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品川嘉也「B.ラッセルと言語哲学と弁証法」
品川嘉也・品川泰子共著『人体とコンピュータ』
(医歯薬出版株式会社,1974年6月刊)pp.89-97.

* 品川嘉也(1932~1992:しながわ・よしや):愛媛県生まれ。京都大学医学部助教授(京都大学大型計算機センター運営委員,研究開発部員)をへて,日本医科大学教授。1992年10月24日,肝不全のため死去。
* 品川泰子(1936~ ):愛媛県生まれ。京大薬学部卒。京大医学部技官(京大大型計算機センター・プログラム相談員を兼任)。


 言葉で言えないことがあるか。それはたしかにある。は言葉ではいい尽くせないから,言葉で言えない部分を含んでいる。
 しかし,ここで「言葉でいえないこと」も,言葉でいえないことという言葉で言っているではないか,という逆説(パラドクス)が成り立つ。
 このバラドクスは,「クレタ人はうそつきだとクレタ人が言った」という,古代ギリシャの逆説に似ている。この種のパラドクスの完全な典型は,

 この枠のなかに書かれている文は
 うそである

という形で書かれた,「この枠のなかに書かれている文はうそである」という文は,うそであるか,まことであるかという問題である。
 このようなパラドクスは,かつては,人間理性の欠陥から生ずるもので,理性がつき当たる越えがたい壁のように,真理探求の道に立ちふさがっていると思われていた。しかし,現代の論理学の目には,これらのパラドクスは,単に文の構成の誤りから生ずるもので,人間の理性や実在に根ざす矛盾ではなくて,私たちの表現の仕方が不完全なために生じているにすぎないのだ,ということが明らかにされている。
 論理学の理論はむずかしいが,結論は簡単で,文にはいろいろなレベルの違う文がある。この例についていえば,「この枠のなかに書かれている文はうそである」という文は,文について語っているので,ふつうの文(事実について語っている文)とはレベルの違う文だと考えるのである。このような,文について語る文,言語について述べる言葉を論理学ではメタ言語とよんでいる。
 このような言語の階層性は,有名なバートランド・ラッセルらによって明らかにされたことである。カントが「論理学はアリストテレス以来,進歩も退歩もしなかった」と述べたことは有名であるが,皮肉にも,カント以後に論理学は急速に発展した。その最初のきっかけの一つは,論理がブール代数とよばれる代数と等価であることが発見されたことによる。すなわち,論理的に表現できることはすべてプール代数で表現できるし,その逆も真である。こうして,論理学は数学的に研究されることになり,数学的論理学とか数理論理学と呼ばれるようになり,数学的方法を駆使して研究されるようになった。しかし,現代の数学的論理学は,アリストテレス以来の伝統的論理学を完全に含み,それよりも広い体系であることがわかったので,現在では単に,「形式論理学」と呼んでいる。

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 現在の形で,形式論理学の体系をほぼ完全にまとめたのは,ラッセルとホワイトヘッドの『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』(1910)が最初であった。これはアリストテレスの『論理学』以来のもっとも重要な論理学書とさえいわれている。
 アリストテレスの『論理学』と,ラッセル以後の数学的論理学の違いは,以前には,論理人間理性の法則であると考えられていたのに対して,論理とは人間の言語の法則であることを明らかにしたことである。そして,論理学は言語学と結びついて言語哲学を作り,言語分析学派は現代の哲学の主流となっている。この学派は,言語の分析にコンピューターを駆使するので,伝統的な思弁的哲学とはひじょうに違った感じを与える。論理学は,伝統的に哲学の一分野であるが,現在ではその主流とさえいえる。バートランド・ラッセルは,へーゲルの弁証法哲学を批判することから始めたが,ラッセル自身はイギリス経験論の哲学を受けついでいる。とくに,ジョン・スチュアート・ミルの論理学を濃厚に受けついでいるのである。人脈的にも,バートランドの父アンバーレー・ラッセル子爵はミルの門弟であった。ちなみにラッセル家はイギリスでも,もっとも古い貴族の一門で,祖父ジョン・ラッセル伯爵はヴィクトリア女王のもとで首相を二度も務めた政治家であった。
 ラッセルが猛烈に批判したヘーゲルは,伝統的なアリストテレス論理学の批判者であったわけであるから,形式論理学と弁証法の相互批判の歴史そのものが,まさに弁証法的である。へーゲルが攻撃してやまなかった形式論理学は,実は,堕落した伝統的論理学であった,ということが現在では明らかになっている。しかしながら,形式論理学よりも弁証法が秀れているとか,形式論理学では実在の生成変化をとらえることができない,と考えている人のために一席弁じておきたい。

 みなさんは古い論理学書に――といってもひじょうに古い論理学の教科書であるが―

 同一律
 AはAである。
 (例,机は机である)

といった記述を,ごらんになったことがあるであろうか。この「机は机である」という同一律が,実在の同一性を表すとか,机を認識するところの自我の自動性を表すといったたぐいの議論が,堕落した形の形式論理学である。「ひからびた形式論理」を攻撃する人たちは,今日の机は明日のたき木であり,昨日の立木ではないか,形式論理は事物の生成発展を捉えることができないという。
 しかしながら,論理学というのは,言葉の間の関係を明らかにする科学であって,事物の間の関係を述べる経験科学ではない。たとえば,同一律というのは次のように述べなければならない。

 AはAである。
 (例,「これは机である」ならば「これは机である」

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といわなければならない。事物の生成発展を表すときには,「時刻今日において,これが机であるなら,時刻明日にはそれはたき木である」という命題について研究すればよいということになる。すなわち,形式論理学は弁証法とあい容れない科学ではない。
 形式論理学を「机は机である」という,物自体の,事物の科学だと考えたのが誤解であって,「これが机であるならばこれは机である」といった命題の関係,事実の関係を研究する演繹科学なのである。この辺の事情をもっと端的に述べたのは,今世紀のもっとも風変わりな哲学者といわれるウィトゲンシュタインの『論理哲学論(考)』である。かれによると,「世界は,その場に起こることのすべてである」。すなわち,(世界は)事実の総体であり,ものの総体(事物の総体)ではない。これが,『論理哲学論(考)』の第一命題である。そして,人間の思考は,この世界を模写し,その思考は論理に従って行なわれ,言語によっ描き出される。

 『論理哲学論考』 命題三
 「事実の論理とは,思考のことである。」
  同,三・〇三二

 「"論理に矛盾する"ことを言語で描き出すことはできない」

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 こうして,論理哲学は必然的に言語哲学となり,言語分析学派と呼ばれることにもなる。この流れで,現在もっとも有名なのは,アメリカの言語学者チョムスキーで,かれは,人間の言語的能力は遺伝的に決定されていると説いている。人類のいろいろな言語は極度の多様性を示しているが,言語分析を深く掘り下げてゆくと,日本語とか英語にかかわらない,すべての言語に共通なひとつの「形」が見出され,この形は人間としての特質を示す先天的なものであるという。チョムスキーは,この説が分子遺伝学に基礎を置いていると述べているが,分子生物学者J.モノーは,その著『偶然と必然』のなかでチョムスキー説を支持しているのである。
 チョムスキー説は,いいかえると,人間の論理的能力は遺伝的にきまっているということである。あるいは,脳の基本的な部分は遺伝的に決まっているといってよいかも知れない。チョムスキーの言語学は,分子遺伝学と並んで,現代科学に革命をもたらしたと評価する向きもあるほどである。
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 私は,チョムスキー理論を知る前に,わが家の長男が三歳になったころ,「オンモには木があるから風が吹くの,オウチの中には木がないでしょ,だから風が吹かないの」という,三段論法を使うのを聞いて,人間の論理的能力は先天的なものであろうかと考えた(『脳とコンピューター』中公新書,p.89参照)が,あるとき研究会で,湯川秀樹先生にこのような話をしたところ,湯川先生もお孫さんを観察しておられて,論理構造を先天的にもっているとみておられた。
 なぜ人間だけが論理的能力を備えているか。それは,なぜ人間が言語的能力をもっているか,といい換えることができるが,それは進化学上の大きな謎である。この問題については,第七章四節でもう一度ふれることにしよう。
 チョムスキーは,ベトナム反戦の闘士としても知られているが,それはバートランド・ラッセルが一九七〇年に死去するまでの九十八歳の生涯を,反戦と平和の闘士として,投獄にもめげず貫いたことと符合している。かれらにとって,理性的なものは現実的でなければならず,「現実的なものは理性的である」とするへーゲルの哲学はがまんならないものなのであろうか。ラッセルは,一九二〇年から一九二一年にかけての中国・北京大学訪問の帰途,わが国にも立ち寄り,西田幾太郎,大杉栄などと会見しているが,当時秘書のドーラと同棲していたこともあって,あまりかんばしくなかったと伝えられている。実際に,かれは結婚と恋愛についても完全な自由を求める思想の持ち主であり,実践者でもあって,そのため,世の非難を受け,迫害を受けたのである。ラッセルの膨大な著作は,かれの人間性を世間に理解させることができたのであろうか。その著作『現代結婚への疑問』までが受け入れられたのであろうか。その晩年には,イギリスの文化勲章であるオーダ・オブ・メリットを受け,ノーベル文学賞が授与されるのであるが,それは七十七歳と七十八歳のときのことであり,世間に受け入れられるためには,この天才のそれほど長い生涯を必要としたのかも知れない。
 かれは,言語によって,また,事実によって非難され,また受け入れられ,受賞したのであろうか。それとも,人間には,人間の言葉によって語り尽くせない部分があると,哲学者たちは認めているのであろうか。
 ウイトゲンシュタインは,「哲学は,語られうるものを明らかに叙述することによって,語られえぬものをも意味することがあるであろう」という。ここには,芭蕉の「語りえて何かあるという思想」に通ずるものがあろう。『論理哲学論(考)』はつぎの言葉でしめくくられている。
 命題7
 「語りえぬことについては,沈黙しなくてはならない」(訳は山元一郎篇『ラッセル,ウィトゲンシュタイン,ホワイトヘッド』(世界の名著全集・第五八巻,中央公論社,一九七一)によった)。