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(講義)土屋俊「これからの大学図書館のすがた-電子化・国際化・資源共有」からの引用
(平成14年度)公立大学協会図書館協議会研修会(平成14 年8月1日開催)にて

* これは講演会の速記録ですので、必ずしも正確な表現になっていないと思われます。言葉を補って読んでください。インターネットを漂っているうちに偶然見つけたコンテンツです。


 ・・・。私(土屋俊氏=千葉大学文学部教授、哲学専攻)は、1952年生まれですので、それほど年をとっているつもりはないのですが、高校のころ勉強するということと本を読むということは、かなり等しかったような気がします。ところが、今の高校生にとっては・・・推薦入学で来る子達は、比較的成績が良いわけなのですが、あまり成績の悪い子は推薦してきませんので、そういう学生達にとって、本を読むという行為は、勉強するということ(と)は関係ないことなのですね。これは、そんなものかという風に思って、それ以来全てのことを断念しましたので、つまり学生には何も期待しない!ということからスタートしないと大学教育が成り立たないということにしたので気は楽になりました。しかしながら、授業は楽なもので、昔知っていることを言ってみると知らないわけです。
 ところで、みなさんバートランド・ラッセルを知っていますよね。つい、いつも不安になって聞いてしまうのですが、最近、演習に学生が十数人いまして、バートランド・ラッセルを知っているかどうか、千葉大学文学部の2年の学生に聞いたのですが、一人も知りませんでした。そういう時代なのです。ある年齢以上の方は、バートランド・ラッセルは、高校のときの副読本で読んだという方がいらっしゃると思います。いまや高校の副読本では、バートランド・ラッセル絶対使えないのです。あまりに難しすぎて。昔は、バートランド・ラッセルの英語はやさしいから使うと言われていたのですが、20 年間でどうして難しくなってしまったのだろうと思うのですが、しかし、バートランド・ラッセルを知っている学生はもういないのですね。文学部の学生でさえ知らないのですから当然理学部とか医学部の学生は全然だめですね。本当に何も知らないで入ってくるこども達に対して、どういう風に教育したらいいのか、あるいはその教育の中でどういう風な資料を揃えていかなければならないのかというのは、これまでのように先生方が集めた資料を図書館に置いておけば役に立つという時代ではなくなっています。独自の選書をしていかなければないという時代になっています。・・・。