルのホームページの閲覧者」

の画像  ホームページを運営している方であれば,自分のホームページをどのような属性(年齢,性別,地域,関心領域,その他)の人がどれくらいの頻度で閲覧してくれているか,誰でも知りたいことであろう。
 最近,グーグルが無料のホームページのアクセス・ログ分析サービス(Google Analytics )を始めたので,早速使ってみた。下記にその結果を紹介してあるので,興味のある方は,お読みいただきたい。
 https://russell-j.sakura.ne.jp/ad051203.htm
 
 なお,Google Analytics は,登録希望者が殺到したため,現在新規受付中止となっている。


2005/9/3
「Professor Sir Joseph Rotblat」(Google Alert n.25)
の画像Professor Sir Joseph Rotblat(1908-2005), who died on Wednesday aged 96, was the only scientist during the Second World War to leave the Los Alamos atomic bomb development programme - the Manhattan Project - for reasons of personal conscience.
 
 ... He also became a prominent opponent of the proliferation of nuclear weapons. Believing that scientists should bear personal responsibility for their discoveries, in 1955 he was one of the 11 signatories, along with Einstein and Bertrand Russell, of a manifesto calling for scientists of all nations to meet and devise ways of avoiding nuclear war...
...Bertrand Russell wrote in his autobiography of Rotblat's "courage and integrity and complete self-abnegation", and said of his stand on disarmament: "If ever these evils are eradicated his name should stand very high indeed among the heroes."
 ...
 ...In addition to the Nobel Peace Prize, he received the Bertrand Russell Society Award in 1983, the Albert Einstein Peace Prize in 1992 and numerous other honours, awards and decorations from around the world.

2005/8/25
「陛下と上野公園の住人」
 ★カット写真:上野公園から,不忍池の'辨天堂'を望む

の画像  毎朝,上野駅を降りた後,上野公園及び不忍池を通って職場に向かっている。昨日は出勤時,上野公園で'異変'が起こった。上野公園の住人20~30人が,ブルーシートで覆われた"野宿セット"を荷台にのせ,ガラガラと音をたて,不忍池に多数移動していた。どうしたのだろうかといぶかったが,その時は理由がよくわからなかった。
 夕方帰宅時,上野公園を歩いていたら,私服だが警視庁の腕章をしている若い人に,"脇の歩道を歩いてください"と声をかけられた。え?,全部が歩道じゃないのかなと,一瞬キョトンとしていると,'陛下(の車)が'通られますから・・・”,とのこと。見ると,普段多数みられる"野宿セット"は全て撤去され,掃除が行き届き,交通規制がなされていた。

 "総理大臣が通られますので・・・"などということはありえないだろう。そんなことをしたら,世間からたたかれ大変である。しかし,"陛下"となると,多くの人が抵抗感を余り覚えないのはどうしてだろうか? 総理大臣であれば,世の中の生の姿(現実)を見ないといけないが,天皇陛下は,日本国の"象徴"であり,"高貴な方"であるので,余り"見苦しいもの"を見せたくないと,取り巻き連中あるいは一般国民が思っているからか

 第2次世界大戦に敗れ,(統帥権をもっていた)天皇の戦争責任もあいまいになり,A級戦犯も最初は指弾されたが,いつのまにか,国家のためにつくした(犠牲になった)のだからと,区別なく,靖国に一緒に祭るということを納得してしまう国民性(あるいはそれが日本の美徳だと言う政治家達)。
 
 交通規制はある程度やむをえないにしても,一時的に"見苦しいもの"を撤去し,事が終わればもとにもどし忘れてしまう'国民性'は,少し改めたほうがよいのではないか,思ったしだいである。


2005/7/9
「朝日の天声人語(7月9日)」

 本日の朝日新聞の天声人語では,ラッセル=アインシュタイン宣言をとりあげています。50年前の今日(7月9日)に,ラッセルが新聞記者会見を開き,ラッセル=アインシュタイン宣言を発表しました。
 発表している写真は,次のURLにのっていますので,ごらんになってください。)
 https://russell-j.com/beginner/PAGWASH.HTM

【天声人語】2005年07月09日(土曜日)より引用:
ロンドンで,哲学者バートランド・ラッセルが核戦争回避を訴えるために記者会見を開いた。ちょうど50年前の7月9日のことである。アインシュタインや湯川秀樹らも署名したアピールは,米,英,ソ連などの首脳に送られ,「ラッセル・アインシュタイン宣言」として世界に広まった。
厳しい冷戦下での宣言らしく,・・・。後は新聞をお読みになってください。


2005/6/17
「ラッセル『結婚&モラル』」

 ネット・サーフィンをしていたら,偶然,私のラッセルのホームページから,大量に引用しているページを発見した。(↓ 以下のページは現在なくなっています。)
 https://www.moon.sannet.ne.jp/amigo9/theme/report/frame1.htm
 
 私の「ラッセル年譜」から,女性遍歴の部分だけ抜き出してまとめたものであるが,見やすく編集されている。このサイトは,ラッセルの Marriage and Morals, 1929 について,いろいろふれており,興味深いと思われるので,ご紹介したしだいである。
 なお,トップページのURLは,
 https://www.moon.sannet.ne.jp/amigo9/ です。(左記のサイトはなくなってしまったようです。)


2005/6/11
「Brooklyn Prof in Godless Shocker,by Katha Pollitt」 Google Alert n.21

Or Bertrand Russell ("The Christian religion, as organized in its churches, has been and still is the principal enemy of moral progress in the world"). Actually, Russell is a particularly relevant example here. The appointment of one of the twentieth century's greatest logicians to a professorship at City College in 1940 set off a hysterical campaign against the "Godless advocate of free love" on the part of the Episcopal and Catholic churches, the Hearst papers and Tammany Hall. A flagrantly trumped-up lawsuit was fast-tracked through the system, Russell was denounced in the state legislature and the job offer was withdrawn. ..


2005/4/19
The Pujiang Hotel Google Alert n.16

の画像 The Pujiang Hotel(旧 Astor House Hotel:ラッセルが1920年に中国にいった時,上海で泊まったホテルの1つ)について

Every celebrity who came to Shanghai stayed at Astor House: in 1920, the philosopher Bertrand Russell; in 1922, Albert Einstein and in 1927, an eight-year-old girl named Peggy Hookham came to live at the Astor House with her family.


2005/3/21
「Noam Chomsky, still furious at 76, By Alan Taylor」 Google Alert n.13

Chomsky, who at 76 is technically retired, inhabits a suite of offices overflowing with foreign translations of his books and dusty academic journals. A photograph of the British philosopher Bertrand Russell hangs above a door, as a picture of the Pope might decorate a priest's study. The professor, his gatekeeper says, has gone for a walk, but he should return soon, if he can find his way back. Apparently, he is exploring a hitherto uncharted underground route on the campus.

 N.チョムスキー『知識と自由(ラッセル記念講演)』訳者あとがき


2005/1/21
The atom bomb, Einstein and me(=Joseph Rotblat) Google Alert for: Bertrand Russell

 ・Interview by Simon Rogers Thursday January 20, 2005,The Guardian
(ロートブラット教授は,ラッセル=アインシュタイン宣言署名者のなかで,存命している最後の一人)

.....前略....

I met Bertrand Russell and became an information source for him. There was the idea that high-level scientists should issue a manifesto to the world to draw attention to the dangers of a nuclear war. Russell wanted to get the best scientists in the field and the greatest scientist at the time was Einstein. So Russell wrote a letter.

By the time Einstein's reply reached London, he was dead. He had immediately replied, the last act of his life. We called it the Russell-Einstein manifesto. It was signed by 11 scientists. Russell insisted they were Nobel laureates, but asked me to sign even though I was not one. He said: "You will get it, I'm sure. "Einstein's endorsement made an enormous difference his name was recognised by every person on the planet. Now I'm the only one of the signatories still alive. Because of this I feel it's my duty to go on carrying the message from Einstein.
....後略...


2005/1/10
Google Alert Service

 Google の新しいサービスに Google Alert Service というのがある。
 https://www.google.com/alerts

 まだ英語だけのベータ版ではあるが,キーワードを登録しておくと,毎日そのキーワードが含まれているニュースやWebページの最新情報を配信してくれる。私も「Bertrand Russell」というキーワードを登録して,2,3ヶ月前から?受信している。大部分,記事の一部に「Bertrand Russell」という言葉と関係の記述が少し含まれているだけであるが,多少でも参考になりそうなものがあれば,このブログで紹介したい。

 本日は,「愛国者は,お国のために死ぬ(殉職する)とは言うが,母国のために外国人を殺すとは言わない。」というラッセルの言葉を引用している記事の紹介。
  https://www.walkermn.com/placed/index.php?sect_rank=9&story_id=190948

For the last 158 years in 250 deployments of the U.S. military, no soldier has died in an attempt to stop an invading country. The times U.S. soldiers died were in attempts to invade other countries and gain control over the resources of those countries. Bertrand Russell once said, "Patriots always talk of dying for their country and never of killing for their country."


の画像 2005/1/9
「英国貴族の館「カントリーハウス」」

 写真をふんだんに使用した,英国貴族の館「カントリー・ハウス」に関する参考書を1冊紹介しておきたい。2004年7月に増刷されているので,現在でも入手可能なはずである。
 
『図説・英国貴族の城館-カントリー・ハウスのすべて-』
田中亮三(文),増田彰久(写真)
河出書房新社,1999年1月25日 1,800円
 
 増田氏は,建築写真家として有名であり,写真のできばえはすばらしい。
 
 B.ラッセルの祖父ジョン・ラッセルは,第6代ベッドフォード公爵の3男であるが,ベッドフォード家の居城である,Woburn Abbey の写真も2,3枚収録されている。(なお,ラッセルは Woburn Abbey に住んだことはない。)
 

の画像 2004/12/27
「ビデオ「愛しすぎて-詩人の妻-」」

 T. S. Eliot と最初の妻との悲劇的な愛を描いた映画のビデオ(「愛しすぎて-詩人の妻-」)を,大阪日本橋の中古ビデオショップで(100円で)購入したと直前に書きました。中身については,(ラッセルのホームページに掲載中の)『自叙伝』の邦訳作業が,エリオットと妻との関係にふれているところにかかった時にでも言及させてもらうこととして,とりあえず,ビデオ・ジャケットの写真のみ紹介しておきます。


2004/12/19
「中古ビデオショップ「道楽」」

の画像  昨日久しぶりに,大阪日本橋(にっぽんばし)の'でんでんタウン'(パソコン街)にいってみた。USBメモリなどのパソコン関係の周辺機器を入手するのが主な目的であったが,目的のお店(Joshin)に行く途中で,'道楽'という,非常に大きな中古ビデオショップがいつのまにかできているのを発見した。'20万本'のビデオを常備しており,「1本100円~」と大々的に表示されていて気になったが,まず目的の買い物を済ませてから,立ち寄ることにした。
 帰りに寄ってみたところ,100円ビデオが大量にあり,200円,300円,なかには500円,700円のものもあったが,100円のものが一番多いようだった。近くにいた別の客が,これは,(CDやDVDビデオ等のレンタルで有名な)TSUTAYA のもの(中古処分品)だと話しているのが聞こえた。TSUTAYA のものだとわかるものはとりはずされていたが,「7泊8日」というお馴染みのタグがついたままであり,なるほど古くなったビデオテープを捨てるより,このように100円でも処分した方がよい,ということになったのだろうと,納得したしだいである。
 10本購入したが,たったの1,100円(ゴジラ1本のみ200円)と信じられないような値段であった。因みに購入したもののタイトルをあげると,以下のとおり。
(1)GODZILLA(ゴジラ) (2)ハリポッターと賢者の石 (3)ハムナプトラ
(4)ザ・リング(ハリウッド・リメイク版) (5)トータル・リコール
(6)ハックルベリー・フィンの大冒険  (7)ミルドレッドの魔女学校
(8)病院に行こう (9)ボクが病気になった理由 (10)愛しすぎて-詩人の妻(Tom & Viv)
 このなかで,(10)は,「荒地」詩集で有名なノーベル文学賞作家,T. S. Eliot と最初の妻(ビビアン)との悲劇的な?愛を描いた作品である。T. S. Eliot は,ラッセルが1914年にハーバード大学で講義をした時の教え子の一人であり,エリオットが経済的に困っている時,ラッセルは多大な経済的援助を行ったり,一時期ロンドンのフラットの部屋に夫婦を住まわせたりと,深い関係があった。ということで,入手したい1本であったが,たったの100円で入手できた。(定価は,16,000円と書かれている。)
 また近いうちにいってみようと思う。


2004/12/16
の画像 「南禅寺の「水路閣」」

 先日の日曜日(12月12日),また自転車にのって,銀閣寺口から,哲学の道を南下して,(永観堂の南側にある)南禅寺近辺にいってみた。
 写真は,南禅寺境内にある「水路閣(琵琶湖疎水の一部)だが,よくドラマのシーンにでてくるので,実際に南禅寺いったことのない人も,見たことがあると思われる。ローマの高架水道橋のまねをしたのだろうと思われるが,日本的な風景のなかになぜか旧ヨーロッパの建造物がよくマッチし,とけ込んでいる。
 この疎水べりを歩き,蹴上(けあげ)の水力発電所あたりまで歩いてみた。紅葉はほとんど散ってしまっていたが,十分目の保養になる,とてもよい散歩コースだった。


2004/11/29
「永観堂の紅葉」

 11月はこれまでこのブログに何も書いてこなかった。1ケ月間何も書かないのもなんなので,ラッセルに全然関係ないが,京都市左京区(東山地区)にある永観堂・禅林寺についてちょっと。

の画像  昨日自転車に乗って,永観堂(えいかんどう)の紅葉見物にいってきた。以前「真如堂(しんにょどう)」の紅葉を見にいったが,永観堂の紅葉の方がすばらしいということなので,銀閣寺口から「哲学の道」をゆっくり自転車で南進(南下)し,「哲学の道」のはずれにある永観堂までたどり着いた。紅葉が最も美しいという(11月末の)シーズンのため,観光客でいっぱいだった。秋の紅葉のシーズンと春のシーズンには,拝観料をとるそうで,入り口で1,000円とられた。そばにいたある観光客(女性)が「ずいぶん高いわね」とぼやいていた。私も入る前はそう思ったが,中に入ってみて,1,000円の価値は十分あると思った。
 目の保養に,1枚だけデジカメ写真をアップロードしておく。3,4年前に買ったカメラ(200万画素)なので,写りが今一つであるが・・・。
[京都市左京区「永観堂・禅林寺」, 2004.11.28 撮影]
 ★写真の続き★ は,下記のページの左下参照
 https://russell-j.com/beginner/HA12-080.HTM

の画像 2004/10/30
「英国貴族の使用人(2)」

 英国貴族とその使用人との関係や使用人相互の関係を理解する上で参考になる映画として,(『日の名残り』以外に)『ゴスフォード・パーク(Gosford Park )』もあげておきたい。これはロバート・アルトマン監督製作のミステリー・コメデイ?で,アカデミー賞脚本賞を受賞している。
 https://www.uipjapan.com/gosfordpark/

 舞台は,1932年の英国貴族の邸宅(カントリーハウス/マナーハウス)であるが,貴族の館の階上の人たち(貴族連中)と階下の人たち(使用人たち:執事,女中頭,料理長,その他メイドなど多数)の間をカメラがいったりきたりして,両者の関係を巧みに描いており,すばらしいできばえとなっている。
 この映画では,誰か一人の登場人物が主役というよりは,主役が数人いるといった方がよいだろう。しかし,それでは焦点がぼけてしまうので,トレンサム伯爵夫人付きのメイドであるメアリー('ミス・トレンサム':貴族の使用人は,使用人同士の間では,主人の名前の前にミスあるいはミスターをつけ,ご主人が男性であれば,ミスター・××,ご主人が女性であればミス・××と呼び合うとのこと)が主役に近い役柄として描かれている。
 この映画のDVD版には,アルトマン監督による長時間(1時間位?)にわたる詳細な作品解説(ただしインタビュー形式)が収録されており,映画の内容理解の助けになるとともに,映画作りのノウハウが大変よくわかる。
 自信をもってお薦めできる1本です。


2004/10/24
「英国貴族の使用人たち」

 『ラッセル自叙伝』の冒頭に,ラッセルの祖父(英国首相を2期つとめる)が住んでいたお屋敷(Pembroke Lodge:ロンドンの郊外のリッチモンド・パーク内にあり)の使用人たちが紹介されている。ラッセルは,4歳から(ケンブリッジ大学に入学する)18歳まで,この屋敷で過ごしたが,ラッセルによれば,「ペムブローク・ロッジでの初めの頃は,私の生活にとって,家族よりも使用人たち(執事,女中頭,コック,庭師など)の方がより大きな役割を演じた。」とのことである。それゆえ,英国貴族の(屋敷)住込みの使用人についての知識も,幼少期のラッセルを理解する上で重要なことであろう。
 残念ながら,The Autobiography of B. Russell の邦訳書(日高一輝訳で理想社からずいぶん前に出版されたが絶版)は誤訳が多く,house-keeper(女中頭)を(ペンブローク・ロッジの)「管理人」と訳したりしており,注意して読む必要がある。

 ずいぶん前,NHKで英国貴族の特集番組が放送された(ラッセル家も紹介された)のを視聴しており,貴族に関する関連文献も多少読んでいるので,だいたいわかっているつもりではあるが,当の貴族本人からみれば,「表面的な」知識にすぎないと言われるかもしれない。その点,英国貴族の日常を題材にした映画ならば,かなり参考になるはずである。
の画像
 イシグロ・ケン氏が,『日の名残り』(The Remains of The Day)で,ブッカー賞(英国最高文学賞)を受賞したことは,受賞当時ニュースで聞いたが,その時は読んでみようという気にはならなかった。しかし,『ラッセル自叙伝』を訳していて,気になったので,本日,近くの TSUTAYA でビデオテープ版「日の名残り」を借りて,鑑賞してみた。(右の写真は,DVD版のジャケット)
 次のURL上にはこの映画についての詳細な情報が載っている。
 https://www.builder-net.com/essay/200402/
「・・・。英国の華麗なマナーハウス(中世に端を発する貴族や富裕階級の邸宅)を舞台に,執事と女中頭との間に芽生える淡い恋心を織り交ぜながら,古き良き時代への憧憬を綴った名作である。」
とある。
 良い映画なのでおすすめしたい。


の画像 2004/10/10
「『幸福論』邦訳・連載の弁」

 B.ラッセルの The Autobiography of B. Russell の邦訳本(日高一輝訳)は,古書店を探しても入手困難であり,入手できたとしても誤訳が多いので,注意が必要である。そのため,松下訳で,ラッセルのホームページに邦訳を掲載する意義は少なくないと考え,現在連載中である。

 これに対し,The Conquest of Happiness(1930)の邦訳は,岩波書店などから出されており(岩波文庫),新刊書店でも古書店でも容易に入手できるので,ホームページに邦訳を連載する意義はそれほどないだろうと考え,ラッセルのホームページにアップロードすることは考えていなかった。
 しかし,ラッセルの『自叙伝』は,ラッセル個人に興味を持っている人でなければあまり読まないだろうことから,誰もが興味を持てるコンテンツとして,ラッセルの『幸福論(幸福の獲得)』の邦訳を掲載したほうがよいのではないかと思うようになった。
 ということで,少しずつ(ゆっくり),連載の予定である。

 ★カット写真は,京都市の鴨川・賀茂大橋からの眺め,2004.10.10 撮影


2004/10/9
「パソコン復旧」

 月曜日から調子が悪くなったパソコンは,ほぼ復旧した。
 「TCP/IPネットワーク・トランスポートに関するエラー」というのは初めての経験であり,職場のSEにも相談したが,そのSEもそのような現象は初めてということで,苦労してしまった。

 ローカルエリア接続の(Microsoftネットワーク用ファイルとMicrosoftネットワーク用クライアントの)プロトコルのバインドの順番が異なっていたら,それを一致させて再起動をしてみるようにアドバイスを受け,やってみたが,効果がなかった。あと,レジストリーキーをいろいろいじってみることをアドバイスしてもらったが,Windows が不安定で,5分ですむコピーも1時間以上かかる状態のため,結局は,リカバリーCDを使って復旧することを決断し,実行した。

 マスター(ご主人様)のハードディスク(Gドライブ:増設し,メインドライブに変更したもの)をスレーブ(奴隷)にし,スレーブのハードディスク(Cドライブ:ソニー純正の旧ディスク)(ディップスイチをいじり,接続ケーブルをつけなおして)マスターに変え,旧ディスクに対してリカバリーディスクを適用した。
 作業概要は以下のとおりだが,無線LAN や WinReaer, IBMホームページビルダー等,いくつかのソフトはまだインストールしていない。残っている作業をしてから,こんどはCドライブの環境をすべてGドライブに引っ越しして,マスターとスレーブを入れ替え,Gドライブを起動ドライブにして初めて,復旧作業完了となるが,とりあえずしばらくCドライブをメインにして,とどこおった作業(ホームページの更新等)をやる予定である。やれやれ。
1.G,Hドライブ(ハードディスク)にあるデータのバックアップ
 *これは(Cドライブが復旧したらG.Hからコピーすればよいだろうということで,途中で中止)
2.Cドライブにリカバリーディスク(OSおよびアプリケーション)を適用
 *ハードディスクはとりはずさずに,接続ケーブルと電源ケーブルだけ順番を変え,ディップスイッチをいじるだけですませた。
 *Windows Update
3.Cドライブにインストールされたソニー提供のソフトのなかで,不要のものを削除(ディスクスペースの節約のため)
4.後から追加したハードウェアのドライバやアプリケーションの追加インストール
 ・USB2.0カード用ソフト;CANONスキャナーのドライバおよびユティリティ;プリンタ・ドライバおよびユーティリティ;増設したマルチDVDドライブのソフト類
 ・各種ソフトウェアの追加インストール(Microsoft Office; 一太郎;ウィスルバスター;Paint Shop;FFFTP;圧縮解凍ソフト; Real Player; Windows Media Player,v.9; Adobe Acrobat, v.6 等々)
5.G,HドライブからC,Dドライブに各種ソフトウェアのデータをコピー


2004/10/5
「パソコンのトラブル」

の画像  昨日からメインで使っているパソコンの調子が悪い。ネットワーク機能が使えなくなってしまっており,ホームページの更新ができない。インターネットに接続しようとすると,「TCP/IPネットワーク・トランスポート機能がインストールされていません」とのエラー表示がでる。TCP/IPプロトコルを削除した覚えがないので,何が原因なのよくかわからない。(現在この書き込みは,サブのノートPCを使って行っている。)
 特別なことといったら,Download Ninja(試用版)の30日の使用期限がきたので,削除してもう一度試用版をダウンロードして再インストールすればまた使えるかもしれないということでやってみたことぐらいだろうか。敵もさるもので,そのようにしても使えないようにしてあった。システム領域かどこかにタイムスタンプを書き込んでいるのだろう。「ダウンロード忍者」を販売しているサイトには,再インストールしても使えないようにしてあるとしっかり書いてあった。
 原因はよくわからないが,とにかくTCP/IPを再インストールしようとしたが,残念ながらリカバリーディスクはあるが,単体のOS(Windows 2000 Professional)が私のPCにはついていない。リカバリーディスクを使うとOSやアプリケーションソフトを再インストールしてくれるが,ハードディスクをまず全てフォーマットしてしまう。TCP/IPだけ再インストールしないといけないので,職場かどこかで Windows 2000 Pro を借りてこないと先にすすめない。
 ということで,しばらくの間,ラッセルのホームページの更新はお預けである。最後の手段は,必要なデータのバックアップをとってから,リカバリーディスクを使って再インストールする手があるが,ウィルスバスターその他,後から追加したソフトウェアもひとつずつインストールしなければならないため,今の所,TCP/IPだけ再インストールする努力をする予定である。やれやれ。


の画像 2004/10/3
「プラス・ペンリン山荘」

 ラッセルは,1970年2月2日の厳冬に,英国北ウェールズにあるプラス・ペンリン山荘(といっても小高い丘の上にあり)で,当時流行していたインフルエンザにかかって亡くなった。
 私も1980年に現地を訪れ,このホームページにもその時写した写真を掲載している。
 プラス・ペンリン山荘は,ラッセル未亡人(Edith Russell;旧姓 Edith Finch)が1978年に亡くなった後は,アムネスティ運動をやっている音楽家が住んでいたが(私が訪れた1980年夏には,玄関ドアにアムネスティ関係のポスターがはってあった。),現在はコテージ風のプチ・ホテルになっているようだ。

の画像  Googleの検索エンジンを使って調べてみた。
 「Bertrand Russell Plas Penrhyn」
 という語で検索すると,66件ひっかかった。いくつかのサイトで,プチ・ホテルとして紹介されているが,3つほどあげておく。

(1)https://humanistheritage.org.uk/articles/plas-penrhyn-wales/
(2)https://www.world-stay.com/en/dist100/WN74/The-Farmhouse-Minffordd--near-Portmeirion.html
(3)https://www.britishlistedbuildings.co.uk/wa-4852-plas-penrhyn-penrhyndeudraeth

 写真の(著作権というより)知的財産権の問題もあるが,ホテルの宣伝をしてあげるということで,大目に見てもらうことにして,3枚ほど画像を転載させてもらうことにする。

 上から1枚目は,(3)のページに掲載されている,プラス・ペンリンの最近の写真である。
 2枚目は,同サイトから入手できる地図情報である。赤く○で囲んであるところに,プラス・ペンリン山荘がある。
 3枚目は,プラスペンリン山荘の航空写真(Google Satellite)である。小さいのでよくわからないが,周囲の環境はだいたいわかると思われる。
の画像


2004/9/25
「『ラッセル自叙伝』邦訳メモ」

 『ラッセル自叙伝』のなかの一節に,次のような記述がある。
 私は,母の日記の一節を読んだが,そこには,シドニー・ウェッブ夫人(松下注:結婚前なので,正確には,ベアトリス・ポッター)やレディ・コーテネイが入会しているポッター婦人会のことを社交界の気まぐれ者たち(social butterfly)というふうに書いてあった。後年私がシドニイ・ウェッブ夫人をよく知るに及んで,そのウェッブ夫人が母にはいかにもうわついたひとのように思われたことを思い出しては,母のまじめさにいまさらのごとく少なからぬ尊敬の念をいだいたものである。
 ラッセルが読んだ母の日記の一節が,母が亡くなる直前の1874年後半に書かれたものだとしても,1858年生まれのベアトリスは当時16歳・未婚である。それゆえ,16歳のベアトリスがポッター婦人会の会員であり,母にうわついた人に見えたというのはどうも解せないと思いつつ,「要調査」という注をつけて,とりあえずラッセルのホームページに対訳をアップロードしておいた。
 
 疑問点を解決すべく,M. コール著『ウェブ夫人の生涯』(誠文堂新光社刊)を昨日図書館で借用して読んだところ,ラッセルの記述は,間違い(記憶違い)ではないらしいことがわかった。同書p.25最後の行以降,以下引用する。
「・・・。そして,1876年に彼女が社交界に出てからは,ロンドンの社交シーズンに参加することによって進められたのである。というのは,1870年代の頃には,ベアトリス・ポッターの階級の娘たちにとって,ロンドンの社交シーズンやそれに付随した田舎の別荘の訪問などは,実に男の兄弟たちの大学教育にも匹敵するものであった。両親が娘達の舞踏会や宮廷での拝謁のためにお金をかけるのは,ちょうど息子の授業料や小遣銭に費やすのと同じようなもので,上流階級社会の生活に合うように訓育し,適当な生活費を得ることができるだけの備え-- 息子の場合には専門職を,娘の場合には夫-- をつけてやるためであった。
 本格的に社交界にデビューしたのは,1876年(ベアトリス18歳)だとしても,1874年後半には,ポッター婦人会に顔を出し始めたということは十分ありうることだろう。やはり先入観や思いこみは禁物である。今後も注意して,『ラッセル自叙伝』の邦訳を連載していきたい。


2004/9/17
講義ビデオの公開(『ラッセル自伝的回想』(みすず書房))

 早稲田や慶應など,教育・研究等において,ITを先進的に活用している大学では,講義ビデオの一部を無料で,大学のホームページ上で公開している。
 たとえば,慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスでは,下記のURL上で,2002~2004年度までの講義の一部(34科目)をストリーミングビデオで配信している。
 https://gc.sfc.keio.ac.jp/
 慶應大学では,1時間半のビデオを丸々無料でサービスしており,大変意欲的な試みである。興味のあるビデオをご覧いただきたいが,ここではラッセル関係の講義が1つあったのでご紹介しておきたい。
 ★福田和也教授の学部生対象の講義「現代思想3:『ラッセル自伝的回想』」
 https://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2003_14449/slides/03/index_1.html

 福田教授は,哲学者でも,思想研究家でもなく,文芸批評の研究者である。しかしここでとりあげているのは,ラッセルの自伝的エッセイであり,特に専門的な知識は必要ないので,みなさんにお薦めするしだいである。


2004/9/14
「『ラッセル自叙伝』(初心者用新シリーズ)

 ラッセルのホームページに,初心者用の新シリーズのコンテンツとして,『ラッセル自叙伝』の邦訳(対訳/できるだけ全訳)を連載していくことにした。
 それほど作業量がなく,長続きするよいコンテンツとしては,『ラッセル幸福論』も魅力的なものであるが,こちらの方は岩波文庫のなかにあり,時々増刷されていて入手しやすいため,連載してもあまり有り難みがないだろう。
 それに対し,『ラッセル自叙伝』はかなり前に理想社から日高一輝訳がだされていたが,現在では古書店でもほとんど見かけない。また,日高氏の邦訳は,誤訳が多い。それゆえ,対訳の形でホームページに連載する意義はあると思われる。
 無理をしないよう,ゆっくり,長い年月をかけて連載していきたい。


2004/9/9
「推奨コンテンツ」

 ラッセルのホームページには,非常に多くの情報(現在HTML約2,400,画像約2,350)がアップロードされている。閲覧者のなかには,どれから読めばよいかとまどう(とまどっている)人も少なくないと思われる。そのために「初心者用ページ」を別途設けたわけであるが,初心者でない人も,ラッセルのホームページをあまり利用したことがない場合には,自分にあったコンテンツを探すのは大変なことであろう。
 そこで今後,ラッセル関係文献(第三者がラッセルについて書いたもの)については,ラッセル「理解」のために役立つと私が考えるものに,「推奨」アイコンを付与することにした。すでに掲載済のコンテンツについても,少しずつ付与作業を行っていきたい。
 なお,この「推奨」アイコンは現時点で,その文献がラッセル「理解」に役立つと私が判断しているものであり,私の考えが変わった場合,推奨アイコンをとったり,あらたに付け加えたりするつもりである。
の画像
2004/9/8
「ラッセルの肉声(その3)」

 2つ前の書き込みで,スタンフォード大学の次のページ(URL)に,ラッセルの肉声(ラッセルのノーベル賞受賞演説からとったもの)が2つアップロードされていると紹介した。
 https://plato.stanford.edu/entries/russell/russell-soundclips.html
 どちらも,短いものであるので,テキストを以下掲載しておく。実際は,(2)の文章の後ろに,'However, let us, for the present, forget the Koreans, and consider the human race' という一文が続き,(1)の文章に繋がっている。

(1)Bertrand Russell on Desire (Real Audio format)
 All human activity is prompted by desire. There is a wholly fallacious theory advanced by some earnest moralists to the effect that it is possible to resist desire in the interests of duty and moral principle. I say this is fallacious, not because no man ever acts from a sense of duty, but because duty has no hold on him unless he desires to be dutiful. If you wish to know what men will do, you must know not only, or principally, their material circumstances, but rather the whole system of their desires with their relative strengths.
 
(2)Bertrand Russell on Political Theory (Real Audio format)
  If politics is to become scientific, and if the event is not to be constantly surprising, it is imperative that our political thinking should penetrate more deeply into the springs of human action. What is the influence of hunger upon slogans? How does their effectiveness fluctuate with the number of calories in your diet? If one man offers you democracy and another offers you a bag of grain, at what stage of starvation will you prefer the grain to the vote? Such questions are far too little considered.


2004/9/6
「ラッセルの肉声(その2)
の画像
 英潮社が発売したラッセルの肉声テープは,(早稲田に寄贈してしまったので)手元にはもうないと思っていたが,1つだけ残っていた。右の写真がそれであるが,多分これは,日高一輝氏がラッセルと行動をともにしていた時に,ラッセルの了解を得て,当時の日本の若者のために,出版社と交渉して,発売してもらったものだろうと思われる。
 ちなみに,日高一輝氏は,早稲田の牧野力教授(故人)と一緒に,大学の語学テキストを多数だされている。それについては,次のページに掲載してあるので,興味のある方は,ごらんになっていただきたい。
 https://russell-j.sakura.ne.jp/SCHL-TXT.HTM


2004/9/6
「ラッセルの肉声」

の画像  ラッセルが核兵器撤廃運動に没頭していた頃,ラッセルの演説などをテープ(オープンリールやカセット)に収録したものが,主として語学学習用として,英潮社などから発売されている。それは早稲田のラッセル関係資料コーナー(通称「ラッセル文庫」)に寄贈したので手元にないが,写真は,輸入ものの1つである。私が聞いたことのあるものは,いずれもラッセル晩年のものばかりであり,声帯を壊した後のものである。したがって若い頃,ラッセルはどのような声であったか,知ることができない。
 以前 Google で検索して,英国の British Library のマルチメディアコレクションのなかに,多数のラッセル関係の音声資料が含まれていることがわかった。そのなかには若い頃の肉声も収録されているかもしれないが,いまだ視聴する機会がない。
 ラッセルの肉声を聞いてみたい方も少なくないだろうから,インターネット上で視聴できるものを1つだけ紹介しておこう。スタンフォード大学のホームページにアップロードされているもので,次のURLにおかれている。
 https://plato.stanford.edu/entries/russell/russell-soundclips.html 
 これは,ラッセルがノーベル文学賞を受賞した時(1950年=78歳)の受賞演説の一部であり,1分ほどの短いものであるが,貴重なものである。受賞演説の文字テキスト(全文)もノーベル財団のホームページにアクセスすれば,入手可能である。


2004/9/4
「ホームページの新機軸」

 今度ラッセルのホームページに2つの新機軸を追加した。読書会会員等,利用者を限定したコンテンツi-mode対応コンテンツの2つである。
 読書会用コンテンツを閲覧するためには,パスワードを入力しないといけない。公開すると著作権上問題がありそうな資料を読書会会員等に限定配布することができ,便利である。
 i-mode対応コンテンツは,下記のURL上に置いている。ラッセルの原著一覧や邦訳書など,コンテンツは限定されるが,古本屋(古書店)まわりする時など,活用していただきたい。(ただし,私はまだ,i-mode を契約していないので,画像まで正しく表示されるかどうかは未確認である。)
 index1.htm


の画像 2004/9/1
「George Allen and Unwin 社のラッセル著作カタログ」

 ロンドンの大英博物館の近くの Museum Street にあった George Allen & Unwin 社(写真)は,バートランド・ラッセルの著作の大部分を出版していたことでかつて有名であったが,1990年に Harper Collins に買収された後,何度か転売され,現在では,Taylor & Francis Group の子会社である Routledge 出版として受け継がれている。
(参照:Records of George Allen & Unwin Ltd.

 多分ラッセルが1970年に亡くなってすぐに George Allen & Unwin 社によって印刷されたものだと思われるが,右の写真は,全20ページにもおよぶラッセル関係著作の出版目録である。当時としてはすぐに捨てられてしまう,単なる出版目録であったが,30年も経過すると,なかなか入手できない,それなりの価値があるものとなっている。
 ついでに,次の写真は,10年ほど前の Routledgeのラッセル関係出版物の販売目録の表紙である。
の画像


2004/8/23
「お金をとるか,時間をとるか(青春18切符のよしあし)

 高校時代の親友(開業医)にさそわれ,21(土),22(日),「青春18切符」を使い,九州・有田まで行ってきた。

の画像  21日21時35分京都駅発「ムーンライト九州」に乗り,車中で眠れない一夜をすごし,翌日(22日)朝6時少し前に,門司駅に到着した。すぐにJR鹿児島本線に乗り換え,数分乗って門司港到着。門司港では,1時間半ほどの短時間ではあったが,レトロ地区を散策し,大正ロマンの気分を満喫した。あいにく天気がよくなく,霧がでていて展望は今一つであったが・・・。
 朝早かったため,アインシュタインが大正11年に来日した時に泊まった「旧門司三井倶楽部」(右写真)の中を残念ながら見ることはできず,門司港駅で入手したガイドマップの写真だけで我慢しなくてはならなかった。因みに,B.ラッセルも大正10年に来日した時に,門司港に寄港した後,関門海峡を通過している。


 門司港からJR鹿児島本線快速博多行きに乗り,16駅も停まってから博多についた。博多からは同じくJR鹿児島本線○×行き(←忘れてしまった)にのりかえ鳥栖まで行き,そこでJR長崎本線に乗り換え肥前山口まで行った。電車のつなぎが悪く,肥前山口では1時間20分ほど電車を待つことになり,駅近くのパソコンショップや書店をブラブラした。その後,JR佐世保線に乗って,ようやくのこと,13時頃だったか,陶器の町有田に到着。

の画像  有田では駅前で自転車を借り,九州陶磁器博物館や柿右衛門窯(右写真:第14代柿右衛門の作品)など3,4ケ所を見学した。有田は起伏のはげしい盆地であり,自転車で坂を上り下りするのはかなりきつかった。

 このようなしだいで,「鈍行のんびり旅」どころではなく,「難行苦行の旅(耐久レース篇)」となってしまった。
 帰りは来た時と同じルートを逆にたどったが,22日中にもどらないといけないため,博多からは新幹線を使用した(ルール違反?)
 「青春18切符」を使うと非常に安く旅行できることを実感したしだいであるが,学生ならともかく,社会人は自由時間が少ないため,かえってきつい旅となることを実証したようなものであった。


2004/8/20
「最近の若い人は読書会など・・・?」(ラッセルを読む会)

 「ラッセルを読む会」を始めたのが1980年。これまでの間にのべにすれば100人近い人が読書会に参加してくれただろうか。初期の頃は,学生もかなりいたし,女性もけっこう参加してくれた。しかし時間の経過とともに,若い人がすくなくなってきて,現在では学生も女性もゼロという状態になっている。
 「ラッセルを読む会」は年齢,性別,職業に関係なく,誰でも参加できることをうたっており,読書会は2,3ケ月に1回開催というように余裕をもたせてある。若い学生や女性から少しくらい参加の問い合わせがあってもよさそうなものだが,最近は皆無に近い。
 ラッセル関係の新刊書は,最近は日本ではほとんど出されていない。それが主要な原因の1つだろうか。それとも,最近の若い人は,読書会なんて面倒くさい・古臭いと思っているのだろうか。
 若い人たちの新鮮な発想を期待したいのであるが・・・。


2004/8/20
「ブログとホームページとの切り分け」

 BLOG は気楽を旨とし,'呟き風'に気ままに書いていこう,と言いながら,「ラッセル批判(1)」では,長々と,新刊本の紹介を書いてしまった。
 これではいけない。
 長々とした文章は,ホームページの方に書くこととし,ブログの方は,1ページ以内の短文が望ましい。
 ブログ(Web Log)は,日本中どこでもネットワークが使えれば,他人のパソコンを借りてでも書き込みができる。ホームページだって,自分のノートブックPCを携帯すればどこででも書き込みができるが,普段デスクトップPCを使っている場合は,データの整合性をとるようにしなければならず,わずらわしい。
 とにかくブログはブログの利点を活かすようにしないといけない。少しずつ,ブログのスタイルを定着させていきたいと思う。


2004/8/13
の画像 「ラッセル批判(1)」

 ラッセルのホームページは,ラッセル思想の理解・普及が主な目的の1つであるため,ラッセル批判的な情報はそれほど掲載していません。
 ラッセル自身は,「理解されずに,あるいは誤解されてほめられるより,理解して批判されるほうがよい」と何度も公言しています。したがってラッセルのこのオープンな精神を活かす(まねる)ならば,ラッセルを批判した論文や記事をすすんで掲載すべきでしょう。
 しかし,少なくとも日本語の文献については,ラッセルを批判したものは,誤解にもとづくものが多かったり,また批判があたっていても他人から指摘される前にラッセル自らが自分の間違いを認めている(公に間違いを認めている)ものが多く,その場合は,ラッセル自身の自己批判を聞いた方が,要領を得ていて,理解しやすい
 そのようなしだいで,これまでラッセル批判的なものは余りのせてきませんでした。

 ブログでは,そのようなとるに足らないラッセル批判でも,(ブログは詳細かつ厳密な議論をする必要がなく,気楽にとりあげることができるため),これからは,気のついたときに,紹介あるいは,独り言(呟き)風に記していこうかと思っています。

 ということで最初は,『よみがえれ,哲学』(竹田青嗣・西研著,NHKブックス)にのっていたラッセル批判の紹介及び簡単な感想を。
 ページを追って,いくつか順番に引用してみます。
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(p.102)「誤読されてきた近代哲学」
(竹田)1988年に1年間イギリスにいたのですが,書店で哲学の本を探すと必ず山積みしてあるのが,バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』(A History of Western Philosophy, 1945)という本です。おそらく英語圏ではどこでもそういう感じだと思います。
 ラッセルという人はイギリスの哲学者で論理学の領域でとても有名な人ですが,私はたまたまその少し前に学生達とこの本を読んでいたんですね。そしてこの人は,西洋哲学の一番本質的な点をぜんぜん読めていない人だという感じをもっていた。つまり,近代哲学のもっとも中心的な方法と意義をぜんぜん理解していない人の書いた典型的な哲学史がこの『西洋哲学史』なんですね。・・・後略。

(p.120)「神の問題-ロック」
(竹田)・・・。観念論とは,観念こそ世界の存在根拠である。つまり観念が世界をつくっているとする主張である,というのがよくある俗説,たとえばラッセルはこんなふうに言っています。「『心』とは,観念論者がそれ以外に何も存在しない,と考えているものであり,『物質』とは唯物論者が同じ様に考えているところのものである,ということは誰もが知っている。『西洋哲学史』より)
 やれやれ,と言うしかないような理解の水準ですが,こういう理解が近代の実証主義の隆盛とともに一般的になってしまったんですね。
 以上はラッセルの『西洋哲学史』に対する批判です。『西洋哲学史』は激賞する人も,ケチョンケチョンに貶す人もともに多い著作ですが,けなす人はラッセルの割り切った書き方や冗談が気に入らない人が多いようです。p120の後者(「神の問題-ロック」)の引用部分は,ラッセルが少し冗談まじりに書いている部分ですが,竹田氏にはその冗談が通じなかったようです。
(p.207)「ラッセルの書きかえ」(pp.205~209)
(竹田)・・・。哲学の思考では,そのパラドクスの本質をまず考えようとする。そういう観点から言うと問題はシンプルなので,ここにあるのは言語の「多義性」と「一義性」という問題です。ある命題が真理であるには,それが一義的な仕方で確定されていないといけない。でも,どんな命題も多義的に読まれうるし,絶対的な一義性に還元することができない。つまり決定不可能なんですね。(松下注:このあたりは,厳密な命題と普通の文とを混同しているようである。)どうしてそういう現象が生じるのかということが,つまりこの現象の本質が解かれなければいけない。でもラッセルがここ(On Denoting, 1905)で行っているのは,どんな命題も何らかの仕方で一義性へと還元できるという論理的操作です。あるいはある命題を一義性へと還元することができれば,その命題の真偽を必ず判定できる,ということの証明です。論理学が正しいものであるためには,その証明をしなくてはならないので論理的操作を行ってみた,というだけのことです。
 ラッセルの操作の要点は,ある命題を集合論のように帰属関係に分解,還元することですね。すると矛盾がはっきりして真偽が明瞭になる,ということにすぎません。この還元の操作がまず恣意的ですが,問題はそんなこと以前に,この考えでは客観的事実に相関しうる命題だけしか扱えないし,そういう命題は,ウィトゲンシュタインが言ったように,言語のごくごく一部分でしかない。・・・中略。・・・。
 ラッセルという人は,現代の論理学では,一応最大のビッグネームの一人ですが,哲学的にはほとんど取るべきところがない。先に『西洋哲学史』という最悪の哲学史の話をしましたが,客観主義者なので,観念論というものを頭から誤謬だと信じ込んでいる。近代哲学を理解しないのは仕方ないとして,論理学の分野ではしっかりしたことを書いているのかと思うとこれがそうでもない一見すごく重要なことが書かれているのかと思わせるような書き方をしているんですが,問題設定もその問題の解き方も,きわめてまずいというほかない。でも,まああえて挑発的に言うと,これは分析哲学者全般に見られる大きな傾向です。「言語の謎」がある,その本質は何か,と考えるのではなく,きわめて難解な言葉で形式論理を使って,えんえんとパズル解きをしている。・・・。
 あと何カ所か,ラッセルが引用されていますが,これでやめておきます。下線を引いた「きめつけ」の言葉を連発するようでは,相手の言っていることを理解することは困難だろうと思われます。
 
 竹田氏のラッセル嫌いは筋金入りのようですが,竹田氏はラッセルの著作はそれほど読んでいない(少なくとも「精読」はされていない)ようにしか思われませんが,錯覚でしょうか?
 竹田氏は,ヒュームにおける「懐疑」を評価していますが,本書を通読するとラッセルにはそのような「深さ」がなく,観念論をよく理解していないと言っているように読めます。もしかすると哲学を学ぶ非常に多くのひとが読んでいる,ラッセルの The Problems of Philosophy, 1912 も十分読んでいないかもしれない(読んでいたとしても,非常に強い先入観のもとに読んでいる)と思われるような記述内容となっています。

 ブログですので,気軽を旨とし,今回はこれでやめておきます。(M)


2004/8/10
「BLOG開設について」

 英国の哲学者バートランド・ラッセルのホームページを開設(1996年8月8日)してから,丸8年が経過した。8月10日現在,アクセスカウンターは,約94,500となっており,今年の10月頃には,アクセスカウンターは10万を越えそうである。
 これまでは,一時期,毎日更新(新しい情報を毎日アップロード)するなど,特に「量的」充実につとめてきたが,最近になってほぼ1日おき更新というようにペースダウンするかわりに「質的」充実をはかろう,と方針を少し変えることにした。しかし,自由になる時間が年齢とともに少なくなり,なかなか思うようにいかないのが現実である。

 ラッセルのホームページの閲覧者からみれば,同じ様な記事が多くては,最初は新鮮に思えてもしだいにあきてくる(マンネリ化してくる)ことであろう。掲載している方も同様である。それゆえ,マンネリ化をふせぐためのちょっとした工夫が時々必要となる。
 これまでにも「(ラッセル)初心者用ページ」を設けたり,「アドホック・エッセイ」のコーナーを設けたりしてきたが,よいと思っても手間がかかるものでは'長続き'しない。何かないかと思ってたところ,最近におけるBLOG(Web Log)の流行である。
 ラッセルのホームページ用の掲示板は,幸か不幸か余り書き込みがない。かといって,多数の人が書き込むようになり,それにまともに対応していたら,大変なことになってしまう。その点,BLOG は多数の読者に気楽に参加していただけ(双方向のコミュニケーションをもてる),簡単なコメントだけですますことができる。(もちろん詳しい意見を書いてもらってもよいが・・・。)また,電子掲示板のように,書き込みに対し,必ずしも応答する必要はなく,気楽に運用できそうである?(詳しい情報は,トラックバック機能を使って,詳細な議論をしているページに(から)リンクすればよいだろう。)

 ということで,本日,ブログ「(ある)ラッセリアンの呟き」を開設することにしました。よろしくお願いいたします。