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吉田夏彦「ラッセルの数理哲学と論理学」
『理想』1970年9月号、pp.8-15.

* 吉田夏彦 氏は当時、東京工業大学教授


 まえがき

 ラッセルは大変長生きをして、その間に、沢山の仕事をし、多くの意見を吐いた。特に、あたえられた題目は、少くとも壮年時代までの彼の専門領域であるので、この方面の彼の仕事を、与えられた紙数と日時の中で概観するのは、不可能なことである。そういう概観は、論理学関係の専門誌でそのうちおこなわれるであろう。ここでは、ラッセルや論理学についての予備知識を仮定せずに、題目に関係のあることを少し論じてみることで責をはたしたい。

 1 抽象的なものの存在

 現代において、物質的なものの存在、たとえば地球の存在を疑えば、狂人あつかいされることは、まず、たしかなことである。しかし、精神的なもの、たとえば、心や魂の存在は、これを否定したり、疑ったりする人は、かなりいる。唯物論者や、不可知論者である。とはいっても、そういうものの存在をみとめる人、つまり、二元論者の方が、どちらかといえば、多数派であろう。また、日常生活でつかわれていることばの用法は、一元論よりは、二元論に都合がいいようにできている。
 ところが、数や集合といった抽象的なものの存在となると、否定する人の方が大部分ではなかろうか。もちろん、日常言語では、こういったものをさすことばがつかわれていることは、現に、この文が示しているとおりである。けれども「そういったことばが、名詞(つまり、ものの名前)としての働きをしているのは、みかけ上のことにすぎず、実際には、抽象的なものは、頭の中にしか存在しない−つまり、ほんとうは、存在しないものだ」という意見の人が多いように思われる。しかし、それなら、なぜ、数学では「X2=4 の実根は存在する」というようなことばづかいをするのであろうか。まぎらわしい、みかけ上のことばをつかわず、つまり、「存在する」ということばをつかわずに、今のべたことをいう方法はないのであろうか。もしないとしたら、それにもかかわらず、存在がみかけ上のことにすぎないというのは、どういう意味のことなのだろうか。
 ふつうの人は、こんな反問には、あまり気にとめない。こういう反問にうまく答えられようと、答えられまいとにかかわらず、「とにかく、抽象的なものが存在するなどというのは馬鹿げている」という直感をひきあいに出すだけで、話がすむように、そういう人達は思っているのである。しかし、それでは、存在とは、感じによって決定されるべきものなのだろうか。ちょうど、ビールの味のうまさのようなものだろうか。だとすれば、それは、時代の流行によってその内容が変るものなのだろうか。
 哲学者の少くとも一部分は、この問題は、そう簡単に片づくものではないと考える。ラッセルは、時には「感じ」でものをいいはしたが、やはり、真面目にこの問題にとりくんだ哲学者の一人であったといえよう。

 2 唯名論と実在論

 抽象的なものの存在に関する問題は、哲学とともに古い。何等かの意味での個物にのみ存在を許し、その他のものの存在を否定する立場が「唯名論」といわれ、抽象的なものの存在を肯定する立場が「実在論」といわれていることは、哲学史の教科書などで、先刻承知のことであろう。個物としては、ふつう、じかにその存在がたしかめられるもの、つまり、物体、知覚内容、表象、(内省的にとらえられた)人格、などがとられるので、唯名論は、大変確実な基盤の上にたっているように思われる。これに反し、実在論は、とらえどころの少いものの存在をみとめ、ともすれば、常識外の世界に人をつれ出そうとするものなので、現世的な一般人には、とっつきにくいのである。
 しかし、前節でのべたように、数学というものを一ぺんみとめてしまえば、抽象的なものの存在を(ことばの上だけでも)肯定するのが数学の世界の日常茶飯事であるため、実在論的な傾向にも、論点があるような気になってくるのがふつうのようである。少くとも、数学者の中には、ふだんは、無意識のうちに、実在論を肯定している人が、かなりいるようである。
 もっとも、数学の世界の中に、唯名論と実在論のあらそいと似た形式の対立が持込まれることもある。それは、有限集合や自然数だけを由緒正しい数学的存在とみとめ、無限集合、集合一般、実数、超限数、などの存在を否定しようとする直観主義数学の立場と、その反対の立場(大部分の数学者は、この立場であろう)との対立である。これを数学的唯名論と数学的実在論の対立というが、この場合には、数学的唯名論でさえ、抽象的なものの一部(たとえば自然数)については、その存在をみとめていることに注意しなくてはならない。つまり、感覚内容だけを存在する個物とみとめる立場からは、これも一つの実在論になってしまう。(直観による構成と、感覚内容とを同じものとみれば、話が少し変ってくるが、この点に立入ることは、今は、省略しておこう。)

 3 プラトン主義

 ラッセルには、早くから、実在論的な傾向があったことは、よく知られている。これは、彼にもともと強い宗教的、形而上学的要求があったことと無縁ではないであろうし、また、若い時から数学に親しんだこととも関係があることであろう。
 しかし、1912年に出た「哲学の諸問題」(The Problems of Philosophy)を一つの頂点として、彼の実在論は、次第に、唯名論に近いものに変って行く。そこで、この頂点に達した時の実在論を、特にラッセルのプラトン主義と名づけておこう。(これは今あげた本の中で、彼がプラトンにふれていることからいっても、許される名前であろう。)
 このプラトン主義の内容を、1910年代のラッセルの主張に即してまとめるのには、少し紙数がいる。しかし、ラッセルのおかげで進歩した現代論理学の成果を利用し、1970年代の我々の問題意識にふさわしく、これを一言であらわせば、「集合の存在をみとめる立場」ということになる。なぜなら、たとえばラッセルが、プラトン風にその存在を力説した普遍者の一つである「関係」も、現代では、集合の一種と考えるのが、ふつうだからである。要するに、プラトン主義者としてのラッセルがその存在を主張したものは、みな、集合であったと考えてよい。
 しかし、ラッセル自身は、次第に、集合の存在に疑いをいだくようになり、プリンキピア・マテマティカ(特に二版)では、集合概念を除去した論理学をたて、そこから全数学をみちびこうとした。この試みの成功、不成功については、「命題関数」という名の、集合よりも漠然とした概念をみとめるという前提のもとでのみ、成功したといえる、とする、クワイン達の批評があたっていよう。つまり、きびしくいえば、この試みは成功しなかったといってよい。

 4 実験科学としての数学

 しかし、成功、不成功にかかわらず、この試みが、注目を受けるだけの価値があるのは、これが、数学における一つの実験だったからである。つまり、一つの唯名論の正しさを、ア・プリオリな哲学上の議論によって決しようとはしないで、実際に唯名論の立場による数学の再編成が可能であることを、示そうとしたからである。このような、数学における根本前提(原理、概念、公理、推論規則)の有効性を、既存の公認された事実との整合性で検定しようとするやり方は、経験科学における仮説の検証法とよく似ている。ラッセルが好んでこの検定法をとった原因の一つは、やはり、彼の実在論的傾向にもとめることができよう。
 彼が、数学を動物学にたとえたのは、有名な話である。つまり、両者は、ともに、世界についての情報を提供してくれる学問なのだから、似た方法をつかっても、不思議はないともいえるであろう。しかし、後になって、彼は、このたとえを徹回し、数学と経験科学が質的にちがうとする論理実証主義的な考え方にかたむくこともある。それでも、数学における実験的なアプローチの正当性についは、おそらく、ラッセルは考えを変えなかったと思われる。つまり、実在論とはきりはなしても、このアプローチは有効なものと考えていたろう。
 これは、我々の知識が、論理的な始点にも終点にも位せず、中間のところから始まるとする彼一流の考えからくることだといえる。つまり、中間点から論証により結果をひき出す演繹とならんで、中間点を論理的に内含する前提をいろいろ模索することの重要性をラッセルは強調した。だからこそ、実験的方法が必要になる。
 ここには、数学が、自明の真理から結果を演繹するものだとする「古典的な立場」、あるいは、一旦、第一原理を獲得すれば、あとは、演繹だけでことがすむとする「デカルト的な立場」とは、ちがった考え方がある。この考え方の背後をさらにさぐるなら、いろいろな原因があげられようが、その一つとして、数学におけるパラドクスの発見をあげることができよう。19世紀末から20世紀の初頭にかけて続々発見された集合論上のパラドクスは、最も厳密な学として自他ともに許してきた数学の確実性に疑いをなげかけ、その結果、当時の数学界、哲学界に、きわめて大きなショックを与えたのである。

 5 パラドクスとラッセル

 この時、ラッセルは、パラドクスが(時に誤解されたように)数学の一分科の尖端に生じた断片的な事実ではなく、我々が昔からみとめてきた論理的な推論法一般にかかわる、きわめて一般的な現象であることをみぬき、そのことを、いわゆる「ラッセルのパラドクス」の提示により、わかりやすく示した。つまり、一つの条件を与えると、この条件をみたすものが一つもないか、少くとも一つあるか、のどちらかであることは当然である。そこで後者の場合、この条件をみたすもの全体をまとめ、これに一つの名を与えると、ここに一つの集合ができる。こういう集合が、いやしくもそれをみたすものが少くとも一つはあるようなすべての条件に対して、必ず存在するというのが、昔から実在論者が暗々裡に仮定してきたことである。少くとも、数学における実在論は、この仮定の上に成立ってきたといってよい。ところが、この仮定こそが、パラドクスの原因であることを、ラッセルは端的に示した。では、このパラドクスを回避し、しかも、数学者のみとめる存在をすくうのには、どうしたらよいのか。この問いに対してラッセルが与えた答えが、オーダーとタイプの理論である。このうち、オーダーの理論は、ポアンカレもみとめた「悪循環をふせぐ原則」、つまり、一つの集合をつかって定義されるものをその集合の元とすることを禁ずる規則にもとづいてつくられた理論である。
 この禁則は、直観的には、いかにももっともなものにみえ、これを破ったことこそ、パラドクスの出現の原因であるかとも思われる。しかし、この禁則を厳密にまもれば、実数論の展開は不可能になる。また、禁則をまもっていてもパラドクスがでてくる場合も考えられるし、逆に、禁則をおかしてもパラドクスはまず出てこない場合もある(今あげた実数論の場合など)。その上、この禁則には、解釈の多義性がある。こういった事情のため、この禁則は、あまり重んじられなくなった。
 オーダーの理論をはずしたタイプの理論、いわゆる簡単なタイプの理論には、このようなこみいったわずらわしさがないし、この理論が(無限公理や選択公理をはずして考えた場合)、パラドクスに対して安全であろうことは、確実といってよい。しかし、その安全なかたちでは、古典数学の再生には不十分なのである。集合論研究の大勢は、タイプの理論よりは、ツェルメロの創始した「公理的集合論」の方におもむいた。しかし、ツェルメロの理論と似たもののことを、ラッセルも考えていた。いわゆる集合の大きさを制限する理論である。また、クワインのN.Fの前駆ともいうべき、ジグザグ理論のことも考えている。いろいろとパラドクスを回避する道を考えた上で、彼自身が実際の展開をこころみたのが、オーダーとタイプの理論だったわけである。
 こういう点にも、彼の実験的なやり方が、よく出ている。タイプの理論には、晩年までかなり強い自信を持っていたようだが、それが唯一の可能な、あるいは必然的な方向だと断定することは、ほとんどなかったようである。むしろ、いろいろな可能性を実地にためしてみることに興味を持ったからこそ、今日の集合論のさまざまなアプローチの原型を、すでに今世紀の始めにつかんでおくという、洞察力の深さを示したのであろう。

 6 論理主義

 このように、独断主義とは程遠い、実験的なアプローチを重ん じたラッセルが、それにもかかわらず、一種のドグマに立っていた哲学者のように考えられることがある。それは、「数学と論理学とは一つのものだ」とする、あの有名な論理主義のテーゼに関連してのことである。
 19世紀後半、カントルの手により、数学者の意識の表面に顔をひっばり出された集合概念は、実は、学問が始まって以来、人類が暗々裡につかってきたものだといってよい。とにかく、これを意識的につかうと、数学上の概念がつぎつぎに定義できるということが、デデキントやフレーゲ、ペアノなどにより示された。この定義法と論理記号をつかった、推論の形式の定式化とを組合せることにより、全数学を、集合論の枠におさめてしまうことができるということは、今日でこそ常識に近いことになってしまったが、当時は新鮮な驚きをさそう事実だったろう。集合概念は、一旦とり出してみると、論理的な概念の中でも最も根本的なものであることがわかるから、このことを、数学の論理学への還元と呼んでも、おかしくはないわけである。
 しかし、問題は、集合論の枠の中におさめてしまったことだけで、すべてが解決はしないという点にある。特に、ラッセル自身がその存在に人々の注目をひいたパラドクスは、集合概念自身が多くの問題をはらんでいることを示している。だから、集合論を論理学とよぶのは自由であるにせよ、どのような集合論をとるかを明確に示し、かつ、この集合論が少くともパラドクスに対しては安全であることを示さなくては、あのテーゼに現代的な意味を与えることはできないことになる。
 ところが、さきにいったように、ラッセル自身が、素朴集合論の修正版として提出した、オーダーとタイプの理論は、いろいろな問題点を持つもので、集合論の決定版とみるには、難点がある。特に、数学の全体をもりこむようにすれば、パラドクスに対して絶対安全という保証がない。
 その上、ラッセルは、ヒルベルトの形式主義の立場に対し、終始、きわめて批判的であった。ところが、少くとも1940年代ぐらいまでは、大部分の数学者が、もし数学の基礎づけが可能であるとすれば、それは形式主義の方法によってであると考えていたので、ラッセルは、基礎づけということを誤解しているのではないかという印象が流布していたのである。(事実、公平に見ても、ラッセル側に誤解のあったことは否定できないことだったようである。)
 また、集合概念そのものを除去しようとすることを通じ、ラッセルのいう論理学の内容は、さらに不明確なものになって行く。ラッセル自身、論理学とよばれるべきものの内容が何であるかはっきりしなくなった、という趣旨のことを何度かのべているのである。
 では、ラッセルの論理主義のテーゼは、内容のないものだったのだろうか。パラドクスに関する点では、たしかに形式主義者の批評はあたっていたといわなくてはならないだろう。しかし、集合論的な枠組みが数学に対して持つ意義を強調した点は、集合論の内容の多義性にかかわらず、今日でも意味を持つと考えられる。
 つまり、たしかに集合論の内容は、今日でも一義的に確定してはいないが、それにもかかわらず、集合概念と数学との関連を論ずることに意味があるのは、自然数の概念と数学との関連を論ずることに意味があるのと同じことである。直観主義者や形式主義者は、自然数の概念こそ、内容が、一義的に確定したものであるかのように考え、これにより全数学を基礎づけようと考えた。しかし、実はこの概念に多義性のあることは、(ゲーデルの)不完全性定理が示している。もっとも、一階の自然数論から、階をあげた自然数論にうつれば、公理の定形性が示せることを以て、自然数の概念の確定性を示す事実と考える人がいるかも知れないが、この定形性の概念は集合概念を予想するので、こうして示された定形性は集合概念に関連する相対性をまぬがれえない。
 そうして、結局、数学の自然数論への還元は不可能であるのに対し、集合論の方は、公理の追加というかたちで拡張をつづけて行くことにより、常に全数学をのみこむことができそうにみえる。少くとも、最近はやりのブルバキ流の教科書は、集合概念と論理記号だけをもちいて構造の概念を定義し、この構造の研究として、現存の数学を統一的に性格づけることが可能であることを示している。この性格づけが多くの人に数学の全体に対し、便利な展望法を与えていることは事実といってよい。

 7 形式主義

 ラッセルは、かつて、「数学とは、その主題についても、そこで我々が真理をえているかどうかについても、我々には知る手段がないような学問である」とのべたことがある。数学の公理論的な性格についての認識が普及している現在では、このいい方を理解することはむずかしくないかも知れないが、当時(1901年)は、これもショッキングな発言の一つであったろう。
 ラッセルは、この考え方を後にはすてたようである。それは、公理論的な考え方に終始する形式主義に反対し、「たとえば、ペアノの公理だけでは、なぜ自然数でものを教えられるのかわからない」として、公理に意味づけを与えようとしたことをみてもわかる。たとえば1919年の『数理哲学序説』(Introduction to Mathematical Philosophy)で、彼はこの意味づけを試みている。
 しかし、この意味づけは、集合概念をつかうものであるから、集合論自身が公理化されることを考えると、絶対的なものとはいえない。むしろ、公理主義的な考え方を徹底して行けば、数学のみならず、すべての学問の絶対的な性格があやしくなってしまうことに気がつくべきであろう。
 ラッセルは、ヒルベルトに批判的であったことからもわかるように、この線を追及して行くことにより生ずる認識論的問題のことを、そうしばしばは問題にしていない。しかし、彼の影響を強くうけたカルナプやクワインは、どちらかというと、この形式主義的な側面から、ラッセル哲学の教訓をひきだしているように思われる。
 実際、ラッセルの、形式主義に対する反対の一つの根拠となっていると思われる、実在論的な傾向は、反転すると形式主義の一つの根拠となりうるのである。なぜなら、実在についての認識が不可能であるとする懐疑主義(ラッセルはその論理的可能性をみとめながら、自分の立場としてはこれを否定するのが常だった)をとらないかぎり、我々は、実在認識が一つの公理論に組織されることをみとめなくてはならないからである。この公理論に形式主義的考察が適用されるのをふせぐ方法としては、一つの公理論の絶対性を、独断的に仮定するやり方しかない。論理主義が一つの独断主義と理解されることが多いのは、この間の事情にもよるのである。しかし、論理学における試行錯誤を精力的におこなったラッセルが、いつもこの独断におちいっていたということは、考えにくいことである。

 8 現在の状況とラッセル

 以上、標題と関連のあると思われることがらをいくつか捨ってみたが、これだけでも、ラッセルの関心が多方面にわたり、しかも彼がしばしば正しく、論理学のその後の発展によって生ずべき問題をさきどりしていたことがわかったかと思う。
 彼自身の解答が正しかったかどうかは、また別の問題である。というより、時代の変化につれて、彼のアプローチに対する評価もうつりかわるであろう。たとえば、1930年代から1940年代にかけて、彼の数理哲学に対する同情者は、数学者の中に少く、哲学者の中に多かったように思われるが、その後、形勢は、逆になったようにみえる。少くとも、1963年のコーエンの結果以来、数学者にとっては、集合の性格に関する哲学的間題の所在が、かなり明かになったといえる。つまり、一方からいえば、集合概念をもちいて全数学が記述できることはほぼ数学的常識であり、他方からいえば、しかし、ほかならぬ集合概念こそ、究明を要すべき点を多々ふくむものであることが、コーエンの結果によって明らかであるといってよいであろう。ところが、かつてラッセルの影響下に数学的存在に注目して、多くの哲学者はヴィトゲンシュタインの転向に盲従し、論理学の進歩を追跡することは怠るようになってしまい、たとえばラッセルに同情的なゲーデルの哲学的意見を正しく評価するだけの力もなくなってきているように思われる
 しかし、その点はどうあれ、ラッセルが提起したいくつかの論点を、今日の数学や、論理学の成果と関連させながら、考えてみることは、興味深いことであろう。たとえば、彼の、「悪循環を許さない禁則」についても、今日の整理されたかたちでの論理学のなかで、明確な定式化をこころみることができよう。
 そうして、何よりもまず、集合論のかたちに、数学的存在をめぐる問題、つまり、現代存在論の問題がしぼられることを、半世紀以上前から見ぬき、これに関する信念の変らなかった点に、彼の現代的意義をみとめるべきであろう。後期において終始彼がその完成に心をくだいた、「集合なしの論理学」にしても、今からみれば、一つの集合論のこころみであるとみることができるのである。
 少くとも当分の間、数理哲学や存在論は、彼が探検をこころみた知的領域の内部で発展して行くであろう。

 9 意味、内包性

 なお、ラッセルは、意味の問題についてもよく論じたし、これこそ、論理学にとって重要な問題であると感ずる人も多いであろうに、なぜこの小文でその点についてふれなかったかについて、一言、ことわっておきたい。
 理由は、ほかでもない。この問題については、現在はまだ、哲学者の議論がよく整理されていないと考えるからである。たとえば、意味をめぐって、内包性の概念が持出されることがあるけれども、この「内包性」ということばで何をいおうとしているのかはっきりしない発言が実に多いのである。この辺の整頓がゆきとどき、意味論についての公共の財産ともいうべきものがある程度できあがってから、ラッセルの業績をふりかえってみてもおそくはないと考える。
 なぜなら、この小文でのべたことにしても、集合論などの最近の成果をふまえてラッセルの発言を解釈することが可能になったからこそ、論理学者の常識になったので、それ以前には、ラッセルの集合についてのいい分は、なかなかつかみにくかったからである。ラッセルは俗説に反し、明噺な著者ではない。学問のその後の発展を註釈としてはじめて生かされる、偉大ながら難解な予言者であったし、これからもそうであろう