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竹尾治一郎「バートランド・ラッセルの教育思想」

* 出典:『理想』1962年2月号、pp.23-29.
* 竹尾治一郎氏(1926~ :京大哲学科卒)は当時、大阪府立北野高等学校教諭、現在関西大学名誉教授。



 ラッセルの教育論(教育思想)は、論理学や哲学の分野での大きな貢献に比べるとささやかなものである。しかしその一般読者への影響は本格的な仕事のそれよりも大きいし、またラッセルの全業績の中でも、教育論は特異な位置をしめている。私のこの小論での目的は、(1)ラッセルの教育論と他の仕事との関係、(2)彼の教育思想の具体的内容、を明らかにすることである。

 

 ラッセルの業績は二つの系統に分つことができる。(1)最も抽象的な知識、すなわち論理学や数学(集合論)から出発して、次第に具体的な物理学その他の自然科学の基本概念の論理分析に下ってゆく系統、(2)(幼児の性格の育成というような、)最も具体的な人間生活の問題から出発して、次第に抽象的な宗教、社会、政治、歴史の問題に上ってゆく系統、である。

 彼の哲学は、ごく初期にへーゲルに傾倒した時期のものを除くと、論理分析への関心につらぬかれている。存在論から認識論に到る個々の問題に論理分析の方法を適用してゆくのである。これは勿論第一の系統に属するのであって、以下私は哲学という時はいつもこの厳格な意味での哲学を意味することにする。ラッセルの哲学は世界観ではないから、世界観から原理を借りて来て、これに一般化の操作を施し、「教育哲学」を体系化するという企ては彼にはない。教育論は明白に第二の系統に属する。そして両系統の間には合理的に論証できるようないかなる繋がりもありえない。次に教育論の分野にどんな仕事があるかを述べる。教育論の原型は『社会改造(の)原理』(Principles of Social Reconstruction, 1916)に認められる。これは年代的にいうと彼の最も天才的な仕事の終った後になる。第二の系統の仕事に熱心になった歴史的事情については有名な話だからここでは述べない(1)。その頃から教育関係の仕事が活発に行われ始め、殆んど毎年、教育論文や著作を発表し、短い文章も合せると数十篇に上るだろう。主張は一貫して(おり、したがって)重複が多い。
 ラッセルには最初から、個人の教育市民の教育とは両立し難いものであるという意識が強い(2)。本来の教育というべき、個人の性格の形成や何を教えるべきかの問題は、心理学や倫理学の知識を応用して論じられる、これを主題とするのが名著『教育論』(On Education, 1926)である。次に教育技術よりはむしろ教育思想を主題とした『教育と社会秩序』(Education and the Social Order, 1932)がある。これは教育の目的考察から出発して、近代社会内部での政治、経済などの教育思想への影響を論じてゆき、個人と市民という相容れぬ概念を現実的にどうして(どのようにして)よりよき調和へもたらしうるかを論じたものである。この二つが教育を主題にして書かれた著作である。
 第三にラッセルの教育論と他の第二の系統の業績との関係を述べよう。ラッセルの教育への関心は、親としての幼児教育への関心に止まるものではない。もしそうなら、それは珠玉のような『教育論』を以て終止符を打たれた筈である。実際はもっと早くから教育論文は書いているのであり、全般的にみればラッセルの教育論は改革者としての、そして晩年には理性と民主主義の擁護者としての思想とつねに不可分に繋っているのである。
 ラッセルは、教師とは「患者から子供っぽさを癒す医者」であるという。この定義に従えば、第二の系統の仕事をするラッセルはつねに何等かの意味で、インテリや大衆に対する教師としての役割を演じて来たといえよう。哲学者ラッセルとはやや性質の異なる彼がここにある。無論そのように拡張された意味での教育はむしろ「啓蒙」とよぶにふさわしい。そして啓蒙は一定の時代と社会状態の関係において成り立つものであり、教育は時代や社会の要求に必ずしも服従しない。だからラッセルの教育思想は彼の政治論のなかで不変の部分を形成する要素の一つとなっているといってもよいだろう。
 事実『社会改造(の)原理』の「教育」の章と、『反俗評論集』(Unpopular Essays, 1950)に収録された「教師の役割」(1940)を読み比べて、そこに基本的思想の変化というものは少しもみえない。変わっているのは直接政治的見解に繋る部分である。例えば、『教育と社会秩序』で大きな留保をつけてであるが、かなり熱っぽい口吻で述べられた共産主義体制下(注:ラッセルが後に述べているように、communism という言葉は時代によって意味合いが変ってきているので、「共産主義(communism)」は、「社会主義(socialism)」と読み替えないと誤解を招く恐れあり)の教育制度への讃辞は、八年後には全体主義教育の弊害への痛烈な非難と変わっている。ラッセルが説を変えたというよりは、対象の方が姿を変えたのだというべきである。ラッセルの哲学は、その方法の性質上、屡々究極的見地を変えたので有名である。けれども教育論の立場は見事な一貫性を保っている。
 最後にラッセルの価値論を説明する。これこそラッセルの第二の系統の仕事全般が哲学ではないことを納得せしめる重要な証拠であると私は信じている。ごく初期に、ラッセルは G.E.ムアの影響の下に、倫理的価値を対象に本然的に備わる性質と考えた。しかしほどなくこの立場を放棄し、善とは欲求の十分な満足であるとする立場に移った。勿論いかなる倫理的命題も個有名は含まないものとする(3)。また価値判断欲求の陳述でなく、欲求の表現であり、主張ではなく、真偽を問えない叫びであるとする(4)。この見地は、論理実証主義ならびに情動主義のそれに通うものであり、価値判断と事実判断の峻別という点で、ヒューム以来の伝統を担う古風な考え方である。
 しかしラッセルはかような究極的立場を持ち出すことを必要とする迄の間の領域を、可能最大限に認める人であって、そこに英国功利主義の考え方を生かそうとする。(5)一般に結果の善悪の差引きが最大限に善となるような行為は正しい(right)のである。それ故、制限はあるがその制限の枠内で、結果の科学的詮索を可能な限り認めようとするのが彼の行き方である。こういう価値観は彼の教育論の全体を通じてはっきりと別れている。
 以上によって私の第一の目的、ラッセルの教育論が彼の全業績の中でどういう付置をしめるかを明らかにする目的は果された。以下その教育論の内部の問題に進んでゆく。

 

 この節で私はラッセルの教育技術に関する意見の概略をまとめて、それを次第に教育制度やその背景となる思想へ関連させてゆき、最後に教育の目的をどういう観点からみるべきかを私の考えを混えて述べる。
 教育技術は徳育と知育という両面からみるのが便利である(注:もちろん体育もある)。徳育は道徳教育に限らず、性格の形成、知性の訓練を蔽う。知育は何をどのようにして教えるべきかの問題である。これは具体的には教育方法の検討と教科の選択や配当、つまりカリキュラムの問題になるが、ある意味で徳育のしめる部分に代ってゆくべきものである。それはまた教育制度の問題とも繋り、従って政治、経済、社会の問題とも繋る。ラッセルの教育思想を知るには、これら全面にわたる連関を知らねばならぬ。
 道徳教育についてはラッセルは幼児期の'しつけ'を重視する。「もし正しい指導が与えられるならば、性格の育成は六歳までにほぼ完成しているべきである。(6)」 ラッセルの最も賞讃するしつけの方法はモンテッソリ夫人の方法である。「彼女の方法の本質は、どれもが大抵の子供に面白い、そしてどれもが教育的な、仕事の機会を与えることにある。子供の注意力は、遊戯における如く、全く自発的的なものであり、子供はこの仕方で知識を獲得することを喜ぶが、望まない知識を獲得することはない。(7)」 これに対して、(当時)英国で最も影響の大きい、トマス・アーノルドの道徳教育は、道徳的罪悪感を強調するの余り、深刻な心理的弊害を生んでいると考える。しかしこれと正反対の、子供は生まれつき善良なのだが、年長者の悪徳をみならって悪くなる、というルソー以来の信念も科学的根拠がない。実際ルソーも『エミール』ではしつけの必要を十分認めているのである。幼児期のしつけが大事なのは、これを十分やっておけば、それから後の道徳教育は知育を通じて行ってゆけるからである(8)
 例えば注意力の集中という徳目をとり上げてみよう。価値ある注意力の集中とは、パズルなどに長時間没頭する際のものではなく、それに正しい動機があれば、面白くない知識でも我慢して学ぼうとする際のものであり、これは少数の例外的な人は別として、学校でつけられる習慣である。モンテッソリの方法は幼児にしかあてはまらないのであって、上のような意志の鍛錬は知育を通じて最もよく行われうるのである(9)
 学校教育における意志鍛錬という点では旧式の教育が正しく近代理論は無能に近い。しかし知性の訓練という点では伝統的道徳は本質的に無関心であったといえる。それは独断的信念を教え込むのに専念して来たが、知性の本能的基礎である好奇心を評価することができなかった。好奇心を正しく導くことが知性を発達させる本であり、さまざまの徳目はそこから出て来るベきものである(10)
 次に何をどのように教えるべきかは、まずカリキユラムの問題となる。ラッセルによれば、十四歳迄は専門教育は避け、専門教育に値する特殊才能を発見するために、いろいろの学科の初歩を誰もが学ぶようにすべきである。学科を学ぶ順序は、易しい科目からということである。まず算数を面白い身近な興味から出発するようなものにすべしとはラッセルはいっていない(11)。凡そその反対であって、足し算の答えは正しいか誤りかの何れかであって、決して「面白く」もなければ「暗示に富み」もしない。しかし、算数は自然に正確さを教えるものである。歴史地理は全部映画で教えるのがよい。子供でも大人でも、文学者の生年月日や彼らの作品名を知っていることには些かの利益もない。秀れた文学作品に、文章のみでなく、思想のスタイルにまで影響を受けるほど、親しむことが重要である。語学教育の目標はより実際的なものと考えるべきである。低学年にはダンスの時間を設け、少し進んで唱歌をやらせるべきである。代数、幾何、物理、化学の計画的教育は、十二歳頃から始めるのが妥当である。学校時代を通じて戸外の事物の中での教育が続けられるべきだが、それは運動競技などということより、農作の知識、動植物に親しむこと、庭作リなどが特に都会の子供には必要である。十四歳になれば、平均以上の知能のある生徒は専門の勉強を始めるべきで、平均以下の知能の者は全然専門の勉強をしないようにすべきである。ラッセルは、学校教育を三つの専門に分ける。(1)古典学、(2)数学と科学、(3)近代人文科学。
 このようなカリキュラムにもまして重要なのは教育に当る場合の精神である、とラッセルは説く。その原則を列挙するならば(12)、(1)教育の内容を面白く変化に冨んだものとする工夫をすることが必要である一方、これによって知識への近道があるように錯覚されてはならない。学ぶ事柄が真に自分に必要なものだという実感をもつようにしむけて、困難な作業と取り組ますべきである。(2)教育全体を通じて、可能な限り、生徒の方から進んんで学ぶという気風や態勢を保つこと、(3)正規の課業の外に現在論争の的となっている政治や社会の問題に興味をもたせ、これを討論させること。(4)課外活動を通じて、知的冒険の精神を養わせること。これらは我々が戦後教育の原理として、屡々聞かされて来たものに非常に近い、しかしその中で我々に決定的に欠けているのは(1)であると思う。日本の大部分の学生にとって、大学とは社会に出て有益な仕事をする代りに、のらくらと四年間を過ごす場所である。そして、高校とは屡々自殺者を出しながら大学入試の準備教育を受ける場所である。結局我々はどの段階でも真の意味の学問的鍛錬を与えようとも受けようともしないのではないか。合理的な解決策がないのではなく、それを提示することを怠り、それを採用する意志を欠いているのではなかろうか。
 次に何を教えるべきかの問題を民主主義のもとでの教育制度、教育思想と関連させてみた場合、どういう問題が出てくるかを考える。
 近代社会での教育の画一化の傾向は民主主義の場合にも例外ではない。そこでその機会均等の原則を機械的に適用し、すべての人が高等教育を受けるべきだとすると、現実にはこれは不可能なことだから、誰一人高等教育を受けなかったも同じ結果になることは明白であろう。画一教育は教育水準を下げ、科学の進歩を止めるだけである。同様なことは日教組の高校全員入学の要求についてもいえるのである。ラッセルが繰返しいう通り、高等教育における能力別の機構を作ることは是非とも必要である。次に民主主義と関係の深い実用主義の教育思想の根本的弊書についてのラッセルの批判を紹介しておく。
 「実用主義者の主張は教育の結果が実用的であるべきだというのである。粗い言い方をすると、教育のある人とは機械の作り方を知っている人だどいうのであろう。」その機械の用途は身体に必要な物、安楽な物を作り出すことであるから、実用主義者の究極的価値観とは身体の欲求を満足させることにあるのだ。問題は実用的な知識のみを教えるべきか、「それ自体で善いものである心的所有物を生徒に与えようと努めるべきか」である。ラッセルは後者を支持する(13)。究極的価値についてこのような距りはあっても、ラッセルは実用的知識を排撃する者では決してない。実用的知識は教養にならず、またその逆も真であるという考え方に真っ先に抗議するのは彼である。ペロポネソス戦争の知識が上品で、ロシア革命の知識は下品だというようなことはありえない。科学知識は絶えず増し、人間社会は増々複雑になる。新しいもののために時間を都合しようとすれば、教育方法は再検討されねばならぬ。ただいかなる場合にも人間の能力に例外を認めぬ杓子定規な旗は弊古を生むだろう。
 ここで一歩を進めて教育の目的は何かという問題に入ろう。近代教育理論を通覧して、ラッセルは二つの型に要約している(14)。教育の唯一の目的は成長の機会を与え、障害となる影響を取り除くことであるとする理論、(2)今日の目的は、個人に教養を与え、その能力を最大限に発進させることであるとする理論、(3)教育は個人よりは社会との関連で考えられるべきで、その目的は有用な市民を育成することであるとする理論。結論的にそのどれ一つとしてそれだけで満足なものはない、とラッセルは考える。(1)をラッセルは消極的教育理論とよぶ。」これは近代の進歩主義教育の基本思想ともいうべきもので、ラッセルもここにより多くの真理があると考えるが、その真理とは主として感情の果す重要な役割について、我々の目を開かせてくれた点に限られる。(2)と(3)は伝統的な理論であって、しかもその儘では決して両立するものではない。私はこのポイントは非常に重要であると思う。何故ならどちらもそれだけでは科学を生かしきることが出来ないからである。この点についてラッセルの見解は全く正しいと思う。それゆえ節を改めて、問題を掘り下げることにする。


 

 上に述べた見地から教育の目的を論じようとしている。廻りくどい前置きが必要となる。まず近代国家の史上未有の巨大な政治権力というものは、その源泉を科学にもっていることは誰が考えても明らかであろう。ところで、科学と政治という題目について聞かされた場合、多くの人の問題の立て方は、科学の急速な進歩に見合う政治的倫理の未成熟さという所から出ていると思う。この観察が全く誤ったものだとは私も考えない。しかしこの発想からは屡々ギャッブの埋め合わせに宗教や唯物論的弁証法が持ち出される。これは下らないと思う。私に不思議なのは、こういう見地は常に、科学が究極的には権力の意の儘に動くものだという前提を疑わないことである。私はこの前提にこそ真の問題が含まれていると思う。そしてそれ故に私は、修正を要する部分があるとしても、ラッセルの見解に共鳴する。
 専門分野における科学を離れ、広く科学精神という場合、この精神の特質は科学的発見の精神と解すべきである。それは何よりも真理を知りたい熱望に始まり、まず不確かな見透しがあり、証拠に基つく決定がある。そしていかなる真理も将来の発見によって修正を受けうるものだという信念がある。これは本来の懐疑主義とは異なるが、一切の独断的信条が予め確かなこととして命ずるどんな決定をも受容されないだろう。それは証拠が決定することだと答えるだろう。この精神を養うことは、科学を進歩させるためには不可欠であり、事実この精神は日に日に浸透してゆくだろう。
 ところが社会や国家に有用なことは、その社会や国家の性質や国際的活動の如何によって、善とも悪ともなりうる。科学精神は、個人がその所属する社会や国家を他と比較して正当に評価する能力を養わせるもので、事実(3)の立場での市民の理想とは正反対のものだ。(3)を厳格に採用すれば結局科学文明は崩壊するだろうし、(1)や(2)のみでは社会的団結が失われて必要な協力を欠き、中南米諸国のような状熊に近づいてゆくだろう。それ故団結を国際的協力の中に求める世界政府の理想を実現に移すことが必要だ(15)、とラッセルは考えるのである。それは拒否権のない、自己の権威に背く者に制裁を加えうるような形での国連に近いものではないかと私は推察する。

 紙数を費やしたので、残念ながら後は手短にやらねばならない。『教育と社会秩序』(Education and the Social Order)の主な目的はこうした理想の実現が科学的に可能なこと、それにも拘らずそれを阻んでいるさまざまの障碍があること、を自覚し、教育がいかにその障碍除去にあずかりうるかを追求することである。(1)を評価するのはその心理的障碍を除くことに繋る。ここでラッセルは行き過ぎと思われる迄に精神分析学を採用する。行動主義心理学の「条件づけ」の方法がいかに有効でも、それ抑圧された衝動に訓練が禁じていない新たなはけ口を与えるだろう。人を建設よリも破壊に向わせる大半の原囚は、この教育の欠陥に由来する。次に政治教育の弊害として愛国心を教え込むことがある。国家の機能は国内と対外との両面にわたるから、国内機能に関しては、無政府主義者でない限り、愛国心の発動を本質的に悪とすることは出来ない。しかし体外的な愛国心を教えることは憎悪を教え、虚偽を含む命題を教えることである。日本人のなした最も善きことは、日本人としてではなく、個人としてなしたことであった。更に政治目的のための説得手段としての宣伝がある。中世の迫害に比べると説得は進歩していようが、その内容が虚偽の宜伝は党派心と破壊的行動を生みだすのみである。これらの弊害除去は、教育者の責務である。第三に、経済に関係のある障碍としては競争がある。現代の経済は自由競争から協力と組織へと変わってゆく。教育が取残されてはならない。競争を理想とする教育からは、国際協力の精神は生まれない。それ故、試験制度を改め、優秀な生徒は分離して教育し、無用な知識はなるべく教えぬようにして、過重な教育を避け、高等教育の主眼を、正解を覚えさせるよりも探究と技術と精神を身につけさせることに置くようにし、学習から不必要な感情的緊張を取除くようにすべきである。最後に一切の憎悪、怨恨の感情、所有の欲求は理想の実現を阻むものであり、愛と創造の欲求を政治と教育の最高原理とせねばならない(16)。階級、国家、面性間のさまざまの不正を除去する原動力として、階級意識やナショナリズムや復讐心がいかに必要とされても、それらは本質的に望ましからざる感情であることに些かも変りはないのである。このような教育論に対する批判は可成り容易になされている。しかしその多くは無知に場所を空けておきたいというやみがたい欲求から来るもののようである。

 

(1)(9)一四~一六、三〇~三四。(10)一五七~一六五。
(2)(1)一五五、(3)二五一、(4)九以下。
(3)「これは善い」は「私はこれを欲する」と同じ意味ではない。(6)二五七。また(7)四八を参照。ちなみに(8)では、ライプニッツの共可能性(compossibility)の世界を自説にあてはめて考えるところがある。(五九)
(4)(6)二五七、(5)二三六~二三八。
(5)(4)二二〇~二二一など。
(6)(2)一八九。
(7)(1)一六〇。
(8)(2)一八九。
(9)(2)一九四~一一九五。
(10)(2)五八~六二、一九二~一九三。
(11)(2)二〇六。
(12)二一九~二二七。
(13)(2)二〇、(4)二四、二二八。
(14)(4)二九。
(15)(4)二六~二七。
(16)(1)二三六~二三七

参考文献
(1)Russell, Principles of Social Reconstruction, 1916.
(2) : , On Education-especially in early childhood, 1926.
(3) : , The Scientific Outlook, 1931.
(4) : , Education nad the Social Order, 1932.
(5) : , Religion and Science, 1935.
(6) : , Power, 1938.
(7) : , Unpopular Essays, 1950.
(8) : , Human Society in Ethics and Politicsm 1954.
(9) : , Portraits from Memory and Other Essays, 1956.
(10)Alan Wood: Bertrand Russell, the passionate sceptic, 1957.