R. E. エグナー(編),柿村峻(訳)『宗教、性、政治 -ラッセル珠玉集』への編者・序文
* 出典:R. E. エグナー(編),柿村峻(訳)『宗教、性、政治 -ラッセル珠玉集』(社会思想研究会, 1960年4月刊 181pp. 19cm. /社会思想選書)* 原著:Bertrand Russell's Best; Silhouettes in Satire, selected and introduced by Robert E. Egner. London; Allen & Unwin, 1958. 113 p. 20 cm.
編者序
* 英文
一般の読者にはあらためてバートランド・ラッセルを紹介する心要はあるまい。彼の文筆活動は半世紀以上にわたっているし、彼の百以上になる著書や論文は、人間の知識探究のおよぶかぎりの広い思考の世界にゆきわたっている。
ラッセル卿の社会哲学を理解するための中心となる鍵はあるだろうか。哲学特有の用語になれていない一般読者が、読んで理解し洞察しようとする場合、端緒となる中心点があるだろうか。この書物の材料をとった多くの書物や論文をみれば、(ラッセルの)言うことがはっきりしている点、文体、内容の面で、現代の著作家にラッセル卿と比肩しうるもののないことが、十分あきらかになる。しかし、本書に抜粋してきた文章に独特の趣きを与えているのは、ラッセル卿の宗教、教育、倫理、政治、心理および結婚というようなさまざまな題目に近づく鋭い機智である。かようにひとりの哲学者がすばらしい知性とユーモアとを同時に示すことができるのは、めったにないことである。
ラッセル卿は、過去五十年間、はなはだ頑冥(頑迷)なひとたちの犠牲になってきたけれども、そのひとたちの非難攻撃のために彼が自分の自由な見解を撤回するというようなことにはけっしてならなかった。現在、ラッセル卿ほどひどく誤り伝えられている思想家はほとんどあるまい。無数の人々がそのために彼を反キリスト者、偶像破壊者または不道徳をもり立てる哲学者だと思っている。それは恐怖と偏見で描かれた肖像である。彼が倫理と政治の面で、もっと'慈愛'が必要だと一貫して主張している事実は、彼の多くの批評家から見おとされてきた。彼は、ひとびとに必要なのは、教義でなくて、むしろ「キリスト教の愛あるいはあわれみ」の態度であると主張する。ラッセル卿の批評家たちはこういう風な彼のステートメントをだまって見すごしている。
この書物の各頁が物語るように、ラッセル卿は、おもに、次のことを明かにすることに努力してきている。それは、さまざまな形をとる独断的権威が、一方では、科学的知識をまし(→科学的知識をます大きな障害であり)、他方では、人間の不幸をへらすことによって、もたらされる人間の進歩を妨げるひとつの大きな障害であったし、また今もなおそうであるということである。この書物に収めた抜粋は、機智にとんだものであるが、彼がそのユーモーアに託していおうとすることは、おそろしく真面目である。もし読者が機智以上のものを発見しないとすれば、不注意で上すべりで、眼の前の滑稽な要素だけをみて、関係や配置を見落しているのである。一ペニー貨幣も持ち方で、太陽も見えなくなる。
三人のバートランド・ラッセルがいるといえよう。第一に、実験、経験を重んずる探求者、第二に、社会批評家、第三に鋭い風刺家である。(松下注:本書では社会哲学者としてのラッセルを考えているので、論理学者としてのラッセルは余り視野にない。)ラッセル卿は、時には、この三つの自分を巧みに調和させているが、風刺家として思い切り振舞うことが、往々にしてある。
実験的な探究者としての彼の役割の一つは、彼が数理哲学に不滅の貢献をしたことであったが、その貢献によって彼は二十世紀の大数学者のひとりであるという国際的な名声を獲得した。しかし第一次世界大戦の社会上、政治上の問題に動かされて、彼の注意は、哲学と科学から社会現象に向い、彼の後期の著作の多くは、もっぱら社会、政治問題をとりあつかっている。彼はめざとく鋭い機智を使って、人間の心にすくう悪い感情-疑惑、恐怖、権力欲、憎悪、偏狭-を表わし、あばいている。こういう感情は、もっとあたたかい社会をつくる妨げとなるものである。彼は自分の智慧に辛味をきかせる機智の適量を心得ているはつらつとした思想家である。だがラッセルは、社会批評家にはめったに見られない一つの基本的な道徳をもっている。彼の批評は、ある人にはそう見えることだが、破壊的な調子があるにかかわらずいつも建設的である。彼はやたらに建物をこわしたり、制度を取り去ったりしない。そうする場合には、よりよいものを建設する方法を教えている。とりわけ、読者はラッセル卿が科学者でしかも人間味があり、希望にあふれ、あくまで正直な人物(→誠実な人間)であることにきづくであろう。要するに、ラッセル卿は、常識と非凡な思慮をいっしょにそなえたもっとも偉大な人物であり、フランシス・べーコンに始まるイギリス哲学の伝統の確実な後継者である。ラッセル卿が今までうけた多くの栄誉のうちには、一九四九年、国王ジョージ六世が彼に授けたほまれ高き有功勲章やこれまた同様に名誉あるノーベル文学賞がある。
この書物は、いろいろの問題-心理、政治、教育、倫理および結婚にわたる名言集である。ラッセル卿の多くの書物や論文から抜粋している。その撰定は編者がしたものであり、編者の責任において、説明や議論を省略してある。有益なあらゆる名言を全部とり入れようとはしなかった。しかし、編者の考えでは、これがバートランド・ラッセルの最上の言葉である。