石橋湛山「ラッセルの露国観」ほか

* 出典:『小評論』1920年10月9日号 掲載<
* 再録:『石橋湛山全集・第3巻』(東洋経済新報社、1971年4月)pp.522-524.
* 石橋湛山(いしばし・たんざん:1884.9.25~1973.4.25)は京都市生で、早大(文学部哲学科)卒。1911年、東洋経済新報社に入社。『東洋経済新報』に連載された社説『大日本主義の幻想』(1922年7月30日から3回連載)に代表される『小日本主義』などで言論界で活躍。戦後は自由党に入党。第1次吉田茂内閣で蔵相などに就任。1946年4月の衆議院選挙後に、鳩山一郎らと共に公職追放される。1954年11月、日本民主党の結成に参加。同年12月に発足した第1次鳩山一郎内閣に通産相として入閣。第3次鳩山内閣総辞職まで通産相を務める。1956年12月、鳩山総裁の引退に伴う総裁公選に岸幹事長(当時)、石井光次郎総務会長(当時)と共に立候補。第1回投票では岸が1位となったが、決選投票では石井陣営との2位3位連合によって、総裁に選出される。同月、国会で指名を受け内閣総理大臣に就任。しかし、1957年1月、病気に倒れ、1957年2月に総辞職
・執筆当時、石橋湛山は36歳

 

ラッセルの露国観

 英国の学者バァトランド・ラッセル氏が、米国の雑誌『ネーション』の7月31日及8月7日号に掲げた労農露国視察記は、内外に、非常な評判となった。既に我国にも、今月其翻訳を出した雑誌が一、二ある。蓋しラッセル氏が、社会評論家として此頃の売れっ児である為めでもあろうが、又其記す処が、氏の人物から判断して、可成り信ずるに足る為めであろう。米国にある?労農政府機関誌も、之に対する批評を掲げておるが、意見は兎に角、事実に於てラッセル氏の記事を、間違っておるとは云うていない。之まで種々の人の報告もあったが、先ずラッセル氏の報告は、其中での権威あるものの一であろうと思う。然らばラッセル氏が労農露国に対して如何なる観察をしておるか。氏は其視察記の前半に於て、いろいろ過激派政治の暗黒面を指摘し(雑誌『我等』に大山郁夫氏の翻訳したは、此前半である。11月号には多分其後半が出るものと思う)、そは国外の或人々が想像せる如き、理想的の政治ではない、共産主義の理論とは違い、自由などは毛筋ほどもなく、選挙は皆政府の干渉を受ける、少数者の独裁政治、武断政治、貴族政治に過ぎないと云うておる。又其後半に於ても、政府の物資分配の不十分を指摘し、都会の市民は、政府から受ける以上の食物を、反則商人の手から買わねばならず、民間の商業を禁止する企画は、却て秘密売買を盛んにし、資本(主義)国に見るより以上の取引を、実際は行わしめておると云うておる。一言にして之を覆えば、事実に就てのラッセル氏の記載は、労農政府に対して、手厳しい非難で満ちておる。従来、過激派に対して反感を持った人々から受けた猛烈な攻撃よりは、強いて過激派を悪く云おうとした形跡の無いだけに、ラッセル氏の非難の方が、却て過激派に取って手痛かろうと思う。
 

露国の真相

 併し乍らラッセル氏の視察記を、唯だ之だけに読むならば、それは全くの間違いである。氏は曰く、「此論文に於て、自分は、過激派政治の暗黒面を、種々指摘した。併し茲に常に記憶せねばならぬ一事がある。それは此等の暗黒面は、露国の産業が麻痺して、軍隊の必需品を供給する以外の力殆どなく、又政府は、内外に対する困難にして暗憺(あんたん)たる戦争を絶えず行わねばならぬと云う事実に、主として原因するという事である」と。而して氏は、労農露国に現に行わるる百弊は、平和と貿易とに依ってのみ救われる、平和と貿易とは、農民の反感を柔げ、従て政府は武断政治を布く必要は無くなる、自由は速かに回復するであろうと説いておる。今日の如く、四方から物資の供給を絶たれ、内乱を挑発されては、誰が政治を取っても、厳刻な武断政治を布く外に策はない。或は斯くて露国を苦めたら、過激派政府は、倒れるだろうと云うかも知れぬが、それは非常の間違いだ。そは唯だ過激派政府を、益々鞏固(きょうこ)にし、帝国主義的にするより外の効果は無いと。之がラッセル氏の意見である。
 

対露干渉の危険

 而して此見解から、氏が更に力を強めて説いておるは、連合国の対露干渉の危険である。前陳せる如く、今日の過激派政治は少数独裁の政治であるから、其少数者の性質に依っては、何時でもナポレオン帝国を実現し得る。幸にしてレーニン、及今日の過激派は、共産主義の真面目なる信者であるから、絶大の権力を握りながら、之を自己の私益に利用しようとは思わない。けれどもレーニンは何時倒れるか、わからない、連合国が露国に干渉して、何時までも平和と貿易とを与えぬならば、或は恐る、露国は第二のナポレオン帝国となり、最近の欧州戦争は、更に大なる世界戦争の前幕となることを、と。之がラッセル氏の視察記の結論である。吾輩は、氏の此結論をば是非我国民の含味せんことを求めて已まぬ。